第五話
岩壁に囲まれた孤島。岩陰に隠れた入り江の入り口は潮の流れが複雑になっており、人魚が船を引っ張って泳ぐことでしか入ることが出来ない。そこにある半沈没船がイサリビィ海賊団の隠れ家だ。船は真っ二つに割れており、沈没した後部をスキュラや人魚達が使い、浜に乗り上げた前部を船長が使っている。右足は人間の脚。左足は人魚の尾びれを持つ『セイリン・マンゼラ』だ。
純粋な人魚やスキュラと違い海底生活は出来ないので、陸に上がった船室で取引した荷物と一緒に過ごしている。
お世辞にも綺麗と言えない部屋で、セイリンは呆れて天井を見上げていた。
「アホか……その辺を飛んでるカモメでも、もっとまともなことを言うぞ」
リットとマグダホンから事情聞いたセイリンは、考えることもせずに断った。
「なら、その辺のカモメを捕まえてここに連れてこいよ。そいつに助言もらうからよ」
「そんなに甘い話が転がっていないってことだ。そこのヒゲ、よく聞け。海賊がタダで働くと思うか? それも船を引き上げて修理しろだなんて」
「自慢じゃないが、私はなにも考えとらん。ただ船が欲しい一心で、この男に付いてきただけからな」
マグダホンはどうするとリットを見た。
「船なんか腐るほど沈んでるだろ?」
「腐った船に乗りたいなら、身を腐らせたほうが早いぞ。それなら手伝ってやる。どの海域に石をくくりつけて放り込んでほしい? 修理できる船を見付けるだけでも一苦労だ。それを引き上げて、修理するんだぞ。私をそんな安い海賊だと思ったのか?」
「安い女といえば、他の海賊も皆夜の女のような格好をしていたな」
マグダホンはセイリンの足を見て言った。
元々太ももが見えるほどの丈の短いパンツだが、窮屈にならないように尾びれ側のズボンは足の付根が見えるほど短くカットされているので、セイリンが座り直すたびに艶かしくお尻の肉が動くのが見えていた。
「言っておくが……この杖で顎の骨を砕くくらい出来るぞ」
セイリンは杖の先端を突きつけて、マグダホンの顎ヒゲを揺らした。
「悪かった……高級な夜の女だ」
「もう少し、まともにものを頼める奴を連れてこなかったのか?」
「海賊がまともな話を求めんなよ。なんとかなんねぇか? このままだとオレの店が乗っ取られんだよ」
セイリンは「ふむ……」と少し考えると、塩漬けのハムを一切れ口に放り込んだ。「まぁ、やってやってもいいが、当然私なりの取引はさせてはもらうぞ。それと、海では手に入らない酒だな」
「よし、万事解決だな」
リットとマグダホンがタッチを交わすと、セイリンが含みある悪い笑い声を響かせた。
「何年もかかるんだ。体中に潮風のニオイが染み込むまで、せいぜいゆっくりしていけ」
「それはご丁寧にどうも。世話になる」とマグダホンは頭を下げた。
リットは「なにをのんきに喜んでんだよ」とマグダホンの頭を引き上げた。「オレにはこのちんけな孤島に数年いろって聞こえたぞ」
「伝わってよかった。海賊とまともに話ができるとは、さすが元海賊の下っ端だな」
「茶化すなよ。本当は何日かかるんだ?」
「茶化しているわけではない。数年もかかって当たり前だ。もう既に沈没船を見つけていて、あとは引き上げるだけの状況なら、今報酬を支払えばすぐに船を出してやってもいいが、それでも修理に莫大な費用がかかるし、膨大な時間もかかる。踏み倒されては構わんからな。当然その間はここに居て雑用をしてもらう」
セイリンは服の山から埋まった酒瓶を引き抜くように取り出すと、リットとマグダホンに渡した。これをやるから諦めろということだ。
リット達が沈没船を見つけていないのもお見通しで、ほとんど手ぶらで来ているので報酬を持っていないのも見てわかる。
もっともイサリビィ海賊団というのは、金銭という共通感覚よりも、今何が欲しいかという私的感覚を大事にするので、報酬を金で支払うことはないのだが、二人が持っているものでセイリンが興味を引くものはないというのが事実だ。
だが、マグダホンも素直に首を振るわけにはいかず食い下がった。
「どうしても必要なんだ。これは男の意地だ」
「そういうのはな、男のわがままというんだ。船を欲しがる理由は知らないし知りたくもないが、沈没船を手に入れるなら、金も時間もかかるのが当然の話しだ。私なら時間を捨てて、金で新しい船を買うがな」
「だが……こう言われればどうかな?」
マグダホンは意味ありげに顎ヒゲを撫でると、さも妙案があるようにニヤッと笑った。そして、任せたとリットの背中を強く叩いた。
「もういっそ海賊になって他から奪えよ。そしたらオレらは金を払わずに、時間も無駄にしないで済む」
リットは酒を飲みながら投げやりに言ったのだが、その言葉の中に思い当たることがあったとセイリンは手を打った。
「そういえば南の海賊団が船を新調したと言っていたな……。お下がりをねだりに言ったらどうだ? ストリップでもご披露してやれば、まけてくれるかもしれんぞ」
セイリンのからかいに、マグダホンは本気で頷いてみせた。
「鉄で鉄を打ち、燃え盛る炎に汗を流し鍛えたこの体が鍛冶以外で役に立つ時が来るとはな……。どら、いっちょポーズでも決めてみるか」
「そんな性格だからノーラがお気楽に育ったんだぞ……。まったく……」リットは一口酒をあおると、酒瓶を持ったままでセイリンを指した。「今度はなんだってんだ? 南の海賊団を紹介でもしてくれるとでも言うのか? 縄張り争いしてるってのは、こっちも聞いてんだぞ」
「縄張り争いをしてるのは、イサリビィ海賊団じゃない。アリス個人だ。私はなんの関与もしていない。南の海賊と争っているのならば、遠征の船に私が乗っていないのはおかしいだろう」
リットは確かにと納得した。セイリンはおろか、もうひとりの副船長のテレスも乗船していなかったからだ。
セイリンは南の海賊と争うつもりなどなく、三角航路付近でのんびり船を襲って過ごしていたいのだが、アリスは舐められたらお終いだと、意気込んで定期的に船を南の海域へと向かわせていた。
「初めからそう言えよ……これでのんびり酔える」
リットは乾杯だと酒瓶を高く掲げた。
「船はまた近いうちにアリスが出すだろう。それに勝手に乗り込めばいい。だが、取引をしたわけでも金をもらったわけでもないから、客人ではなく雑用だ。しっかり働け。言っておくが、情報量は高いぞ」
セイリンは部屋から出ていけと手を払うと、「了解、キャプテン」とマグダホンが覚えたての船乗りの挨拶をした。
「部屋は前にリットが使っていた部屋を使え。アリスが船を出すようになってから、ついでに船を襲って取引をして帰ってくるせいで、荷物が増えて部屋が足りない。部屋は二人で使え、せいぜい励め」
部屋を出たマグダホンは「さぁ、やるぞ!」と気合を入れた。
「おい、意味わかってんのか?」
「当然だ。働いて船をもらうということだろ?」
「なんでわかってるのに、そんなに元気なんだよ……」
「私は船を手に入れるのが目的だからな。手に入るのなら、遊ぼうが働こうがストリップをしようが、どうでもいいことだ。なんなら服を脱ぐ練習をしたっていいぞ」
「聞いてなかったのか? 二人で一つの部屋だ。全裸のおっさんは一人に数えねぇんだ」
リットが昔の記憶をたどってついた部屋は、片付けしているわけもなく埃とゴミなのか荷物なのかわからないもので溢れていた。
リットは「汚え部屋だな」と乱暴に荷物をおくと、カビ臭い埃が舞った。
「洞窟のほうがまだマシだ。とても生物が住む部屋だとは思えん……。きっと化け物みたいなやつが住んでいたに違いない。きっとあれだ――」
マグダホンがリットに同意して部屋を罵っていると、クラゲのスキュラで、アリスと同じ副船長をやっている『テレス・ペインス』がハンモックを持ってやってきた。
「セイリン船長が寝床くらいは用意してやれと言っていたので、どうぞこれを」
「ありがとう。でも、こんな部屋に住んでる女からもらうハンモックなど汚いに決まっている。わかっている……本当は心の中で言いたいのだが、口に出したら止まらんのだ。あの埃が主になっている蜘蛛の巣も気になるし、窓の光にキラキラひかる埃も気になる。そのけしからんおっぱいも気になってしょうがない」
テレスの格好はアリスよりも酷い。肩から長い昆布をかけているだけだ。下半身はアリスと同じく。太い触手がドレスのように膨らんで見えている。違うのは色で、アリスは燃えるような赤。テレスはすりガラスのような白だ。
テレスは床に付きそうなほど長くて白い前髪を肩にかけ直すと、「気にしません」と肩をすくめた。「この部屋を前に使っていたのはリットですし、私の膨らみはおっぱいではないですから」
「それはよかった。これで汚い床で寝る必要はない。まぁ、リットには必要ないかも知れんがな」
「必要に決まってんだろうが、使ってねぇ間の埃までオレのせいにされてたまるか……。それにしても、オレが使ってたままか……空き瓶が多いわけだな。こんないらねぇの捨てとけよ」
リットは木箱に入った、用途のわからない民芸品一つ取ると、マグダホンが素早く奪い取った。
「これはなかなかいい木彫りじゃないか。実に滑らかに削られている。きっと良い刃物で作られたんだろう。見ろ、段差があっても木目が繋がって見えるだろう? これはプロの技だぞ。二つの木材を合わせて、そう見えるようにしてるんだ。そして、合わさり口がわからないということ、それほど切れ味の良い刃物を使っているということだ」
「気に入ったんならやるよ」
「いらん。こんなものなにに使えと言うんだ」
「今なにがいいのか散々説明してただろが」
「知識をひけらかしただけだ。なにを祀ってるのかさえわからん……。イサリビィ海賊団の取引のことは理解したが、なにを思ってこんなものを取引したんだ」
マグダホンが首を傾げていると、テレスがこほんと咳払いをした。
「それは、一度の襲撃で船員全員が取引をする決まりだからです。最初に来た時のリットの目的は龍の鱗でしたから、船を襲ってはいらないものをもらってきたのです。マグダホンにも改めて言っておきます。いいですか? よく聞いてくださいよ。船員の無銭飲食は認められていません」
テレスの言葉を聞いたマグダホンは驚きに目を見開いた。
「聞いたか……リット?」
「聞いたよ。つーかマグダホンこそ話を聞いてたのか? オレは前にも海賊やってんだ」
「船員の無銭飲食だと」
マグダホンはさもおかしいとリットの胸をヒーヒー言って叩いてから、埃も気にせずに笑い転げて、埃を吸い込んでむせていた。
「笑っていただけるとは……埃だらけの部屋でもほっこりしますね」
普段誰からも反応されないので、テレスはここぞとばかりに畳み掛けると、マグダホンはお腹を抱えて転げ回った。
「はっはー! もうやめてくれぇー!」
「そりゃ、こっちのセリフだ……」
リットは相手にしていられないと部屋を出ていったが、マグダホンの笑い声は砂浜に下りても聞こえていた。
リットが砂浜に下りたのは二人から離れるためだけではない。しばらく続く海賊生活が快適になるか確認したきのだ。
砂浜と言ってもスペースは狭く、すぐ後ろには岩壁が反り立っている。その岩壁には洞窟があり、イサリビィ海賊団はそこを食料や酒の貯蔵庫として使っているので、酒が飲みたければそこから持っていっていいのだが、既にアリスがお見通しと言わんばかりに待ち伏せていた。
「おっと、酒を飲みたけりゃ、アタシを通してもらおうか」
アリスは触手を伸ばして、リットの行く手を妨げた。
「いつから許可制になったんだ?」
「たった今からだぜ。イサリビィ海賊団に厄介になるってことは、ガポルトル様の部下になるってことだからな」
「そんなにオレが欲しいのか?」
「バ、バカ! そういう意味で言ってんじゃねぇよ。手となり足となり動けって言ってんだ!」
「なに言ってんだ。足なんてねぇだろ。手となって欲しけりゃ、体でも洗う時にでも呼んでくれ」
アリスが顔真っ赤にするのと同時に触手の力が緩んだので、リットは暖簾でもくぐるように触手をどかして奥へと進むと、早速積み込まれたばかりだと思われる酒樽に手を付けた。
手で持つには重すぎるので転がして戻ると、絶句して固まっていたアリスが吠えた。
「変なこと言うなこのバカ!!」
「もう言わねぇからよ、この酒樽を部屋まで運ぶの手伝ってくれ。いつでも飲めるように、一樽おいておくんだ。あとなぁ、そんな反応してたら南の海賊団に舐められるぞ。誰だが知らねぇけど、船長の前で言われたくねぇだろ?」
アリスはため息をつくと、酒樽に触手を巻きつけて軽々と持ち上げた。
「やっぱり……連れてこないで、海に放り込んでおくべきだったぜ」
「いいじゃねぇか。持ちつ持たれつだ。アリスは酒樽を持つ。オレのこともなんかに利用すんだろ? 協力するから協力してくれ」
「そうだった……見てろよ。ティナめ……」
アリスはリットを睨んでいた目を南の方角へ向けた。