46、落ちる
46、
ロボ太の日記を見つけた時から、なんとなく嫌な予感がした。そこから微妙に成海の空気が変わった気がした。
成海はロボ太の勉強机に寄りかかると、私にこう尋ねた。
「美織は本当にロボ太が好きなの?」
「え……?いや、あの……」
今、その質問関係ある?今は目の前のロボ太の日記を読むかどうかじゃないの?
「これ、読んでいいのかな?」
「でも読むんでしょ?」
「うん……」
少しでも手掛かりが必要な今、読まないという選択肢は無い。
「でもロボ太は読まれたくないだろうし……」
こう見えても当たり前のように他人の日記を見るほどガサツじゃない。
「すぐ見つかるような所に置いておくんだから見られる覚悟はできてるんじゃない?」
「そっか……そうだよね……」
成海はどこか『読め』と言わんばかりに進めてくる。それが何だか怖い。
中身を読むとそこには、私との出会いからロボ太の中学卒業まで綴られていた。
ただ……この日記には違和感しかない。その文章には事実が多く『ロボ太の気持ち』があまり書かれていなかった。
中学の卒業後も知りたいのに、そこからは何も書かれていない。私は残りページを最後までめくった。すると、一枚のメモ用紙が日記から出てきた。
『悔しい気持ちはあるけれど、
湧いてくるのは君との時間。
のんきに暮らしたこの一年半
きっとこの先も夢に見る。』
「悔しい気持ち?って何だろう?この先も夢に見る?」
「さぁ?この村の暮らしが嫌になったって事じゃないの?」
「もしロボ太が読ませる為に日記をここに置いたのなら、意味のない言葉なんて残さないと思う。何かあるんだよ。何か……」
あ!わかった!
「これ……多分縦読みだ!」
昔『SNSにこうやって縦読みさせる投稿する人もいるんだよ』とロボ太に教えた事がある。縦読みすると……
「く、わ、の、き……桑の木だ!もしかしたら神社の先にある桑の木の事かな?」
私がここにきてすぐの頃、あそこの桑の実が食べ頃だと言ってロボ太が山奥の秘密の場所に連れて行ってくれた。
「もしかしたら……ロボ太はこの山奥にいるのかも!探しに行かなきゃ!」
「ちょっと待って?今から?」
あ……そういえば梨華……
私達は来るはずの梨華の到着を待っていた。
「それにしても遅いね。バスに乗り遅れちゃったのかな?」
梨華に何度かメッセージを送ってみたけど、一つも既読にならない。このまま山に入るより梨華の方が心配になってきた。
「だったら先に桑の木の所へ行かない?じゃないと日が暮れる前までには帰って来られないかもしれないよ。美織は覚えて無いかもしれないけどこの辺は午後から天気が変わりやすいし」
忘れてた。ここは地形のせいなのか天気予報があまり当たらない。
スマホの天気予報は晴れだけど、日の暮れた山奥であんな大雨に降られるなんて考えたら……行くのを躊躇ってしまう。
でも……
私が迷っていると成海は窓から綺麗に晴れた青空を見て言った。
「空に雲も無いし、友達が来る前に行ってロボ太が見つからなかったらすぐに帰って来れば?」
私はその時、その誘いに乗ってしまった。
本当は『無闇に山になんか入ってはいけない』とロボ太に何度も注意されていたのに……
それから私達は山を登り始めた。山登りと言ってもちゃんと山道があって、一本道。道に迷うほどの山登りじゃない。
途中の神社までは。
その先は道無き道をゆく。神社の坂を登りきると右手に目印の沢がある。そこを飛び越えてまた坂を登ると、少し開けた場所に出る。そこだけぽっかりと空が見えて草木が生えていた。そしてその開けた場所の隅に桑の木があった。
「あった!あれ!あれだよ!ロボ太が教えてくれた桑の木!」
木に近づいて見ると成海が何かに気がついた。
「……あ、あれ!木に何かくくりつけてある!」
木の幹にビニール袋のような物がくくりつけてあった。そこには日記帳に似たノートが入っていた。
そのノートの表紙には『愛しい君へ』と書かれていた。
愛しい君へって……誰の事なんだろう?一瞬、自分の事だったらいいなと思ったけど、私がロボ太と離れて3年も経つ。他の誰かの可能性だってある。
例えば……村から出る事無くいつも側にいてくれる『誰か』
でも今知りたいのはロボ太が誰を想っていたかじゃない。ロボ太が何を考え、何を思い行方不明になったのか。
「もしかして……こっちが本物の日記帳?」
こっちが本物?じゃあ、偽物を作る理由は?
成海は何の迷いも無くその日記帳にかかっていた紐をほどいて読もうとしていた。
「ちょっと待って?これって特定の人に読ませたいから暗号みたいにして、ここにくくりつけたんじゃないの?」
すると、成海は紐をほどく手を止めて言った。
「じゃあ、それが自分だって言いたいの?」
「いや、そうゆう事じゃなくて……」
「縦読みぐらい私だってすぐわかったんだけど?」
誰でも解ける暗号だからって誰でも見ていいわけじゃない。
「こんなのさっさと読めばいいじゃない!」
そう言って成海はその日記帳を持って逃げようとした。
「待って!」
私は追いかけた。成海がどこへ向かっているのかわからなかったけれど、日が夕暮れに染まって来ているのがわかった。
まずい!もうすぐ日が暮れる。早く山を下りないと!
「成海!待ってよ!ロボ太の気持ちも考えてよ!わざわざこんな所に置くんだから読まれたく無かったんだよ!」
そう後ろから成海に声をかけると、急な坂を登った所で成海は立ち止まった。
「やっと止まってくれた……」
坂を走って登ったら少し息が切れた。
「もう日が暮れる。山を降りよう?降りてから話し合おう」
「何を?」
「その日記を見るかどうか」
私の説得に静かに成海は怒りの表情を見せた。
「どうして自分だけが見る権利があると思うの?」
「え……?」
そうは思って無かったけれど……
成海は下を向いて小さな声で「あんたさえ来なければ……」と呟いた。
「え……?今、何て?」
「美織が来る直前、私は諒太と約束してた。一緒にこの村を出ようって」
……………………は?
その衝撃的発言に口が塞がらなかった。
「それなのに諒太は約束を破って急にここに残るっていい始めた。一緒に村を出るって、一緒に未来を切り開いて行こうって……そうゆう事じゃないの?」
成海の気持ちはわからなくもない『一緒に村を出よう』と言われたら駆け落ちやプロポーズに聞こえる。ロボ太本人にその気が無くても、そう受け取ってしまう気持ちが痛いほどわかる。
やっと成海の気持ちが理解できた。成海が写真集に興味が無いのは好きな人がいたから。成海は私が好きなんじゃなくて、私の側にいたロボ太が好きだったんだ……
そう思うとあの一年半、どんな気持ちで私と接して来たんだろう?どんな気持ちで私の『ロボ太が忘れられない』という話を聞いて来たんだろう?
「ごめん……」
「謝って済む問題じゃないでしょ?」
「でも……私……全然知らなくて……」
わかってた。知らないという事はそれだけで罪だという事を。知らなかったんじゃない。知ろうとしなかった。
「だったらこの中身だって知らなくていいんじゃない?」
「それとこれとは別!私だって知りたい!ロボ太が誰の事を『愛しい君』と言っているのか私も知りたい!」
私は思わず成海の持っていた日記帳に手をかけた。
「いい加減にしてよ!!」
その手を振りほどこうと成海が手を強く引いた。その瞬間、私はバランスを崩した。
「うわっ!」
咄嗟に成海が私に手を差し出したように見えて、私はその時手を掴もうと手を伸ばそうとした。
でも成海の手は途中で……
私の胸を押した。
その瞬間、落ちてゆく風景がまるで時が止まりそうなくらいスローモーションに見えた。
落ちる!!
私は坂から転げ落ちそうになるのを何とか防ごうと、何かに捕まろうと手を伸ばした。何とか手に引っ掛かったのは、日記の入っていたビニール袋だけだった。
虚しくもビニール袋だけ手にしたまま、後ろから転げ落ちた。もうそろそろ止まる!と思った瞬間、崖のような段差から背中から落ちた。