第三話
「まったく……こんな手に引っかかると思われているだなんて……。リットさんはネコをバカにしすぎです。餌付けなんてものはですね。逆にするように仕向けられてるようなものなんですよ」
チャコールは干し魚を加えながら憤慨していた。しかし、潮風に遊ばれているかのように、しっぽは左右に嬉しげに揺れていた。
「そう思うなら、投げ捨てるとか飲み込むとかしろよ」
リットは路地裏の壁に寄り掛かって言った。
チャコールを見つけるのは思ったよりも簡単で、チャコールを呼ぶために野良猫に餌をやっていると、探すまでもなく本人が干物の匂いにつられてフラフラとやってきたのだ。
「噛んでると味が染み込んでくるんです。ずっと噛んでデロデロになったものを、喉を鳴らして飲み込むのが乙ってものなのです」
チャコールはよだれをすすると、またクチャクチャと咀嚼しだした。
このままでは埒が明かないので、リットは手短にマグダホンを紹介した。
マグダホンは「よろしく」と手を伸ばして「君が私に船をくれるという獣人か」と聞いた。
「そんな予定はありませんです。でも、どうぞよろしくです」
チャコールはよだれで汚れた手を服で拭うと、マグダホンと握手を交わした。
マグダホンは話が違うと、リットを睨んだがリットはそんな話はしてないと肩をすくめた。
「そいつが船をくれるわけじゃねぇよ。船をくれそうな奴まで案内してくれるだけだ」
「またまた」とチャコールがしっぽを揺らした。「そんなこと聞いてませんです。リングベルからの連絡もないです。お兄さんの思い違いではないですか?」
「今聞いただろう? 前の時みたいに、イサリビィ海賊団に襲われそうな船に乗せてくれってことだ」
「ははーん……さてはお兄さん。今、海がどんな状況になっているかわかっていませんね。船一つ出すのも大変なんです。そりゃもうピリピリしてるんです」
「二つの海賊の話は聞いてる。それを踏まえて頼んでんだ。他に船乗りに顔が利く奴を知らねぇんだ。どうにかなんねぇか?」
「私からもよろしく頼む」
マグダホンは深く頭を下げて頼み込んだが、チャコールは鼻で笑い飛ばした。
「なんで初対面のヒゲおじさんの頼みを聞く必要があるんですか? ただでさえ船の上でも、むさくるしいヒゲの男達に囲まれているのにうんざりです。悪いですけど、断ります」
「でも、干物は上手かっただろ? もう原型がなくなるほどクチャクチャやってるくらいだ。あれはマグダホンの金で買った、遠い海で取れた高い魚の干物だ」
実際にはその辺の店で買った安物の干物なのだが、リットは堂々と嘘を通した。
「もしかして……あの船の救命ボートより大きい魚ですか? 嵐の日にしか入れない巨大な潮溜まりに住むという……」
勝手にチャコールが思い違いで解説を始めたので、リットは「そうだ」と適当に頷いた。
「高級過ぎて諦めていましたが、まさかチャンスが自ら口の中に転がり込んでくるとは……」
チャコールは口の中のものを吐き出すと、まじまじと眺めた。
「そりゃこっちのセリフだ」
「なにかいいましたか?」
「なにも」
「それにしても……誰も買わない安物イワシみたないな味がするんですね……。お金がない頃よく食べていた懐かしい味に似ています……これはリングベルに自慢の手紙を書く必要があります」
「どうせ書くなら紹介状にしてくれ、船に乗るためのな」
チャコールはため息をつくと「本当はこういう強引な取引は、断固として断るのですが……」と、手の中の干物だったものに目をやると「考えてみましょう」と口に放り込んだ。
そして、肉球の間に挟まったカスまで綺麗に舐め取ると、ついてくるようにと手を降って歩き出した。
連れてこられた場所は港だ。
リングベルは船乗りに情報を聞きながら、乗れそうな船を探している。その最中で、今近海の様子はどうなっているのかという説明を始めた。
リットが目的としているイサリビィ海賊団は、大きく二つの動きを見せている。
一つは前と変わらずだ。三角航路の周辺で船を襲撃しては、彼女らの流儀で物々交換を迫っている。
二つ目は、人魚の店員が言っていたように、南の海賊と縄張り争いを繰り広げているので、遠征しているということだ。
三角航路をウロウロしているのなら、遭遇しそうな船を探せるが、遠征先だと航路が定まっていないので、狙ってイサリビィ海賊団に会うのはほぼ不可能だ。下手したら南の海賊に襲撃される可能性もある。
船乗り達に聞き込みを続けると、ここ最近で海賊に襲われた船はないとのことだった。つまり、イサリビィ海賊団は遠征に出ており、三角航路にはつかの間の平和が訪れていた。
これはリット達にとってはチャンスだ。遠征先では、商船に遭遇できるかはイサリビィ海賊団でも運任せだ。縄張りではないので情報が手に入らないということもあるが、二つの海賊がうろついてるせいで、港からの出港予定が急に変わったりするせいもある。
なので食料や酒の補充のためにも、長く三角航路にとどまる可能性が高いということだ。
だが、そのことは船乗りもわかっているので、出港を渋っているというのが現状だった。情報もないまま最初に出港をすることは、遭遇率が高いということだからだ。貧乏くじを引かないように、ギリギリまで出港を遅らせている。
「食料の輸出船に乗るが手っ取り早かと思います。腐る前に出ないとどの道損をするので、出港予定はほとんど変わらないはず。それにネズミ駆除も重要となってきますので、雇われる可能性も高いです。早速、一番に出向する予定の船に交渉に行きますので、ミャーの紹介する宿にお泊りになって待っててください」
「ちゃっかりしてんな……。まぁ、どうせ宿をとる必要があるんだけどよ」
「これくらいの旨味がないとやってられませんです。どうぞ豪遊なさってください。ミャーの懐が暖まります」
チャコールは宿についたら自分の名前を出すのを忘れないようにと言うと、船乗り達の足の隙間をすいすいと駆け抜けていった。
「どうするんだ? いっそ豪遊するか? どうせやることもないだろう?」
マグダホンは手持ち無沙汰に顎ヒゲを撫でながら、これからの白紙の予定はどうするかと聞いた。
「するかよ。金に余裕なんかねぇだろ」
「――さて……どうしたものか……」
翌朝のマグダホンの第一声がこれだった。
宿の部屋には皿と空き瓶が、二人分とは思えないほど転がっていた。
最初は安酒に、余った干物で乾杯をしていたのだが、マグダホンの「せっかく港町に来たんだぞ。豪遊まではいかなくても、もっと遊びを持っていいんじゃないか?」という一声で、まず酒の値段が上がり、リットの「干物が臭すぎて、酒の味がわからねぇ」という一声で、つまみの値段が上がった。
それを二回も繰り返した頃には、すっかり財布の紐が緩くなってしまっていた。
「どうしたもこうしたも……どうにかするしかねぇだろ。じゃねぇと、明日から野良猫と一緒に残飯漁りだ」
「リットの金遣いが荒いからだぞ。最後の酒。あれは絶対にいらなかったはずだ」
「なら、同じ焼き魚を二つも頼む必要があったか?」
「美味しかったんだ。しょうがないだろう。海の魚がこんなに美味いとはな……アリエッタに食べ残しを持って帰ってやりたいくらいだ」
マグダホンは手つかずで皿に残った焼き魚を見ながら言った。
「貧乏臭えことを言うなよな」
「何を言う。私達は間違いなく貧乏だ。今日の朝に食べるものさえないんだからな」
マグダホンは隣に目を向けた。いつの間にか部屋に居たチャコールが、手つかずの焼き魚の土手っ腹に噛み付いていた。
「計画性がないのは、海の上では死活問題です」
「金がなくなった男の飯を勝手に食うってのは計画に入ってるのか?」
「お兄さん。ここは陸の上です。いつ海に出てもいいように、常に準備をしておかないといけませんのです。寝られるうちに寝る。食べられるうちに食べるのです。それに、これはお兄さん達を思って食べているのです。決して欲に流されただけではないのです」チャコールは魚の骨を口から出すと、適当な皿に向かって投げ捨てて続きを話し始めた。「船に慣れていないのに、食べ残しなんて胃に悪いものを食べたら、吐いてしまいますです。胃の中は空にしておくか、果物で糖分をとるかのどっちかです」
「ほう……ということは、乗船許可書が下りたということかね。やれやれ……これで残飯を漁る必要はなさそうだな」
マグダホンは一安心だと、顎ヒゲを指で整えながら一息ついた。
「船には乗れます。しかも今日の昼前に出港です。無理言って乗せてもらうので、食事は残飯みたいなものです。昨日の今日で急に食事を用意しろとは、それは無理な話です」
「船というのは、もっと優雅なものだと思っていたぞ」
「下っ端の下っ端扱いで、無理言って乗せてもらうんです。寝るところがあるだけマシってもんです」
「これがマシか!」
揺れる船底。滑り転がってくる木箱に頭を打ったマグダホンが叫んだ。
「今日はちょっと波が高いみたいです」
チャコールは固定の甘い積み荷のロープを結び直しながら叫び返した。
波に揺られ、船が軋む音が響くので、大声を出さないと会話が出来ないのだ。
「これじゃあ洞穴の中と変わらん……私の船は絶対に揺れない船にするぞ」
「んな、船が存在するかよ。船っては揺れるから船だ。それが嫌なら、空を飛ぶ方法でも考えろ」
リットは慣れた手付きでハンモックを天井に吊るした。イサリビィ海賊団の船に乗ってるうちに覚えたことだ。高く吊るせば、積み荷にぶつかることもない。
「まさか、それが空を飛ぶ方法と言うんじゃないだろうな」
「揺られて一眠りすりゃ、空を飛ぶ夢は見られるかもな。オレが言いてぇのは、どっちも不可能だってことだ」とリットは早速ハンモックに身を預けた。
「積み荷の固定紐を結び直すか、崩れた木箱を積み直すかしろと言われているだろう」
「オレが言いてぇのは、どっちも不可能だってことだ。今のオレにはな」
まだ酒が少し残っていたので、数回ハンモックに揺られるだけでリットはすーすーと寝息を立て始めた。
「まったく……やってられん……」とマグダホンは荷物を放り出して階段を上っていった。
「マグダホンさん! サボると海に投げ捨てられるです!!」
チャコールが止めようすると、マグダホンは心配いらないと手で制した。
「サボるのではない。交渉をしに行くんだ」
そう言ったきり、マグダホンが戻ってくることはなかった。結局チャコールがすべて一人で積荷の世話をし、夕食のただ煮ただけの豆と魚の切れ端をリットと一緒に、今まさに食べようとしている時に、マグダホンは再び姿を見せた。
そしてその手には豆と野菜のスープと、塩漬けの魚をまるごと一匹焼いたもの。それに口には酒瓶が咥えられていた。
「どうだ。半日で成り上がってやったぞ」とマグダホンは床に腰を下ろした。
「まさか……盗んだんですか?」
「成り上がったと言っただろう。船乗りが使う道具を鍛え直してやったんだ。揺れるのは船の作りが甘いからだ。船の作りが甘いのは粗悪な道具を使っているからだ」
「揺れは関係ないですけど……海の上では錆びやすいですし、ドワーフの技術が重宝したということですね」
「まさか……一から船を作るだなんて言い出さねぇだろうな……」
リットはハンモックから身を乗り出すと、マグダホンから酒瓶を受け取って一口飲んだ。
「それが出来るなら最初からやってる。いまさら木のことを一から学ぶほど若くないわ。まだ鉱石のことさえ学びきれてないんだぞ」
「そりゃまた勤勉なこって。それなら船なんかにかまけてる暇もねぇと思うんだけどな」
リットが酒瓶を返すと、マグダホンも一口飲んだ。
「仕事とロマンというのは、いつの世も天秤にかけられるのだ。バランスを保つわけではなく、交互に傾けることが世を楽しむコツだぞ。言うまでもなく今はロマンに傾いている」
マグダホンは自分に乾杯と、酒瓶を高く掲げた。
「気を付けろよ。船は傾いたら転覆だ。そしておっさんの暴走なんてのは、大抵は人生が傾く。若い女に手を出して家庭崩壊だとか、ギャンブルにハマって身を滅ぼすだとかな」
「もっと言い方があるだろう……」
「若い女に手を出して身を滅ぼすとか、ギャンブルにハマって家庭崩壊とかか?」
「そうじゃない。たしかに思いつきで家を出てきたが、今回の事を私は意義のある行動にするつもりだ。わかるか?」
「わかるぞ。カミさんに言う言い訳を考える時間が欲しいってこったろ?」
「まぁ……そんなところだ。売り言葉に買い言葉で飛び出してきて、何も変わらないまま帰ったんじゃ、何を言われるかわかったもんじゃない。結婚したての頃はいつまでも変わらないあなたでいてねと言っていたのに、結婚生活も長くなるとあれもやれ、これもやれだ。やったらやったでダメ出しだぞ。酷いと思わんか?」
「男と逆だな。新婚の頃はあれもやってほしい、これもやってほしい。結婚生活が長くなると、若い頃を思い出す。よくじいさん連中が、酒場でそう愚痴ってるぞ」
「アリエッタの若い頃か……目を閉じればすぐにでも思い出す……ぐう……」
マグダホンは思い出す前に、食事もせずに眠ってしまった。
「初めて船に乗ってテンションが上って疲れたんですね」
チャコールはマグダホンに毛布をかけると、自分の魚の切れ端とマグダホンの魚の乗った皿を取り替えた。
「そんなの中年どころかガキじゃねぇか……」
リットはハンモックから身を乗り出して、マグダホンが飲み残した酒瓶を取ると、やっていられないと酒瓶を傾けた。