第八話
コーラル海賊団の朝は早い。そこからすぐに開帆するのかといえば、そういうわけではない。というのも、支度の時間の七割は化粧や着替えなどの身支度に費やすからだ。船を出すギリギリまで寝て、朝ごはんだけ素早く食べて船を出すイサリビィ海賊団とは根本的に違う。
コーラル海賊団は食事より何より、鏡を見ている時間が一番長いので、その間リットは何をして時間を潰そうかと考えていた。
普段のリットなら、ためらいもせずにもう一度眠るのだが、人魚達のお喋りがピーチクパーチクとうるさいせいで、とてもじゃないが眠れるような状況ではなかった。
なにか食べるものでもないかと、勝手にコーラル・リーフ号に乗ってうろついていると、バゴダスもリットと同じようにふらふらとうろついてるところだった。
「自分の船で迷子になったのか?」
リットに呼び止められ、バゴダスはカラフルに汚れた白い布をリットに向けた。
「バカ言え。自分の船で迷う海賊なんぞいるか。仮にもこの船の副船長なんだぞ、オレは。あと、掃除係兼、コックも兼だ。それと雑用も兼用してる。今は掃除中ってわけだ。見ろ、あちこちに化粧の汚れがうつって酷いもんだ……。夜だと暗くてよく見えないし、昼だとまた新しく化粧の汚れがつくからな。化粧汚れを落とすには朝しかないんだ」
バゴダスはため息をつくと、布で汚れを念入りに拭き取り始めた。
「よくそんな性格で、海賊なんかやってんな。それも女ばかりの海賊でよ」
「何言ってるんだ。リットだって女ばかりのイサリビィ海賊団の一員だろう。テレスが言ってたぞ、酒をかっくらって、ワガママばかり言って、気ままに船を出させて、人をなめてばかりる。誰よりも海賊らしかったって話だ」
「オレのはただの成り行きだ。海賊になるのが目的じゃなかった」
「オレも成り行きだ。本当はマーメイドハープの修理を頼まれただけなんだが、ここの人魚達の生活能力は皆無だ。オレがやらなければ、海に魚の死体を乗せた船を漂わせることになると思って世話を焼き始めたら、いつの間にか副船長になっていたというわけだ」
「よくあんな人魚達の世話なんてする気になったな」
「あの光景を見れば誰でも手を貸す。船が動くと、食べ残したゴミを漁りに来た海鳥の大群も空で一緒に動くんだぞ。初めは雨雲がずっと付いてきたのかと思ったくらいだ」
バゴダスは壁の拭き掃除を終えると、朝ごはんがまだということに気付き、なにか作ってやるからついてこいと言った。
その移動の間も、料理を作っている最中もバゴダスの話は続いた。
コーラル海賊団とイサリビィ海賊団の出会いはたまたまだ。まだ縄張り意識の薄い海賊団を立ち上げたばかり頃に、セイリンが船長のボーン・ドレス号に出くわした。お互いに攻撃をすることもなく、挨拶をすることもなかった。上陸予定のない島を通り過ぎるように、船が流れていく。ただそれだけだ。
目的もなく海賊同士が争ったところで、あるのは利益ではなく被害だけ。なんの意味もないことをする必要がない――というのがセイリンの考えだからだ。
その話をティナが聞いたのは、『難破船』という昆布のアルラウネが開いている海の種族やハーピィなどがよく来る店でだ。酒場でもあり取引の場でもあるこの店は、海賊御用達の店でもある。
初対面で、言わば商売敵の海賊というのに、快く隣の席を許すセイリンに、ティナは驚きと尊敬の念抱いた。何事にも動じずに冷静でいるセイリンに、理想の海賊の姿を見たからだ。
なので次に海でボーン・ドレス号を見かけた時に、挨拶代わりに砲台を撃ったのだが、それが間違いだった。
その船に乗って指揮を執っていたのはセイリンではなく、副船長のアリスだったからだ。
発砲に攻撃の意思有りと判断したアリスは、コーラル・リーフ号に向けてすかさず撃ち返した。
そのことが原因で、縄張り争いが始まり今尚続いている。
海の一部が闇に呑まれたことにより、一度は顔を突き合わせることはなくなったが、闇に呑まれるという現象が解決されて、海は平穏を取り戻したので再び縄張り争いが始まったということだ。
二人の仲を取り持とうと、一度バゴダスはイサリビィ海賊団にコンタクトをとったことがある。その時に知り合ったのがテレスで、お互いに本気で船を沈めようとしているわけではないとわかったので、誤解を解かずに今のままのしておいたほうが、二人の性格上息抜きになるということで合意した。
やりすぎたり、誤解が生じないように、テレスとバゴダスは今でも定期的に連絡を取り合っているということだ。
「ちなみにだが、イサリビィ海賊団の大砲は火薬だが、うちはマーメイド・ハープを使って水の魔法の力で砲弾を発射している。煙に見えるのは水しぶきだ。火薬なんて使ったら、あっという間に金がなくなる。よくあんなにバンバン撃てるものだ。他の船から奪うにしても、派手にやりすぎるとあちこちに目をつけられる。まぁ……だから、イサリビィ海賊団との縄張り争いが息抜きになっているんだ」
バゴダスは焼き貝と海藻を魚の内臓で和えた物をリットに出しながら言った。
「あっちは訳ありだからな。火薬がお似合いなんだよ」
セイリンは人間とマーメイドのハーフではなく、人間とメロウのハーフだ。同じ人魚ではあるが、種族は違う。メロウはマーメイドハープを弾いても、その音色の力が持つ魔法を使うことは出来ないので、火薬で砲弾を飛ばすというのがイサリビィ海賊団のやり方だ。
部下の人魚達はマーメイドハープで魔法の音色を奏でることが出来るが、副船長のアリスとテレスの二人共スキュラなので、マーメイドハープを弾くことが出来ない。
なにより、アリスは空に穴をあけるような爆発の音がお気に入りなので、火薬を使うのになんの文句もなかった。
リットはそのへんの事情をだいたいだが知っているのでなんとも思わなかったが、バゴダスにしてみればなぜ火薬を使うのかは謎だった。
「イサリビィ海賊団も、うちと同じで変わり者が多いからな……」ということで落ち着いている。「ところで、船は貰えそうなのか?」
「さぁな、本人を連れて来いとよ。話はそれからだそうだ」
リットは料理を適当に口に運びながら、船室の窓から見える景色を意味もなく見ていた。
「そうか……ティナ船長はあるものにご執着中だからな。たぶんそのことを持ち出されると思うぞ」
「そのあるものってのはなんだ?――」
『――ユレイン船長の三角帽って知ってる?』
太陽が真上で力強く輝き、影がもっとも短くなった時。ある小島の砂浜でティナが言った。
砂浜には、持ち運んだ木製のテーブルが一つに椅子が四つ。
椅子に座っているのはアリスとマグダホン。それに、ティナとバゴダスだ。
リットはちょうど二組の海賊の中間に立つようにして、昨夜飲めなかった酒瓶に口をつけていた。
「知らんな……」と首をかしげるマグダホンを押しのけて、アリスが「おい! あの帽子を狙うつもりか!?」と盛大にツバを飛ばして叫んだ。
「アリスには関係ない話よ。そこのドワーフとの取引なんだから」ティナはテーブルに地図を一枚広げて、ある小島を指差した。「世界で一番最初の人魚の海賊『ユレイン船長』が眠る島よ。彼女のお墓には、生前に肌身離さず持っていた三角帽がたむけられているの。その三角帽を取ってきたら、船と交換してあげる」
「んなもん、自分で取ってきたほうが早えだろうよ」
リットが興味なさそうに呟いた。
地図に手書きされた墓の場所は、特に険しい場所ではなく、十分に歩いていけそうな場所にあった。
マグダホンは余計なことを言うなとリットに飛びかかるが、アリストティナは同時にため息をついた。
「歩いて行けるのなら、自分で取りに行ってるわ。自分の目でよく見なさいよ」
ティナは仰向けに倒れているリットの顔に地図を開いて置いた。
リットは起き上がると地図に目を通した。何の変哲もない小島に思えるのはリットが人間だからだ。墓の場所は小さな山の上で、そこには川はなく、人魚やスキュラが登るのは不可能だ。
「ティナ! あの三角帽はアタシが狙ってたんだぜ! 横取りしようとするとはどういうことだ!!」
「副船長に三角帽なんて荷が重いわよ。バンダナでも頭に巻いてなさいよ」
喧嘩を始める二人を無視して、マグダホンはリットに詰め寄った。
「リット……これはチャンスだぞ。ただ山に登って帽子を取って帰ってくるだけだ。あのアホ娘二人は気付いてないが、こんな簡単なことで船が貰えるんだ。これはもうやるしかないだろう」
「アホ親父は、あのアホ二人に足がないことを気付いてないのか? まぁ、楽勝なのは確かだな。酒でも飲んで応援しててやるよ」
リットは乾杯でもするように酒瓶を傾けたが、マグダホンがそれに乗っかることはなかった。
「何を言っているんだ、リット……。一人で山登りなんて寂しいに決まっているだろう」
「得もねぇのに付き合えるか。墓に埋まってる人魚が絶世の美女だったとしても死んでんだぞ。墓荒らしのために、わざわざ山を登れってのか?」
「海賊の墓なら、たむけの酒くらいあるかの知れんぞ」
「あのなぁ……そんな簡単なことで、オレがはいはいと動くとでも思ってるのか?」
「それは動いているとは言わんのか?」
マグダホンは地図に指先を這わせて、墓までのルート取りをしているリットの指をじっと見ながら言った。
「これは動いてるんじゃなくて考えてんだ。動くのは考え終わってからだ」
「それはまた……頼もしい限りだ」
「親子ともども世話をかけやがって……」
リットが地図とにらめっこしている間。アリスとティナの口喧嘩も止むことはなかった。マグダホンは手持ち無沙汰に顎ヒゲを撫でて、潮風と日光浴を存分に楽しんでいた。楽しみすぎて、いつの間にか寝息まで立てている。
バゴダスは座り時間が長く、尾びれが凝ったと椅子から降りると、砂浜に座り込んでいるリットの元まで這っていった。
「どうだ? 島のどこから入るにしても、うちの船で連れて行くぞ。うちとの取引だからな」
「ルートはだいたい決めたんだがよ。どうやって人魚が山を登ったのかと思ってな。もし途中で地図に載ってない大きな川とか湖に阻まれたら、オレとマグダホンじゃ渡るのは無理だからな」
「オレも詳しいことは知らないからな。そもそも人魚の海賊自体が歴史に珍しいものだ。ユレイン船長が存在しているのか、三角帽が本当にあるのかも怪しいもんだ」
「おい……不安になることを言うんじゃねぇよ。もしなかったらどうすんだよ」
「ティナ船長のことだから、船はくれないだろうな。そうなれば次の手を考えればいいだけだ」
「なら、次の手を打ちやすくするためにも、さっさと済ませるか……」
リトは地図を指すと、ここに連れて行ってほしいとバゴダスに伝えた。
ユレイン船長の墓がある島に停泊しているのは、コーラル・リーフ号だけではない。少し離れたところにボーン・ドレス号も停泊しており、アリスがリットに向かって「裏切り者! ここまで運んだ恩を忘れやがって!」と叫んでいた。
「リット、あんなのは気にしないことよ。負け犬の遠吠えなんだから」
まだ三角帽を手にしていないのに、ティナはもう既に勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「気にしちゃいねぇよ。明日の朝まであれを耳元で聞けってんなら気にするけどな」
今はまだ夕方前だが、今上陸しては夜に活動する時間が長くなってしまうので、三角帽探しは明日の朝になってから出発と決まった。
マグダホンは初めての小さな冒険を前に、まるでノーラのようにウキウキと支度をして、甲板と船室を行ったり来たりしていた。
ティナは「言っておくけど……アリスに三角帽を渡すなんていう裏切り行為をしたら許さないわよ」とリットを睨んでいった。
「絶対に裏切らねぇって宣言してやるから、向こうと取引をして酒をもらってきてくれよ。酒を飲まねぇ船なんて聞いたことねぇぞ」
「無理よ。海賊同士の取引なんてふっかけ合いなんだから、足元を見られるに決まってるでしょ。酔うと汗をかいて化粧が崩れるからお酒は嫌いなの」
「南の海なんて暑いところを活動の場にしてる癖になに言ってんだよ」
「よく私の顔を見なさい」と、ティナはキスでもしそうなほど顔を近づけた。「これが崩れてるように見える? 暑さには強いのよ。酔うと体温が上がって化粧が崩れるの」
「そんな見られねぇような顔してんか? 気にすんなよ。一杯酒を飲めば気にしなくなるし、二杯飲めば美人に思える」
「言っておくけど、私は美人よ。でも、この髪の色を見て」ティナはピンクと黄色の髪を指した。「この派手な髪色のせいで、化粧をしないと平凡に見えるのよ」
「たしかに平凡じゃねぇな。今じゃ立派な化け物だ。いい加減離れてくれねぇと、鼻がひん曲がりそうだ……」
化粧の臭いにリットが顔をしかめたので、ティナも顔をしかめて離れた。
「嫌な反応をする男ね……」
「これが正しい男の反応だ。凝った下着は脱がせるのに邪魔だし、厚化粧ってのは服にうつるからイラつくし、終わった後はさっさと寝てぇんだよ。これを一気に解決するには酒だ。下着を脱がせるのは楽しくなるし、化粧がうつっても気にしなくなる。終わった後はさっさと寝る言い訳ができる」
「そんなことで、お酒が出るとでも思ったの? それとも私をベッドに誘ってるわけ?」
「人魚はベッドなんか使わねぇだろ。酒を出せって言ってんだよ」
「飲まないから、ないって言ってるでしょ」
「なら、次も味方とは限んねぇってことは覚えといてくれ」
リットは昼間の酒を残しておけばよかったと思いながら、明日の支度をするために船室へ向かった。