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第四話

 どこまでも澄み渡る青い空。帆を孕ませるのに十分なのんびりとした風は、白い雲を溶かすように流している。影を落として頭上を通り過ぎる海鳥の鳴き声が、こだまのように響き渡っていた。

 マグダホンは体を目一杯伸ばして、潮の香りを思い切り吸い込むと、ゆっくり吐き出した。

「これこそ私が求めていたものだ。目に映る空が全て自分のもののように思えてくる……あの銅錆のような青い空も、鳥のモモのように膨らんだ雲も、すべて私のものだ」

 リットはデッキブラシを杖代わりに体重を預けると、これみよがしにため息を付いた。

「おい……マグダホン……」

「いいだろう、少しくらい詩的になっても。自分の船ではなくても、船は船だ。この感動がわかるまい」

「詩的になろうが、ホームシックにかかろうがかまわねぇよ。でも、船ってのは水に浮かぶものだ。せっかくなら海を見たらどうだ? 空なんて外に出て見上がりゃいつでも見られるもんだろうが」

「おっと……うっかりしていた。たしかに海を見るべきだな」マグダホンはにこやかな顔で海面を見はしたが、少しもしないで顔を上げた。「……海を見てなにが楽しいんだ? 空は雲の形が変わるが、海は海のままだぞ」

「なら遠くを見ればいいだろ」

 マグダホンはなるほどと手を打つと、目を凝らして水辺線を眺めた。空と海が交わる一本の先は、遠く離れることもなく、かといって近付くこともない。一定の距離を保ち、ただただ存在だけしている。

「これは拷問の一種か? 気が狂いそうになるぞ……」

「これは船の景色だ。マグダホンが欲しがってるな」

「やはり、船は動かしてなんぼだ」

 マグダホンを視線を甲板に戻すと、忙しく働く船乗り達に手を振ったが、誰一人として手を振り返さなかった。皆駆け足で甲板と船内を行き来している。

 もう既に船が出て十日は経とうとしていた。順調な航海はここまでだ。船乗りの一人が投網に引っかかった空き瓶を拾ったのはつい先程のこと。中には手紙が入っていて、当然イサリビィ海賊団からのものだ。

 これは副船長のアリスが趣味で書いているもので、文面はいつも同じ、船に拾われようが拾われまいがどうでもいいこと。海賊船ボーン・ドレス号が姿を見せる頃には、わかりやすい砲撃音が響き渡る。

 船員達は重要な積み荷を不条理なイサリビィ海賊団式の取引で持っていかれないように、船の奥や隠し戸にしまい込むのに大慌てなので、のんきに旅行気分のマグダホンにも、掃除をサボってフラフラしているリットにも構う暇などない。

 リットは「オレにはさっぱりだ」と肩をすくめた。「船なんか一隻手に入っても使いみちなんかねぇだろ。ボロス大渓谷まで乗って行くなんて、たぶん無理だぞ」

「手に入れることに価値があるんだ。嫁と一緒だ。努力を惜しまず、金にも糸目をつけない。もうそれしか考えられなくなるというものだ。いても立ってもいられず、すぐに行動してしまう」

「それってよ。手に入れた後はどうなんだ?」

「……その話は都合が悪くなるから止めておこう。言えることはこれだけ。アリエッタを愛しているということだ」

「普通乗らなくなった船は、誰か別の奴が乗り回すけどな」

「恐ろしことを言うな……今すぐ帰りたくなるだろう……」

「そりゃ、もう手遅れだな」

 リットがそう言って肩をすくめたのは、低く響く砲弾の音が空の海鳥を蹴散らし始めたからだ。



「ご機嫌麗しゅう、皆の諸君!」

 スキュラの『アリス・ガポルトル』がいつもの口上を歌うようにまくし立てながら、何本もの太い触手をドレスのように翻して船に乗り込んできた。

 副船長のアリスが気張って出てきたということは、船長のセイリンは船に乗っていないということだ。激情型のアリスは掴みどころないセイリンより扱いやすく、行動パターンもわかりやすい。ボーン・ドレス号に乗り込むのに、なにも障害がないということだ。

 リットとマグダホンはここまで世話になったチャコールに礼と別れを言うと、船の厨房から数本酒瓶を失敬してから隠れて甲板の様子を眺めた。

 丁度アリスが船内に入っていくところで、姿が消えるまで待っていた。

「リット……あれはある意味海賊より恐ろしいぞ……体を武器にする武闘派な女だ。男の味方でもあり男の敵でもある存在だ」

 マグダホンのアリスの姿に驚愕した。肩もへそも丸出しで、胸元に頼りなさげな布を一枚巻いているだけだからだ。

「そんな長え名前はいらねぇよ。痴女で十分だ」

 イサリビィ海賊団流の物々交換をするため、人魚の海賊の面々は船内に入り積み荷を物色している。ボーン・ドレスには見張りがいるだけだ。

 アリスが戻ってこないうちに、船同士の間に架けられた渡り板へと向かった。

 ボーン・ドレス号の見張りは見知った顔で、リットの姿を見ると金色の尾びれの人魚がギョッと目を見開いた。

「はぁ……またですか……」

「そう言うなよ、カトウさん。ほら土産もある。乗船料だ、遠慮なく受け取れ」

 リットは手に持った酒瓶ではなく、ポケットに入っていた、なにに使ったかもわからない薄汚れた布の切れ端を投げ渡した。

「『イトウ・サン』です……。それに……これなんですか……」

「小汚ねぇ布のことか? それとも、小さい髭面のおっさんのことか?」

「両方です」

「小汚え布は知らねぇ。小さいおっさんはマグダホンだ」

 リットが名前だけ紹介すると、マグダホンは自分の口でもう一度名前を名乗り、握手のために手を差し出した。「船を貰い受けに来たんだ」

「ひえ! まさか、ボーン・ドレス号をですか!」

「こんな魚臭い船が目的じゃねぇんだ。そのことでセイリンに話があるんだ。ちょっくら厄介になるぞ」

 リットは自分の家に帰るようにボーン・ドレス号に乗り込むと、これまた自分の家を紹介するようにマグダホンを連れて船内に入っていった。

「ちょっと。イトウ・サン……いいの?」と銀色の尾びれの人魚が、リットとマグダホンの背中を見送りながら言った。

「あっ、『スズキ・サン』。取引は終わったの?」

「終わったわよ。そんなことより、今のアイツでしょ。なにか問題を起こすわよ」

「大丈夫だよ。船を乗っ取るわけじゃないってさ」

 イトウ・サンはのんきに安堵の鼻歌を歌いながら、交代だとスズキ・サンにハイタッチをした。

「そういうことじゃなくて……まぁ、いいわ。特に義理もないガポルトル副船長だし」



「いやー大量だぜ。これで、遠征分に使った保存食も酒も十分だ補充できたな。もう二、三隻襲おうと思ったけど必要なさそうだ。帰還だ!!」

 アリスは酒瓶のコルクを開けると、景気付けに空砲を鳴らすように合図をした。

「ほう……空に響く火薬の音というのは、洞窟と違って趣がある。なかなかいいものだな」

 マグダホンは顎ヒゲをまとめるように撫でながら、空に流れる黒煙を見送った。

「だろ? セイリンの頭は、火薬の無駄だって言うけど。この爽快さは他にない。アタシが自分の船を手に入れたら、黒煙と共に現れる海賊船にしてやるぜ。名前は――そうだな……まだ考え中だぜ」

「私も船を手に入れたら、名前をつけることにしよう。今は亡き『モニマミニィ』の名前を付けようか」

 マグダホンが懐かしむように目を細めたので、リットはヒゲを引っ張って目を開けさせた。

「ノーラはまだ生きてるじゃねぇか」と、リットはイサリビィ海賊団が取引した酒瓶を勝手に開けて飲み始めた。

「ノーラじゃないモニマミニィだ。どっかの誰かに勝手に名前を変えられてしまったからな」

「本人が勝手に変えたみてぇなもんだ。だいたい呼ぶのに名前がないと不便だろ」

「普通は名前を聞くものだと思うが?」

「普通は何日も何年も家に居座らねぇと思うが? それがわかってりゃ初めに名前聞いたっつーの」

「見ろ、みっともない男の喧嘩だ」

 アリスは冷やかしてやれと部下の海賊達を煽ったが、全員が黙ってアリスを見返している。

 イトウ・サンだけが一歩前に這い出て「私達は人魚の海賊。つまり女だらけの海賊団です」と答えた。

「イトウさん。言われなくてもわかってるぜ。そのイサリビィ海賊団を率いるのが、船長のこのガポルトル様だからな」

「船長はセイリン。勝手なことを言ってると怒られるわよ」

 スズキ・サンに苦言を呈されたアリスは、「わかってるぜ」とふてくされるようにノロノロと船内に入っていったが、すぐに触手を走らせて戻ってくると、リットの胸ぐらを掴んで「な! な・な・な・ななななななななななな――」と口を大きく開けて固まった。

「なんでオマエがこの船にいるんだ。だろ? 前にも聞いたよ。で、オレが適当にからかって、アリスが怒鳴り散らす。お決まりの流れは一通りやったことにしようや」

 リットがにこやかな作り笑いを浮かべるが、すぐにアリスのツバと言葉が飛んできた。

「なんでオマエがこの船にいるんだ!!」

「なんだよ、せっかく省こうとしたのに、最初からやるのか?」

 リットは酒を一口飲むと、やれやれと肩をすくめた。

「それはアタシらの酒だ。返しやがれ!」とアリスが大声で凄むと、リットはあっさり返した。「おっ、素直じゃねぇか」

「返したんだから、セイリンの元まで案内してもらうぞ。イサリビィ海賊団流の取引だ。文句はあっても、あんまり聞く気はねぇよ」

 アリスは再び怒鳴ろうとしたが、少し考えて口の端に笑みを浮かべると「そうだな……イサリビィ海賊団流の取引だな。仕方ねぇ……案内してやろう」と態度をころっと変えて、リットの肩を組んだ。

「なにか企んでんのがバレバレだぞ……」

「企んでるんじゃない。今企み始めたんだ。ちなみに……リットは男だよな?」

「なんなら股間を掴んで確かめてみるか? 扱いは舵取りより簡単だぞ」

「バ、バカ!! そう言う話じゃねぇよバーカ!! ちょっと考えればわかるだろうが!」

 アリスは顔を真赤にしてまくし立てた。

「別の男がご所望なら、もうひとりいるぞ」

 リットが顎をしゃくってマグダホンを指すと、アリスはまたもや驚愕した。

「誰だコイツは!?」

「ノーラだ」

「ノーラなのか!? おったまげだぜ……ドワーフってのはすげぇんだな。ヒゲまでたくわえやがって……貫禄あるじゃねぇか」

「んなわけあるかよ、別人だ。こりゃノーラの親父だ」

 リットにからかわれ、アリスは「おい――こんの……」と怒りをあわらにしたが、諦めたようにため息をついた。「そうだった……リットはこういうやつだったな。いちいち相手にしていられねぇぜ。それで、なんでノーラの親父が一緒にいるんだ? まさか親子そろって海賊体験か?」

「マグダホンだ。娘が世話になったことにまず感謝の弁を述べたいと思う」

 マグダホンが礼儀正しく頭を下げると、アリスはうろたえた。

「親子と言っても随分違うんだな……ノーラはもっと図々しかったぜ」

「娘の非礼の数々、誠に申し訳ない。本来ならば娘が直接謝るのが筋だが、ここは親の私が頭を下げることで引いていただけると大変ありがたい」

「もういいぜ、そんなにかしこまられるとケツが痒くならぁ」

 アリスは照れ隠しに、赤くなった頬をかいた。

「それはよかった。水に流れたことで、船をくれんか?」

「やっぱりノーラの親だな……図々しさもスケールが違う」

「娘も自慢でき、自分まで褒められるとは……親冥利に尽きる」

 今度はマグダホンが照れ隠しに頬髭をかき分けて頬をかいた。

「リット!!」

「なんだよ、邪魔せずに黙ってただろ。ケツが痒くなるって言ったのに、頬をかいたことにもなにも言わなかっただろ? 本来なら、オマエのケツはそこか? なら今喋ってるのは屁ってことだな。ってからかうところだ」

「んなこと言う暇があるなら説明しやがれってんだ! よりにもよって、このボーン・ドレス号を乗っ取るとはどういうつもりだ!!」

「こんな船はいらねぇよ。新しい船を引っ張り上げてくれって、セイリンに頼みに行くところだ」

「なんだよ……脅かすなよ」アリスは一息つくが、すぐにまた吠えた。「なんでアタシの船もねぇのに、リットの船を海底から引き上げなくちゃいけねぇんだよ!!」

「オレの船じゃねぇよ。マグダホンの船だ」

「それでこのアタシが納得すると思うのか?」

「思わねぇから、セイリンに頼みに行くんだ」

 リットはとりあえず落ち着けと、アリスの触手が持っている酒瓶に乾杯をした。

 アリスは長い長い息を吐くと、「無理だと思うぜ」と言った。「なんせ沈没船を引き上げるには、海賊全員を動かさねぇといけねぇからな」

「船を買う金を稼ぐよりは可能性がある」

「まったく……頭は受けやしねぇだろうな……ただでさえこっちはピリピリしてるってのに」

 アリスは一気に酒を飲み干すと、空になった瓶を適当に投げ捨てたが、海に入る前にイトウ・サンが慌ててキャッチした。

「南の海賊団か? 縄張り争いしてるとかっていう」

「知ってたのか。そうだ、今日のはその帰りだ。くそっ! あのアマ!!」アリスは触手で床を叩き鳴らした。そして、南の方角を睨みつけて「ティナの野郎……色々勝手なことをほざきやがって! なにが副船長のくせにだ。なにが男旱の干しダコだ。オマエのところの海賊団だって、副船長に一人男がいるだけじゃねぇかってんだ。ケバい化粧が潮風に混じって吐き気がしてくる……南の海の太陽に頭の中まで焦がされたっていうもっぱらの噂だ」

「言われてることは大方正解だけどね」とスズキ・サンが呆れていった。

「なんだと!」凄んだアリスだが、相手がスズキ・サンだとわかるとすぐに態度を改めた。「いや、スズキさんに言ったんじゃなくてだな――リットとドワーフのおっさんはどこだ?」

「ガポルトル副船長が海を眺めた途端、お酒を持って船内に下りていったわよ。あとこれ、海に投げ捨てない」

 スズキ・サンは剣を向けるように、アリスが投げ捨てた空き瓶を差し出した。アリスが受け取ると、イトウ・サンと一緒に船の仕事をしにいった。

 アリスは「くっそ! 副船長の威厳が!!」と空き瓶を強く握りしめた。

「んなの元からないだろ」とツマミを取りに戻ったリットに突っ込まれた。

「ある! あの二人が特別なんだ。船長と一緒の古株だからな。アタシの方が立場が上でも、妙な迫力がある……」

「そういや、セイリンが言ってたな。あの二人と海賊団を立ち上げたって。なんなら副船長の座を明け渡してやったらどうだ?」

「あんな個性のない二人にか?」

「そういえばそんな決まり事があったな。まぁ、オレの知ったこっちゃねぇや。海賊の成り上がり話なんてな。今、マグダホンの若気の至りの話を肴に酒を飲むところだけど、来るか?」

「誰の酒だと思ってるんだ。行くに決まってるだろ」

 船内に消えていく二人の影を見送りながら、イトウ・サンは「押しが弱い……」ともう少しリットが自分の評価を押し付けてくれたらと嘆いていた。






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