37、助けて!
37、
私は叫んだ。
「助けて!!」
誰にも届かない事はわかってた。だけど、無我夢中でその名前を呼んでいた。
「ロボ太!!助けて!!」
小学生の頃は少し思い込みが激しい所があったと母に聞かされた事がある。それは今でも変わらず、思い込みや勘違いが多い。
もしあの時静ちゃんの話を信じていたら……
もしリョウの言う通り『悠莉さんに会ってはいけない』という約束を破らなければ……
私はこんな所で冷たい床で意識を失う事もなかった。愚かな自分に嫌気がさす。だけどそんな事後悔してももう遅い。
もうだめ…………
薄れゆく意識の中で聞こえた言葉が衝撃的だった。
「ストーカーなめんな!」
ああ、私、このままここで死ぬんだ……
その時、私の中に走馬灯のように未練が浮かび上がっては消えた。
静ちゃんを祝福してあげられなかった。
お父さんを許せなかった。
お母さんに少しも親孝行してない。
成海のウェディングドレス姿が見たかった。
体型なんか気にしないでもっと南さんの唐揚げを食べておけばよかった。
もう二度と着ないならもらったドレスを返せば良かった。
冷蔵庫に大好きなみかんのゼリーが入ったままだ。どうせ死ぬなら昨日全部食べておけばよかった。
あとは、あとは……
ロボ太。
もう一度……ロボ太に会いたかった。
ロボ太………ロボ太!!
頭の中で何度も何度もロボ太の名前を呼んだ。その返事が返って来る事は絶対に無いのに。
すると、返ってくるはずもない声が突然響いた。
「美織!!目を覚ませ!!」
誰!?誰の声?目を覚ませ!?それから何度も何度も私を呼ぶ声が聞こえた。
「美織!」「美織ちゃん!」「美織!」
美織……?ああ、私か。私の名前を呼ぶのは誰?
ぼやけた目をゆっくりと開けると……すぐに天井が目に入った。そして辺りを見渡すと、そこがどこだか理解できた。
そこは、変わらず悠莉さんの部屋だった。
ただ気を失う前と違うのは……心配そうに私を囲むようにリョウと佐江子さん、静ちゃんがいた。
「みんな………」
どうしてここに?と言おうとした瞬間、リョウに抱きしめられた。
「美織!!」
そう言ってリョウは強く私を抱きしめた。
「く、苦しい……」
「黙れ!黙れよ……」
しばらく抱きしめられていると、壊れるんじゃないかと思うほど早い胸の鼓動が聞こえた。
「大丈夫……?」
「それはこっちの台詞」
確かに心配をかけたのは私の方だ。
リョウ……少し痩せた?
「……ごめん。悠莉さんは?」
「警察に引き渡した」
記憶がぼやけているけど、悠莉さんに首を絞められた事だけは覚えてる。
「……梨華!梨華は!?」
一緒に来た梨華の姿をあれから一度も見ていない。もしかしたら悠莉さんは梨華も……
「大丈夫。梨華ちゃんも無事保護したよ」
梨華は湯船に寝かされたまま水を入れられていた。もし誰も助けに来なかったらと思うと……その事を後で聞かされた時はゾッとした。
そして後悔した。私はあの時、部屋で梨華を探す時に蓋の閉まった湯船の中までは見なかった。
「低体温性で危なかったけど、病院に運ばれたからもう大丈夫」
「助かったんだ……良かった!」
最悪の事態にならなくて良かった。胸を撫で下ろしていたらリョウに怒られた。
「良かったじゃねぇ!ふざけんな!」
すると静ちゃんが庇ってくれた。
「あんたがちゃんと説明しなかったからでしょ!?美織は何も知らなかったんだから!!」
何も知らなかった……?
「美織の訪ねた悠莉の本当の名前は菅野海里。彼は解離性同一症、多重人格だったの」
海里?それって……
「ごめん、私も知ったのは今日で……」
「海里って事は……男だったって事?」
「そう。でも女の人格もいたから完全に男とも言えないけれど、生物学的には男」
静ちゃんの言っていた『悠莉じゃなかったら』の意味が今わかった。
『別の人』ってそうゆう意味だったんだ……
少しつづ自分の行動を思い出して胃の下の方がスッと冷えるのがわかった。
正直……その写真を見た時はショックだった。悠莉さんに裏切られたショックと、これを他人に見られると思うと足元が崩れ落ちるような衝撃を受けた。
だけど……
女が女の裸の写真を撮るなんて気持ちが悪いとしか言いようが無い。……いや、他人の裸の写真を無断で撮るなんて信じられない。ましてやその写真で脅して他人を意のままに操ろうなんて……最低な人間のする事。
嘲笑う悠莉さんに対して、私は極力平然を装った。
「こんな写真を撮って何がしたいんですか?」
ただの嫌がらせにしては手が込みすぎてる。鍵を奪っただけじゃ飽き足りないという感じじゃない。
「じゃあ、こっちでゆっくり話をしようか?」
何も無いリビングに行くと悠莉さんはカーテンを閉めた。
「ここに蓮……リョウを連れて来てくれない?」
やっぱり……目的はリョウだった。
「……鍵を探します。鍵を見つけたら帰ります」
「話を聞けよ!!いいの?この写真拡散するよ?」
わかってはいたけど本当に脅されると怖くなった。でもここで弱気になったら逃げるチャンスが無くなる。どうにかここから逃げる事を諦めたくない。
写真を拡散されても今すぐ死ぬわけじゃない。社会的に死ぬかもしれないけど……今すぐじゃない。
相手は自分の人としての尊厳とリョウの存在を天秤にかけさせて自分の方を選ばせようとしてる。なんて最低なんだろう?
軽蔑の目を悠莉さんに向けていると、悠莉さんはこんな事を言い出した。
「それに鍵はもうここには無いし。もうとっくに返したから探しても無駄」
返した?最初からここには無かった?
でも『探しても無駄』という言葉より『返した』という言葉に違和感を覚えた。
「返したって誰に?誰に返したの?」
悠莉さんはリョウの居場所を知らない。リョウは鍵を取り返したとは言って無い。じゃあ……今鍵を持っているのは誰……?
「知らない。鍵を返したのは別の人だし」
返したと言うなら『元々持っていた人』を知っていたという事。
「別の人?じゃあ、その返した人は誰?」
悠莉さんは面倒くさそうな顔をして私を睨み付けた。
「誰かなんて言う必要ある?お前、自分の置かれてる状況がわかってる?」
「もし……私が連絡を取ってもリョウがここに来なかったらどうするんですか?」
「じゃ、ここで死ぬだけ」
………………はぁ?
「私を殺したら捕まりますよ?静ちゃんにここに来る事は伝えてあります」
そんなに簡単に人を殺せると思ってるの?
「それって死体が見つかればの話でしょ?」
「見つからない様にする事なんてできるわけがない」
怖い……この人、普通の人の思考じゃない。
「殺すのも運ぶのも私じゃないし」
他に誰かいるって事……?辺りを見渡してもやっぱり誰かいる気配は無い。
そういえば梨華!!
「梨華は!?」
「うるさい!!いいからさっさとリョウに連絡しろ!」
私は持っていたスマホで警察に通報しようとすると悠莉さんに釘を刺された。
「通報してもいいけど、この写真のデータは私の手元には無いからね?あんたが勝手に押し掛けて来て被害者ぶってるって釈明してあげる」
確かにここに来たのは自分からだ。悠莉さんが来させた事実もやり取りの証拠も無い。悪まで悠莉さんが奪ったのは鍵で、それも確証が無い。
客観的に見たら、完全に私の方が一方的に悠莉さんに固執している様に見える。確実に通報したら不利なのは私の方だった。
私は仕方がなく言われるままリョウに電話をかけた。
「……リョウ?悠莉さんの部屋に来て」
すると悠莉さんは私のスマホを強引に奪って言った。
「来ないとこの女殺すよ?殺してお前の故郷に送ってやるよ」
故郷に送る……?
そう疑問に思っていたら突然インターホンが鳴った。
静ちゃんだ!!
悠莉さんは私のスマホを持ったままインターホンの方を見つめた。すると、そのスマホを床に落とすと「拾えば?」と言った。
何としてでも静ちゃんと連絡を取りたい私は慌ててそのスマホを拾おうとした。
もうすぐスマホを手にできる!としゃがみこんだ瞬間、悠莉さんの冷たい手が私の首に触れた。悠莉さんはそのままその手に力を入れて来た。
何とか抵抗して悠莉さんの腕を掴んだけど、その力は尋常じゃない強さだった。
苦しい……!助けて!!
必死に抵抗する間、ずっとインターホンが鳴り響いていた。