12、沼
12、
母に電話をしても繋がらなかった。何度も何度もかけたけど……その声を聞く事ができなかった。
離婚の原因が本当は何だったのか、本当にあの村がもう無いという事が事実かどうか、それも確認できなかった。
何だか不安で……不安で不安でたまらない…………
「いてててててて!痛い痛い!」
気がつくと思わずロボ太の腕を握っていた。
「あ、ごめん!」
慌ててロボ太の腕を離すと、ロボ太は前を向いたまま言った。
「イチャつきたい気持ちはわかるけど、今見ての通り運転中なんだよね」
「いやいや違うから!」
別にイチャつきたいわけじゃないし!
日ノ宮病院へは車で向かう事になった。これが誰の車なのかは謎だけど、やり場の無い不安にぎゅっと力いっぱいシートベルトを握り締めた。
「不安なんだよね?どうしてついて来たの?」
ロボ太には何度も帰るように言われたけど、まだ帰れない。私はそれっぽい理由を探した。
「その傷は父の過失。代わりに私が責任を持って病院に付き添います」
「いやでも運転してるの俺だからね?」
そう、私は助手席に乗っているだけ。
正直ロボ太が免許を持っていた事に驚いた。でも、免許証を見るチャンスがあれば、本当のロボ太かどうか確かめられる。今は元研究員に話を聞くふりをして、いつかこの男の正体を暴ける!!
ふとロボ太を見ると、腕に巻かれたタオルが目に入った。何だか包帯に見えるタオルが痛々しい。
「傷……大丈夫?」
心配になってそう聞いてみたけど……
「全っ然大丈夫じゃない。めっちゃくちゃ痛い!あー死にそう!」
「ふーん。死ぬかどうかもう一度握ってみようか?」
私の提案にロボ太は小刻みに首を横に振った。車を運転できるなら大した事は無いとは思うけど……
「あのバカ親父、無茶苦茶だよ!!」
「いいや。優しいだろ。俺をより安全に行かせる為にこうしてくれたんだ」
「はぁ?」
ロボ太は父親の意図を私に説明した。
「ただ情報を教えてしまえば俺が普通に病院を訪ねるだろ?そうすれば何か嗅ぎ回っている事がバレる。だけど患者として行けば……正当な理由ができる」
確かに、日ノ宮病院にかかれば治療費を出すような事を言ってたかも。さっきの事を思い返すと……
『あいつが何故死んだのか突き止めるまでは終われない』
ロボ太がそう言った事を思い出した。
「ねぇ、前に行方不明の友達を探して欲しいって言ってたけど……それも嘘?」
「それは別に嘘じゃない。行方不明は本当だ。ただ……死んでる可能性の方が高くなった」
「どうして……?」
その問いには決して答えてはくれなかった。
もしかして、その友達はロボ太と一緒に甲皮族の秘密を暴こうとして巻き込まれて……
私も同じように行方不明になったら、ロボ太はこんな風に必死に探してくれるのかな?
「甲皮族に関わる人間は次々に不審な死に方をしている。だから美織、約束通りここまで」
いつの間にか車は私のマンションの前まで来ていた。
「病院に向かってたんじゃないの?!」
「途中から引き返した。やっぱり美織を連れて行けない」
「ちょっと待ってよ!」
ロボ太が私なシートベルトを外そうと手を伸ばしてきた。私はとっさに伸びた手の下に自分の手を滑り込ませた。でもその手はあっさりと捕まれ退かされ、カチャッと音を立ててシートベルトが外された。
「はい。降りて。美織の仕事はここまで。ありがとうお疲れ様」
ここで車を降りれば、またいつもの毎日に戻る。大学へ行ったりバイトしたり、静ちゃんとくだらないおしゃべりして笑い合って……
ふと、佐江子さんの言葉を思い出した。
『蓮は沼だよ』
今ならまだいつもの日常に戻れる。ロボ太の事も、あの村の事も全部忘れて……
「美織……?」
ロボ太に声をかけられて、ふと気がついた。
本当に忘れられる?今までずっと、あれだけロボ太を忘れられなかったのに……
それに、まだこの人がロボ太かどうか確かめられてない!!
沼に足を踏み入れる感覚がした。
泥の沼か底の無い沼か毒の沼か……全くわからないまま……
「嫌。降りない。ロボ太かどうか確かめるまで……」
「だから、俺はロボ太じゃないって言ったよね?」
私の一言にロボ太は急に不機嫌になった。
「ロボ太ロボ太っていい加減にしろよ。俺は何度もリョウだって言ってるんだけど?」
「だったら本当の名前教えてよ!どうして諒太から呼び名を取ったりするの!?私はロボ太の事『リョウ』だなんて呼びたくない!」
ロボ太を『ロボ太』と呼び続ければ、ずっとずっと私達の関係は変わらない気がした。ずっと友達で、独占欲も嫉妬心も無い。ロボ太の事を『恋心』だと認めずにいられる。
多分ロボ太の事を男として好きだと認識した時点で私の恋は終わる。このまま目の前のこの人をロボ太と呼び続ければ、ロボ太を『友達』として好きでいられる。
友達だったあの頃と変わらないままでいられる。
「もう一度言う。俺はロボ太じゃない。これだけは嘘じゃない」
「ロボ太じゃないなら誰なの?」
人は隠されれば隠されるほど、真実を知りたくなる。その沼に浸かってゆく。
ロボ太は大きくため息をついて「だったら蓮だって言ったら信じるのかよ……」と小声で呟いた
「それも信じない……」
「なんでだよ!」
「私はロボ太のまま……友達でいたいから」
わかってる『友達でいたい』は『恋人になりたい』の裏返しだ。
「それどうゆう意味……」
ロボ太がそう言いかけた瞬間、電話がかかってきた。
「お母さんからだ!ちょっと待ってて」
私はロボ太の前に手をかざして母の電話に出た。
「お母さん!?」
「どうしたの?こんなに着信残して……何かあったの?」
「お父さんに会った、村が無いって本当なの?ロボ太は今どこにいるか知ってる?」
訊きたい事が山積みで、気がつくとお母さんに早口で質問を投入していた。
「ちょ、ちょっと待って美織」
案の定、お母さんは困惑していた。隣にいたロボ太は電話の内容が気になるらしく、耳を近づけてくる。その頭を離すと、一旦気持ちを落ち着いて母に訊いた。
「村が無いって……お母さん今どこにいるの?」
「ああ、村は無いけど家はあるのよ」
「はぁ?」
母の話によると、高台にあったうちとロボ太の家はダムの建設範囲には入らず今も存在するらしい。
「え……仕事は?」
「村から離れた診療所に一時間かけて通ってるのよ~あれ?言わなかったっけ?」
「聞いて無いよ!どうして引っ越さないの?!」
母の中に引っ越すという選択肢があれば、村が無くなるという話も出て来てもおかしくないのに……
「だってあの家が無いと美織が帰る場所が無いでしょ?」
「何言ってるの?お母さんがいる所が帰る所だよ!」
今さらあの土地にこだわる必要なんて無い気もする。だけど……ロボ太のお母さん、初枝さんは母の友達だった。私とロボ太が一緒に過ごすようになって、自然とママ同士も仲良くなっていた。
「ロボ太は?行方不明とか?」
「行方不明……?さぁ?そんな話は聞いて無いけど……」
母が何か隠しているとは思えなかった。でも、もしロボ太があの村にいるなら……目の前のこの人はロボ太じゃない。
一度あの村へ行って確かめる……?