19、最後の言葉
19、
昼下がりの駅前のカフェは、おそらく同じ大学の女子大生で賑わっていた。私はフラペチーノを一口吸って、こんな所にロボ太を呼んだ事を後悔した。
周りの視線が痛い。わかってる。今のロボ太は人の目を引く。そんなロボ太は素知らぬ顔でホットコーヒーを飲んでいた。私を品定めする女子に叫んでやりたかった。
「こいつ顔はいいけどグズなんです!!」
なんて叫ぶ度胸もあるはずもなく……私はさりげなく静ちゃんと成海の座る斜め前の席の方に目線を送った。二人の姿が見えると、わずかに気持ちが安定した。静ちゃんは口パクで「頑張れ!」と言っていた。
頑張れって……どう頑張れと……?
成海が地元に帰る前にもう一度ロボ太を見たいという話から、静ちゃんも見てみたいと便乗してロボ太を大学の最寄り駅のカフェに呼び出した。
「あのさ……成海の事なんだけど……」
私がそう口を開くと、ロボ太は食い気味に「何か聞けたのか?」と言った。
「聞けたは聞けたけど……知りたい内容とはあんまり関係無いと思う」
「そんなの聞いてみなきゃわからない」
「それはそうだけど……」
この前のファミレスで成海は食後に「そういえばお祖父さんの事……」と言って栄造さんから聞いた事を教えてくれた。
「あの後病室に行って、やっぱり何もかける言葉が無くて……結局甲皮族について何か知ってるか聞いてみたの」
成海はパスタを巻いていた手を一旦止めて、お水を一口飲んで口の中を整えた。
「そしたらあのジジイ……」
「いやあのジジイて」
初っぱなから成海のジジイ発言に思わずツッコんでしまった。
「急にトンチンカンな事言い出してさ……村の事、美代子の事は捨てろ。だってさ。あ、美代子はうちの母の事ね」
お母さんを捨てろ……?
お祖父さんの言葉は私にとっても意外だった。あの田舎では親の面倒を見るのは子供の最重要事項。つまりはお母さんの事は一人娘の成海の役目。そうゆう無言の圧力があった。
「村を出て好きな所へ行け。後悔は自らの首を締めるだけだ」
栄造さんには後悔する事があった?それはどんな後悔?……そう思える言葉だった。
「そう言われて……言い方悪いけど、私、母を捨てる覚悟ができたの」
成海のママは毒親とまではいかないけれど、なるべく娘を近くに置きたいという束縛が強い印象だった。それは娘が心配な親としては当然だとは思う。だけど、そのせいで成海は将来の選択肢が限られていた。あの田舎では家から近い学校なんて選べるほど存在しない。働く場所だって少ない。
「あの日、数日前に遠恋の彼にね、結婚したいって言われてたんだ」
「えぇえええ!?結婚!?」
「だって成海ちゃんまだ19でしょ!?」
どうやら成海の『その先が無い』という言葉は、そのプロポーズされた彼とは結婚できないという意味だったらしい。
「でも結婚って年齢でするもんじやなくない?私は学生じゃないし、相手は28歳で一般的に結婚してもおかしく無い年齢。だけど……母が……」
成海はお母さんに9歳も年上との結婚を反対されていたらしい。
「歳が離れてるし、私が若すぎるからって理由ならなんとなくわかる。だけど……反対の理由が『自分から離れて行く結婚自体が受け入れられない』って感じで……」
黙って聞いていた静ちゃんがアイスティーを置いて口を挟んだ。
「じゃあ……その、逆に『お母さんの束縛から離れたいから結婚したい』ってゆう……そうゆう気持ちで結婚決めたとかでは無い?」
「まぁ、正直それが全く無いって言ったら嘘になるけど……普通に……彼の事は好きだから……」
少し恥ずかしそうに微笑んだ成海が、なんだか物凄く可愛く見えた。元々可愛い子ではあったけど「この後会う約束なんだ」と嬉しそうに話す笑顔がキラキラ輝いていた。
「別に母を捨てるって言っても、駆け落ちしてまで結婚を強行するつもりはないよ。ただ……彼と付き合うまではお母さんに依存されてても、自分がただ必要とされてるだけって思ってやり過ごして来たけど……」
やり過ごして来た。確かにずっと成海はやり過ごして来た気がする。高校生になった頃、やっと自分の母親の過干渉に気がついたみたいで、母親には内緒で今の彼と付き合った。高校を卒業して地元に戻ったタイミングで彼も転勤になり、遠距離恋愛が始まったらしい。
周りから見ても成海ママの距離感は少し気になるレベルだった。実際のところはどうだったのかはわからない。だけど、そのお母さんから離れるとなると……事はそう簡単にはいかないのかもしれない。
「いざ母と離れようと思ってもなかなかうまくいかなくて……だからあのジジイ……」
「いやだからジジイて」
「だって散々私に金丸とは付き合うな!とか、家の為に婿を取れ!とか無茶苦茶言ってたのに……最後の最後で……あんな事言う?って感じ」
頑固で家を守る意識の強い厄介な老人。成海にとってそんな存在だった祖父に、きっぱりと「母を捨てて村を出ろ」と言われた。きっとそれは母との関係に悩む成海にとって、孫として純粋に背中を押される言葉だった。
「あのジジイ……あんなにヨボヨボになってもお母さんと私の事、ちゃんと見えてたって事だよね」
成海は苦笑いで「ちょっと見直した」と言った。でもすぐに「でも嫌い許せない」とも言った。
「まぁ、でも……初めてかも。老人の話が聞けて良かったって思ったのは。美織、ありがとうね」
私は「私は何もしてないよ」と言って首を横に振った。結局、私は成海に何もできなかった。だけど成海の中で恨みや後悔が大きく残らずお別れできた。そう思えたら正直安心した。
でも残念ながら栄造さんの最後言葉は成海の母や叔母、成海以外の親族には誰一人届かなかったらしい。栄造さんが何を言ったのか理解できたのは成海にだけ。
「結局あのジジイの言葉に興味ある奴なんかうちにはいなかったって事」
最後の言葉を誰も聞き取れなかった事で『祖父の最後の言葉を知りたかった』と言う人は誰もいなかったらしい。
「それはそれでなんだか悲しいね……」
「当然っちゃ当然でしょ。最後の時って生前の態度が物言うでしょ」
『あのジジイは嫌われ者だったんだよ』成海ははっきりとそう言っていた。あの嫌われ者が『栄造の映像はえいぞ~』って言うんだからドン引き。
「だってドラマとかでは普通、みんなで手を取り合ってお爺ちゃんありがとう!とか言うでしょ?でも……うちの親族誰も側に行かなかったんだよね。ジジイもジジイで最後の最後で家族が家族を捨てろなんて言う!?」
「まあ、確かに……普通はお母さんを大切に。とか言うよね」
「普通じゃないよ、うちの家族は……うちの親族って言うより……あの村なのかな?」
あの村を出て初めて気がつく。何とも言えない違和感。
「普通じゃないって……どう変わってるの?」
「具体的には説明できないんだけど、何て言うか……冷たい?」
他人と深く関わる事無く、外部を寄せ付けない。田舎の普通を知らない私は田舎はそうゆうものだと思っていた。
「私の印象では古いってゆうか……遅れてる?のかな?」
「わかる。時代錯誤な考え方の人が多い。閉鎖的な事は確実」
きっと『普通じゃない』は違うんだと思う。そこには人の気持ちの自然な流れがあって、栄造さんを想えば自然と涙が出るはず。その手を握りたいと思うはず。成海のように許せない気持ちがあれば動けず立ちすくむかもしれない。
そんな話をロボ太に延々としていると、ロボ太は興味無さそうにスマホをいじっている事に気がついた。気がつけばロボ太と私の観察に飽きたのか、はたまた他の用事の時間になったからなのか、私達を見る女子が減っていた。
「ほらね?甲皮族とは関係無さそうでしょ?」
「いや?あの家を守る事しか考えてない爺さんが急に孫を外に嫁に出そうとするか?」
「外に嫁に出さないとか……そんな話、今時あり得る?それいつの話?今令和だよ?」
人の考えや発言が変わるのだって自然な流れ。
「そうだよな。時代は変わる。時が経てば変化がある」
「ロボ太はこんな風に変わって欲しく無かったけどね……」
「美織はなんで変わらないの?」
え……?
「女同士でつるんで結託して、策略立てて……昔と変わらないな」
「ちょっと待って?昔の事まだ怒ってる?」
「今現在の事だけど?」
そう言ってロボ太は先に一人でカフェを出て行ってしまった。