35、ため息
35、
今さらだけど、静ちゃんの後ろ姿はどこかあの女の人に似ている気がする。
7年前……父親の事務所で見た父親に抱きつく女の後ろ姿。
今思えばあれは若い女の人だった。長い黒髪の……そう、静ちゃんみたいな綺麗な黒髪だった。
そうだと確信する自分と、そんな訳がないと漠然と疑う自分がいる。
その事で頭がいっぱいでバイトに集中できなかった。
「白浜さん?どうした?」
ボーッとする私に声をかけてくれたのは、なんと山本君だった。あれから山本君は頑なに閉ざされていた心の扉を少し、少ぉーーーーしだけ開いた気がした。この隙間からなんとかこじ開けてフルオープンにならないかと模索中だった。
「山本君はさ、信じてた人が思っていた人とは違ってショック!ガッカリ~ってなった事ある?」
「ない。そもそもそんなに他人の事を信じてない」
ハッキリ言うなぁ……
「でも、仲良くなったり、この人好きだなぁって思う事はあるでしょ?」
「………………」
「え?それも無いの!?」
今時の若者って……そんなに淡白!?そうは言っても歳は1つしか違わないけど。
「その人がやっぱり無いなーって思う事があったら?フェードアウトしか無いのかなー?」
「そんなのは普通、良い面と嫌な面、両面を天秤にかけて決めるもんじゃないの?」
「そっか……そうだよね」
静ちゃんと過ごして楽しかった時間もあるし、救われた事があるのも事実。それが例え父親の相手だったとしても……
「でも、でもでもでも、何で私に近づいた!?って話なのよ!!」
「どうでもいいけど、三番に早くポテサラ」
「はい喜んでーーーー!」
思わずよくある居酒屋風の返事をしてポテサラを運んだ。
数々のミスをしてやっとクローズまで働いた。
「今日はここまで。お疲れ様でした。みんな気をつけて帰ってね~!」
「お疲れ様でした~」
今日はなんだか疲れた……
着替えて帰り支度を済ませ裏口から店の外に出ると、肌にまとわりつくような蒸し暑さだった。もう夏も目の前まで迫っているようだった。
「……お疲れ様でした」
「!?」
薄暗い裏路地から突然話しかけられて驚いた。
「その声は山本君?」
「南さんが途中まで一緒に帰れって」
南さんは狙ってシフトを組んでいるんだろうか?そんな事を考えているとだんだん目が慣れてきた。すると山本君の顔がちゃんと見えるようになってきた。
「俺は別にいいっすよ?もし俺に何かあったら白浜さんのせいになるんで」
「人のせいにしないでよ!何かあったらこっちも嫌だよ!無事に帰宅しなよ!」
逆に私に何かあっても自分の責任じゃないとか言いそう。こいつ絶対に責任取りたくないんだな!なんか腹立つ!
「そんなに私と一緒に帰りたくないわけ!?」
「まぁ……白浜さん、なんか面倒くさい話するし……」
「すみませんね!あの話はもういいから今すぐ忘れて!」
山本君、一緒に帰るのすっごい嫌そう……目が死んでる。無の顔。これが『スン』か!これが俗に言う死んだ魚の目ってやつか!
「後で南さんに色々言われるのも嫌なんでとりあえず駅まで」
「はいはい、そうですね」
山本君は私を置いて先に歩き始めた。
「結局……」
「え?何?」
「…………何でもないっす」
何でもないって何!?絶対聞き出さなきゃ気持ち悪いやつ!
「いいから言って。言わなきゃ南さんに丸ちゃんと山本君が一緒にシフト入れるようにお願いするよ?」
山本君は最近新しく入って来た丸山さんが苦手だ。誰が見てもわかるくらい丸山さんは山本君に猛アタックしている。あの押しの強さにウンザリしている山本君の様子も南さんと生暖かい目で見守っている。
「チッ!卑怯者め」
卑怯と何と言われようと聞き出したやろうじゃない!ついでにお前の心の扉も無理やりこじ開けてやろうじゃないの!!
「結局、何なの!?」
山本君は大きなため息をついて言った。
「結局、自分が許せるかどうかじゃないっすか?」
許せるか……?
思わずキョトンとしてしまった。
静ちゃんを許せる?
「いやいや!無理だよ!だって私と10しか違わないんだよ!?もし、もしだよ?万が一、静ちゃんが父親と再婚したらだよ?大学の同級生が義理のお母さんだよ!?継母は同級生ってそれってどうなの!?」
「は………………!?」
山本君は私の話に衝撃を受けて思わず足を止めていた。
「てっきり彼氏の話かと思った」
「彼氏!?いつ彼氏って言った?女だよ!しかも大学の友達だよ!親友だよ!!」
「友達が義理の母親とか……ヘビーな話ぶっ込んできやがる」
私は今度は呆然とする山本君を置いて先に歩き始めた。
「ヘビーでしょ?これ軽く許せるとか許せないとかの範疇越えてない!?私静ちゃんの恋愛話とか全然聞いた事無いけど……静ちゃんの恋愛トーク、今後どんな気持ちで聞けばいいわけ?」
溜まったモヤモヤを何故か山本君にぶちまけた。
「万が一、私は許せたとしてよ?お母さんは?お母さんに黙って静ちゃんと仲良くするなんて……帰省してお母さんの顔見たら罪悪感で毎晩うなされるわ!」
後ろからついてきた山本君は後ろからこんな事を投げ掛けてきた。
「それをどうにかこうにか折り合いをつけてやり過ごすのが大人なんじゃないっすか?」
「折り合いぃいいい!?……難易度高っ」
簡単に折り合いをつけられる人なんているの?大人だったらそれができるの?
「俺としてはやり過ごせるかどうかが重要だと思ってるけど」
やり過ごすって……それじゃ解決になってなくない!?
「やり過ごせるほど度量も無いし、許せるかどうか自信も無いよぉおおおお!私、そんなに人間できてないよぉおおおお!」
「知ってる」
「そこはフォローしてよ!」
解決したくてもどう解決すればいいのかわからない。
「私に近づいてきたって事はさ……やっぱり、結婚したいからじゃないのかな?」
「それ、いつまで聞かされるんすか?終電乗りたいんですけど」
「あ、ごめん!」
話し込んでいたらいつの間にか駅についていて、改札を通って最終電車に乗れた。1つだけ席が空いていて、山本君が自分の方が早く降りるからと言って私に譲ってくれた。
「はぁ……」
「またため息ついてる。今日何回目だよ……」
「だって!……もういいや」
これ以上は山本君も聞きたくないだろうと口をつぐんだ。私の目の前に立った山本君を見ると気まずくなって、暗い窓の外に目を向けた。
「他人から言わせてもらえば、白浜さんの反応が結構面白いっす」
「ちょっと!どうゆう事!?」
そう言った瞬間、電車が少し揺れた。山本君はつり革に捕まるとこんな事を言い出した。
「俺、人生の8割は事前の準備で決まると思ってるんです。でも残りの2割で覆される事も結構あって……」
「その2割は運って事?」
「まぁ、そんなもん。その覆された想定外の出来事を拒絶するか受け入れるか、絶望ととるか面白いと思うか」
静ちゃんが父親の相手という想定外の出来事。それに絶望するのか、面白いと言って面白がるのか……
いや!面白がれるか!!
その後山本君の降りる駅に着いた時、降り際に山本君は余計な一言を投げて下車していった。
「まぁ、せいぜいお父さんと結婚したいって言われた時の事を考えて、ため息の準備でもしといたらいいんじゃないですか?お疲れ様でした」
「ため息なんて準備するもんじゃないでしょ!?」
静ちゃんにそう言われてため息なんかつかないし!! そう、ため息なんかついていられないし!
あいつ……もしかしてあれで励ましてるつもりなのか?