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第六話

「おら! キビキビ働け!!」

 アリスの大声が響き渡ったのは海のど真ん中。声を妨げるものはなく、水平線の彼方に吸い込まれるようにわずかに残響を残した。

 怒っているわけではなく、むしろ逆に喜びの感情を含んだ声だった。

 マグダホンは風になびく顎ヒゲを押さえて「驚いた……」とつぶやいた。「船というのはこんなにスピードが出るものなのか……」

 ボーン・ドレス号は波をものともせずに、風を切ってぐんぐんと進んでいく。出航してから既に数十日が経っており、その間マグダホンはなにもかもに心を奪われていた。

 マグダホンはまだボーン・ドレス号を含めて、二つの船にしか乗ったことはないが、商船では味わえない自由な航海をありありと肌に感じたからだ。

「それはアタシの船が特別だからだぜ」アリスは自慢気に声を高くすると「おらおら! 気合が足りねぇぞ!!」と、甲板ではなく海に向かって怒鳴った。

 するとボーン・ドレス号は更に速度を増した。

 ボーン・ドレス号の帆はたたまれており、人魚がロープで引っ張って泳ぐことで、他の船には出せない速度を出している。どんな海流にも押し戻されることもなく、無風の状態でも船は波に逆らって進むことが出来るが、疲れ知らずというわけにはいかない。

 普段は隠れ家の孤島に入る時に、入り組んだ海流に流されないように使う手段だ。

 今全力で人魚達が船を牽引しているのは、マグダホンの素直な称賛を聞いたアリスが調子に乗ったからだ。

 航海に出てから何度も繰り返し、今日も既に三回目だ。人魚達もさすがに疲れてしまって、とうとう船の動きが止まってしまった。

「けっ……だらしねぇの」と吐き捨てるアリスの頭に、テレスの望遠鏡が振り下ろされた。

「目的の海域まで、まだまだかかるんですよ。こんなところで部下を疲れさせてどうするんですか」

 テレスが海面に向かって合図をすると、次々に人魚が海から船へと飛び乗ってきて、休憩を取り出した。

「鍛えてやってるんだよ。南の海賊に負けないようにな」

「個人的な感情に部下を巻き込んではいけません。ここからはアリスが一人で船を引くか、アリス一人で帆を張るかです」

「おい、テレス。偉そうなことを言ってるけどよ、頭が不在の時はアタシが船長代理だぜ」

「知っていますよ。私は副船長であり、航海士です。船の進路に口出す権利は十分あるはずです。いいですか? 三角航路とは違い、この辺りの海域まで来ると、商船や軍船の航路もわからないのです。フナノリ島もないので、物資の補給も手軽には出来ません。無駄な時間を過ごしてる暇はないのですよ。船長代理を名乗るならですね――」

「わーったよ! わかった……。帆を張ってくりゃいいんだろ」

 アリスは話が長くなってはかなわないと、触手を使ってするすると猿のように身軽にマストを登っていった。

「気を付けてください。アリスは調子に乗りやすいんですから」

 テレスはたしなめるように言ったが、マグダホンは不服そうに首を傾げた。

「褒めたのに怒られるなんて変な話だ。調子に乗るのはいいことだぞ。物事が上手くいっている証拠だ」

「アリスの舵を取る身にもなってください。時間ばかり取られては、マグダホンが欲しがってる海賊船の改造に苦戦することになりますよ」

 マグダホンがダジャレに大笑いするので、テレスは気分良くダジャレを続けた。すると、またマグダホンが笑うので、テレスは立て続けてダジャレを言う。いつの間にか周囲に人魚はいなくなっていた。

「……調子に乗りやすいのはテレスもじゃねぇか」

 今まで我関せずだったリットだが、あまりにもマグダホンの笑い声がうるさいので、床に転げ回るマグダホンを踏むようにして足で止めた。

「これは手痛いことを……って言いたいですね」と、テレスは懲りずに続けた。

 リットのため息をかき消すように、マグダホンは甲板の床を叩いて、笑いすぎて苦しそうにヒーヒー息を漏らしていた。

「オマエらに緊張感ってものはねぇのか? 言っとくけどな、オレに言われたらおしまいだぞ」

「リット……そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。リラックスしてください。リットはボーン・ドレス号に何度も乗っているではありませんか。それも我が物顔で」

「オレは南の海賊のことを言ってんだよ。セイリンは争ってないって言ってたけど、アリスは争ってんだろ? 砲弾でも撃たれて沈没してみろ。スキュラやら人魚やらは海に落ちようが問題ねぇけどな、オレとマグダホンは海に落ちたら海の藻屑だ」

「なにを言ってるんですか……たかが縄張り争いですよ。そんな危ないことをしませんよ……」

 テレスはリットの言っていることが理解できずに怪訝な表情を見せた。

「だから縄張り争いしてるって言ったじゃねぇかよ……」

「ですから、アリスだけですよ。リットが言っていたじゃありませんか。喧嘩仲間みたいなものですよ。南の海賊『コーラル海賊団』の船長『ティナ・バイカラー』は、セイリン船長に一目置いていますし、私とも敵対はしていません。むしろ向こうの副船長とは仲良くやっています。『バゴダス』という人魚で、なんと男なんです。男の人魚が深海の底から出てきて、海上で活動するのはとてもめずらしいんですよ」

「聞いたよ、前にテレスからな。男の人魚は深海でひたすらマーメイドハープを作ってる根暗だってな」

「さすがリットです。覚えていて偉いですよ」テレスは触手を使って複数の拍手を鳴らした。「そんなこんなで、リットが危険を感じることはないのです。だからといって交渉がスムーズに進むわけではありませんけど」

「そんな癖がある海賊なのか? そのティナって女は」

「アリスと喧嘩するくらいですよ。我の強さは同レベルです。ティナとの交渉に失敗したら、バゴダスを頼ったほうがいいかも知れません。きっと力になってくれますよ」

「良い仲でよろしくやってんだろ? いっそ最初からテレスが頼んでくれよ」

「良い仲ではなく、仲が良いんです。海賊には海賊のルールがあるので、それは出来ませんよ。まず船長に話を通すのが筋です。普通はリットのように、勝手に船に乗り込むような人はいません。どこかに売り飛ばされても文句は言えませんよ」

「そりゃまた……オレに価値があると思ってくれてるとは嬉しい限りだな」

「セイリン船長の大事な友人ですからね。未だにどういった経緯で知り合ったかは知りませんが……」

「男女の仲は複雑ってことにしといとくれ。もう、どこを話していいのか、ダメなのかも忘れちまったからな」

「海賊も同じです。海の上では陸よりも社会が複雑なんですよ」

「なに言ってんだ。海賊なんてルール無用の集まりじゃねぇか」

「そのとおりです。ですから、複雑なんです。独自のルールが二つ合わされば、衝突は避けられません。船も簡単には貰えません」

「まさか、ストリップでもしろってのか……」

 リットはセイリンが言っていたことを思い出して、ジョークじゃなかったらとゾッとした。だがそれは杞憂に終わった。

「リットがしたければ、おひねりくらいは投げますよ。それで船が貰えるとは思いませんが……。おそらく無理難題をふっかけられると思うので、そこは覚悟しておいたほうがいいですよ」

「覚悟って言ったってな……こっちはただの人間だ。出来ることは限られてる」

「私は出来るだけ協力するつもりですよ」

「協力ねぇ……。船を欲しがってる張本人がこのありさまだぞ……。おい、いつまで笑ってんだよ」

 リットは声を押し殺してしゃくりあげて笑い続けているマグダホンをつま先でつついた。

「笑いもするだろう……いやはや……まったく恐れ入った……。海賊とはユーモアに溢れているのだな……」

 マグダホンは笑い疲れてぐったりして寝転んだままそらを見上げた。その目には帆が風を孕み、空が動いているのが見えていた。

「あんなの泥酔してても笑わねぇよ……」

「では、今日にでも試してみましょう。今宵は陽気に酔う気です」

 またもテレスのダジャレとマグダホンの笑い声が響いたので、リットは声が聞こえない船内へと入っていった。



 それから時が経ち、一度の強風を乗り切った昼間。リットは海ではなく空を見下ろしていた。

「危険はないって言わなかったか……」

「大丈夫ですよ。現実問題リットは濡れてもいません」

 テレスは船横に張り付き、リットの左足を触手で絡み取って海に落ちるのを防いでいたが、リットの頭は海面スレスレのところにあった。

「オレは空を泳ぐ鳥を見るつもりも、海を飛ぶ魚を見るつもりもねぇんだよ」

「安心してください。すぐに引き上げますよ」

 テレスが言うのと同時に砲弾が発射される音が響き、ボーン・ドレス号を揺らすように着水したので、リットは船が傾く水しぶきによってずぶ濡れになってしまった。

「……なんか言いてぇことはあるか?」

「はい、あります。水に濡れたのは、私のミスですね」

「いいからさっさと引き上げろ」

 テレスはうねうねと触手を船横に這わせると、リットを抱えたまま甲板に戻った。

 リットが海に落ちそうになったのは、南の海賊――コーラル海賊団のせいだ。

 海上に不自然な狼煙が上がってるのを見付けたかと思うと、どちらからともなく砲弾の撃ち合いが始まった。お互い船に当てる気はないので、海に水しぶきが上がるだけだが、波と衝撃で船は大きく揺れるので、リットはバランスを崩して斜めになった甲板を滑り落ちていってしまったのだ

 もう一人の海に慣れていないマグダホンは、アリスの隣に立って「やれ!」という一言で、アリスもコーラル海賊団も、両方をいっぺんに煽っていた。

「もう少ししたら砲弾が止み、舌戦が始まるので待っていてください」

 テレスの言葉通り砲弾の音が聞こえなくなったかと思えば、アリスの口汚い暴言が響いた。中身はなく、上辺だけの悪口。相手からの反撃も似たようなもので、とてもじゃないがテレスの言う舌戦とは程遠かった。

 むしろリットには馴染み深い、酒場での喧嘩名物の意地の張り合いそのものだった。

「相変わらず、女だけの寂しい航海なの?」

 コーラル海賊団の船長のティナがバカにして言うと、アリスは待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべて、リットの首根っこを触手で掴んで自分より高く掲げた。

「男ならいるぜ! それも二人だ!!」と、リットに次いでマグダホンも触手で掴んで掲げた。「ティナ!! オマエのとこの男は、副船長たった一人だったなー!! こっちは倍だぜ! どうだ悔しいか?」

「んなことで悔しがるバカがいるかよ……」とリットは呆れていたが、向こうの船では歯を食いしばってキーキー喚いて悔しがっていた。

「リット、オマエもなんか言ってやれ、ムカつくこと言うのが得意だろ」

 アリスに言われ、リットが渋々向こうの海賊船に視線をやると、船長のティナが船首像の上に立って、こちらを睨んでいるのが見えた。

 ピンクの髪と黄色の髪が、七三分けできっちり色の境目で分けられている。濡れて透けた白いフリルシャツの奥では真っ赤なブラが浮き出ていた。尾びれは髪の色と同じく黄色く、南国の太陽のように鱗を輝かせている。そして、なによりリットの目を引いたのは、遠くからでも見てわかるほどの厚化粧だ。

「なんだ……あの見るだけでくしゃみが出そうなツラは……」

 思わずリットがそうこぼすと、アリスはこれはいいと笑いを響かせた。

「聞こえたかぁー? ティナ! みっともねぇ顔だとよ!!」

 アリスが指を向けてバカにして笑うと、イサリビィ海賊団の人魚達も同じように指を差してケタケタ笑った。

「そこまで言ってねぇよ。だいたいな……痴女スレスレの格好も十分みっともねぇ。アリスといい勝負だろ」

「聞いたか? ティナ! アタシは痴女だってよ!! ……って! 誰が痴女だってんだ!!」

 アリスはリットを引き寄せると、胸ぐらをつかんで揺さぶった。

「聞こえたわよー! アリス! アンタは痴女だっていうのがー!」

 今度はティナが指を差して笑った。コーラル海賊団の海賊人魚達も指を差して笑っている。

「やーい!! おっぱいはこっちのほうが大きいぞー!」

 マグダホンが良かれと思って参戦するが、「恥ずかしいこと言ってんじゃねぇ!!」とアリスに胸ぐらをつかまれた。

 先程まで胸ぐらを掴まれていたリットは、勢いでアリスに投げられてしまったので海に落ちるかと思ったが、すんでのところでテレスに抱きかかえられて助かった。

「助かった……。あのバカ、頭に血が上って茹でダコになってやがる」

「いつものことですよ。アリスがおバカなのは。さて、どうしますか?」

「どうするもなにも、あの言い合いはいつ終わるんだよ……」

「喉が枯れるまでですね。ですが、話に行くならどうぞ。呼んでおきました」とテレスが腕を広げた方向には、男の人魚が立っていた。

「どうも、バゴダスだ。コーラル海賊団で副船長をやってる。話があるってのはアンタかい?」

「あぁ、そうだ。……そりゃ、ヒゲか? 鱗か?」

 リットはバゴダスの顔をまじまじと眺めた。もみあげから顎にかけて、癖のある濃いひげのようにも、鱗のようにも見えるものがびっしり生えていた。

 女の人魚とは違って全身に鱗があり、筋肉沿って生えているので、海に鍛えられた上半身が余計にたくましく見えている。

「まだ鱗だ。そのうち鱗が剥がれ落ちてヒゲが生えてくる。そしたら、オレはヒゲを伸ばすんだ。あのおじさんのように」

 アリスの隣で舌を出してコーラル海賊団をからかうマグダホンに、バゴダスは羨望の視線を向けた。

「そうだった……そっちが本題だったな。ちょっくらあのおっさんのことで話があるから、そっちの船長と話をさせてくんねぇか?」

「ティナ船長とか? うーん……一つ問題がある。そっちから来てくれ。うちの船長は決してこの船に来ることはないからな」

「敵船に乗り込むほどバカじゃないってことか」

「いいや、違う。化粧が崩れるのが嫌なんだ。決して海に飛び込むようなことはしない」

「人魚だろ……」

「だからだ。化粧が崩れるのが嫌で、船に乗ってる。だから海に関する雑用はほとんどオレ一人……助けてくれ……」

 バゴダスはリットの肩に手をつくと深くうなだれた。

「おい……オレが頼んでんだ。そっちが頼んでくるんじゃねぇよ。寿命と一緒だ。順番くらい守れよな」

「さすがアリスの船に乗ってる男の海賊だな。言うことが違う」

「もう、それでいいから。さっさと案内頼むわ……」

 リットはこのままボーン・ドレス号にいると話が進まないと、バゴダスを海に突き落とした。






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