5、初日
5、
離れていれば、輝くダイヤモンドのように綺麗な思い出。それが目の前で土塊に変わる時が来そうで嫌だった。
できればあんな形でロボ太と再会したくはなかった。
その日の午前中は大学の授業があった。朝一番の講義は雨のせいで全然頭に入って来なかった。
講義室の窓の外を見ると、優しいシャワーのような雨がさらさらと降っていた。東京はあまり雨が降らない。降っても災害になるほどにはならない。
思い出が大事?そもそも宝石ほどいいものだった?
改めてどんな事があったのか思い出そうとすると、意外と難しかった。
それなら最初から……私があの村に引っ越した次の日。転校初日から思い出してみよう。
ロボ太に遭遇した次の日は始業式だった。体育館に人はまばらで、さぞかし荒れている学校なんだろうと思ったけど、そもそも村の過疎化が進んで全体的に人口が少ないってだけの話。
その説明も担任からあったらしいんだけど……とにかく、担任の猿江先生はどえらいおじいちゃんで……
「ホンナホホロヒホフホヒヘヒハヒハヘ」
「……は?」
何を言っているのか全く理解できなかった。多分入れ歯?なのかな?
「あの……今、なんて?」
「んん?」
しかも耳まで遠い。たとえ返答されても聞き取れる自信は無いけど、もはや意思の疎通ができる気がしなかった。
この時点でかなりの年齢なのに、あれから訃報を聞かないという事はご健在なの?じゃあ、あの校舎も相変わらず?私が転校した中学の校舎は、ホラー映画のセットかと思うほど老朽化していた。
今にも崩れそうな木造2階建ての校舎。そんな校舎の廊下を、私達はいつも床を軋ませて歩いていた。
静かな廊下に響き渡るその音はめちゃくちゃ気味だった。そんな廊下を歩いて教室に案内されると、始業式で見た顔がチラホラ。それもそのはず。教室には私を含め生徒は五人しかいなかった。
そのうち1人はあのロボ太。四人の女子の中にロボ。あまりの異様な光景に呆然とした。
呆けているとホームルームは進み、転校生のお約束、自己紹介タイムがあった。
先生から紹介されて(どう紹介されたのか全然わからないけど)古い黒板の前に立って教室を見渡した。見たくもないのに、その人数少なさで否応なしにロボ太の姿が目に入って来る。
「えーと……」
そのせいで、自己紹介で自分が何を言おうとしたのか忘れた。
とりあえず「白浜美織です。よろしくお願いします」と言って席についた。
結局色々考えた文言は全てあいつのせいでぶっ飛んだ。
指定された自分の席は後列の真ん中だった。前列には二人の女子、左には眼鏡と三つ編みの女の子。右にはあのロボ太だった。
私が席に着くと、今度は四人の自己紹介が始まった。それでもロボ太の姿からどうしても目が離せなかった。明るい場所ではハッキリとその姿が見える。大きな体に異様に角ばったフォルム。その体に張り付いたようにピッタリと作られた学ラン。
こんなのジロジロ見るなって言う方が無理だよ!
私は自己紹介そっちのけでロボ太を観察していた。
「藤丸諒太です」
喋った!!本当に人間なんだ!!
休み時間になると、隣の席の女子に話しかけられた。
「あれでもちゃんとした人間なんだって。驚くよね。私も初めて見た時は5分以上見てたって」
え?私、今5分も見てた?どうやら私は自分が思うよりロボ太をガン見していたらしい。
「珍しいよね。怖がらなくても大丈夫、中身は普通の男子だからそのうち慣れるよ」
「はぁ……」
最初に話しかけてきたのは唯一の同級生、斉藤成海。ロボ太と深雪と秋穂は一つ下の学年だった。人数が少ない関係で、三年生以外は同じ教室だった。
成海とは今でもたまに連絡を取り合っていて、2ヶ月前もなんとなく電話した。その時は半年ぶりだったけど、成海も相変わらずだった。相変わらず声を聞くと何だかほっとして落ち着く。
「午後は自習だって。自習の後は各自下校でいいって先生が言ってたよ」
「え……今のよく理解できたね」
「え?こんなの普通じゃない?」
自らを『こんなの普通』と言う成海は、老人の言語を理解できるという特殊スキルの持ち主だった。誰も聞き取れ無い担任の話を通訳をしていた。
その時は私だけ聞き取れないのかとモヤモヤした。その気持ちをどうしても誰かに吐き出したかった。
吐き出したかったけど……でも、その時いたのはロボ太だけだった。
午後の自習中、大雨の影響で突然早く帰るように大人達に学校から追い出された。大雨って言ったってまだ小雨。それに、早く帰るように言われてもまだ初日。1人で帰るには道がおぼつかない。
だから私は『隣の家のロボについて帰れば帰れる』という打開策を思いついた。
私はロボ太の後を無言でついて歩いた。上り坂のきつい道。雑草の生えてた道は、にわか雨でぬかるんでいて何度も転びそうになった。お気に入りのスニーカーがドロドロだった。
田んぼ道を進み、神社の前を通った頃……ロボ太が急に立ち止まりこちらに振り向いた。
「まだ見たい?」
「え?」
「まだ見足りないのかって聞いたんだよ」
もしかして……私がその姿を見たいから後をつけてると思われてる?
「あの……道、よくわかんないから……」
慌てて出した言葉は、まるで言い訳だった。
「……今朝、母親から教わってたよね?」
「そんなの一度で覚えられるわけないじゃん」
私の答えを聞くと、ロボ太はまた背を向けて歩き始めた。私はすぐにその後を追った。
「あ、あのさ、今朝はごめん。見すぎた事は謝る」
「別に……謝る必要は無いよ。普通じゃないのはこっちだし……」
「そんな事より担任の猿江先生!何言ってるのか全然わからないんだけど、やっぱりみんなはわかるの?」
後ろからその背中に話しかけると、少しづつ歩くスピードが遅くなった気がした。
「あれは……成海以外誰も聞き取れて無い」
「そうなんだ!良かった……私だけが聞き取れて無いのかと思って心配しちゃった」
顔は見えなかったけど、ロボ太の張りつめていた空気が少し緩んだ気がした。
「小雨なのにどうして一斉下校なの?」
「それは……あれ」
ロボ太は立ち止まると、ゴツゴツした指で遠くの山を指差した。そこには大きな山に黒い雲が覆い被さっていた。
「あの山に黒い雲がかかると大雨になるって言われてる。ここら辺は川が多いから昔から水害が多いんだ」
「そうなんだ……それより他に道無いの?靴ドロドロなんだけど?」
「近道なんだから仕方がないだろ」
近道?どうりで上り坂がキツいと思った。
「そんなに急いで帰る必要ある?」
そんな事を話していると、突然強い雨が降りだした。バケツをひっくり返したような豪雨だった。雨はザーザー音を立てて傘を強く打ちつけた。
「急いだ方がいい」
かすかにそう聞こえたけど、水しぶきでどんどん辺りは見えなくなっていった。
それに気がついて、ロボ太は少しづつ歩き始めた。途中何度も何度も振り替えってロボ太は私がちゃんとついて来ているか確認してくれた。そんなに振り向かなくても、大きな体のおかげで姿はよく見えるしすぐ後ろを歩くと前からの風を少し防げた。
それからしばらく歩いて、なんとかロボ太を見失わずに家の分岐点までたどり着いた。
「ここからそっちが家。白浜……」
「美織でいいよ。ここまで連れて来てくれてありがとう!じゃ、また明日!」
辺りが霧に囲まれていて不安だったけど、そこでロボ太と別れた。これ以上迷惑はかけてはいけないという気持ちと、早く家へ帰りたいという気持ちでいっぱいだった。
勇気を出して言われた方向へ進むと、ちゃんと家が見えて来てホッとした。
「ただいま~!」
そう言って玄関の戸を開けようとすると、戸が開かなかった。
え?どうして開かないの?そういえば……鍵……
今朝お母さんから鍵を貰うのを忘れた。
これはヤバい。積んだ。