54、本当の成海
54、
病院から実家に帰宅すると急にどっと疲れが出た。私は玄関で乱雑に靴を脱ぐと、2階へ続く階段に足をかけた。数段の階段が果てしなく続くかのように思えるほど疲れていた。
這い上がるように階段をなんとか上がると、そのまま寝室の布団に寝転がった。
「やっと着いた……」
母は帰宅後すぐに台所へ向かっていた。相変わらずお母さんはタフだなぁ……
「ご飯できるまで先にお風呂はいっちゃいなさい」
母がご飯の支度をし始めるとさ、急に家が慌ただしくなった。
それでも私がそのまゴロゴロしていると、それを見た梨華がお母さんみたいに言った。
「お風呂ぐらい入りなよ」
何だかまるでお母さんが二人いるみたい。
今日は炎天下の中ロボ太の手紙を掘り返したせいか、汗と土でドロだらけ。さすがにどんなに眠くても風呂は入りたい!と、そう思っていたのに……
自分の意志とは反対にそのままうとうとし始めた。うとうとしながら病室の事を思い出した。
リョウの病室にいた私達は、面会時間の終了と共に病室を追い出された。それから私はお母さんと梨華に先に帰ってもらい、成海と広いロビーの片隅で話の続きをした。
このまま帰っても良かったけど、成海に一つ確かめたい事があった。
「ねぇ、今も本当に私を殺したいほど恨んでる……?」
成海は下を向いたまま首を横に振った。
「今は……殺したいほどじゃない。だけど、恨んでないって言ったら嘘になる。恨んで妬んで正直自分が嫌になる」
「成海……」
しっかり者の成海がこんな風に情けない顔を見せるなんて意外……
「意外って顔してる。美織は何でも顔に出るよね。意外じゃない。これが本当の私。でも虚勢を張ってマウント取ってなきゃプライドが保てなかった。ただそれだけ」
これが本当の成海……?
私が見ていた成海と成海の思う成海は違うらしい。私は親友のつもりでも、成海は私に素を見せてはいなかった。
「だったら、これからは成海は本当の成海のままでいてよ」
今さらそんな事を言っても無理かもしれないけど……
「それは……そんなの出来るかわからない。だけど……突き落とした事だけは謝る。あの時揉み合いになって咄嗟に押しちゃった……ごめん、ごめんなさい」
生きていたから許される事だけど、死んでいたら謝って済む問題じゃない。でもここで成海を追い込みたい訳じゃない。ここは「いいよ」と言うしかなかった。
「あのね、あの桑の木の日記は白紙だったでしょ?でも木の下からロボ太の手紙が出てきたの。まだ全部は読んでないんだけど……藤丸諒太は三人いたみたいなの」
「……三人?はぁ?意味わかんない」
「甲皮症の見た目で見分けがつかない事をいいことに、時期によって入れ替わってたらしいよ」
私は成海に軽く説明した。
「私が村に来る前と後ではロボ太の中身が違ったんだって。要は、成海の想う藤丸諒太と私の想うロボ太は別の人って事」
「そんなわけないでしょ!?私がそんな事信じられると思うの!?」
わかってもらえない事くらい予想できた。なのに、私は少しイラついて深いため息をついてしまった。
「だったら自分で読めば?それとも私を殺して奪い取る?」
私がロボ太の手紙を差し出すと、成海は少し嫌な顔をしてその手紙を受け取り読み始めた。そして、しばらく読み進めると涙を流し始めた。
その手紙は成海にとって残酷なものかもしれない。成海の想う別の藤丸諒太の行方は知らないという事も書いてあった。
「諒太、私の事なんか少しも気にして無い……」
「それは……仕方ないよ。成海が約束したのは別の人なんだから」
何とも思われていないのは辛い。だけどそれは、手紙を書いたロボ太が悪いわけじゃない。
「別の人?そんなの関係無い!関係無く私から奪っただけじゃない!諒太の隣も後継者の座も!」
「奪った?元々どっちも成海のものじゃないでしょ?勝手にそう思い込んでただけでしょ!?」
こんな言い方しかできないけど、成海の気持ちはわかる。私もロボ太が必ず何か残していると思い込んでいたし、どこかでロボ太にとって自分が特別だと思っていた。
「それに、どっちも私が欲しいと思って強奪したわけじゃない。特に後継者の座なんて本当にいらないし……」
すると、成海が信じられない事を言い出した。
「だったら譲ってよ!後継者の座。美織が私が後継者になる!」
「ねぇ、村の事業って何だかわかってる?わかってて継ぎたいの?」
「わかってる!わかってるよ!でも、そうじゃなきゃ私の本当に欲しいものは手に入らない……」
本当に欲しいもの……?
成海の本当に欲しいものってなんなんだろう?狂った事業の後を継いでまで欲しい物って何?お金?自由?
そういえば、成海は祖父の危篤に『その先がない』と言っていた事を思い出した。その言葉の真意は知らないけど、成海が継ぎたいと言うならそれでもいい。
「成海が継ぐ意志が固いなら、別に譲ってもいい」
「……本当……?なの……?」
「でもね、体育館で栄造さんが事業は全面廃止って宣言したんだよ」
成海はそれを聞いて驚いていた。
「え?……てっきり……美織と慎吾の御披露目なのかと思ってた……」
「慎吾も継ぎたくないって言ってたよ?」
「……はぁ?」
え?その驚きは何?それじゃまるで慎吾は継ぐつもりでいたみたいな驚きなんだけど……?
成海の勘違いか思い込みなのか、その違和感は残ったまま話は別の方向へ向かった。
「もう、いい?リョウの手続きとか質問に行きたいんだけど?」
「別にいいけど……成海は別の人ってわかって、これからリョウと婚姻生活を続けるの?」
すると、成海は少し悲しい顔で微笑んで言った。
「別の人ってわかっててしたの」
「え?」
「戸籍にバツがついたとしても、もう手の届かない存在になりたかったの」
成海はリョウを愛してるから結婚したわけじゃなく、結婚した事実が必要だったらしい。
成海には成海なりの理由や目的がある。
変な時間に寝たら深夜に目が覚めて、こっそりとなるべく静かにシャワーを浴びた。もう一度寝ようと2階の寝室に戻ろうとしたら、急にロボ太の手紙を思い出した。
ロボ太の手紙……最後まで読んでない。
「手紙……どうしたっけ?」
昨日着た服を洗濯物から探して、デニムのポケットからぐしゃぐしゃになった手紙を見つけた。そのまま洗濯機を背にしゃがみ込み、寄りかかりながら手紙の続きを読んだ。
『本来は村に迷い込んだ僕達はすぐに殺されるはずだった。でも殺されなかったのは、村長の村を潰し事業を廃止する計画を実行する人材として選ばれたから。選ばれたとしても僕はリョウのようには動けない。だから僕は村が無くなるまで人質としてあの村にいるだけだった』
その時、父が言った私と母の『人質としての役割』という言葉を思い出した。
『あいつはもしかしたら、僕が村を出た事を知ったら殺されたと思うかもしれない。無茶をしてでも探すかもしれない。だけどもうそんな必要なんか無い。僕は無事で、今は普通に暮らしている』
ロボ太の手紙には自分だけ普通に暮らしているのが申し訳ない気持ちがあるものの、これ以上関わりたくないという本音も垣間見える。
『美織がもしRYOと会えたら、どうかあいつを救ってやって欲しい』
救うって……どうやって?どうしたら救えるの?
もう既に刺されてるし、成海と結婚した。これ以上私に何ができる?
『あいつはひねくれているけど気が利く。それに顔がいい。あいつはいい奴なんだ』
いい奴……?
この手紙を読む限り、きっとリョウはロボ太のかけがえのない友達なのかもしれない。ロボ太が私に興味が無いと言うより、何か接触できない理由があるように思えた。
だけど何だろう?この押し付けられている感じ。この手紙は……どこか『私がリョウと結ばれれば幸せになれるだろう』という一方的な決めつけがある。
確かに写真集ではRYOがカッコいいとは思ったし、普通に理想的な人だと思う。でも理想が現実になったからって幸せになれるとは限らない。
それでもロボ太がそうして欲しいと言うなら……従うしかない。
「ロボ太のバカ……」
これでやっと気持ちに決着がつく?これで……ロボ太を諦められる?
その晩は声を殺して泣いた。