第二十五話
スィー・フロア号のブリッジまで連れて行かれたリットは、人魚にあれこれと指示をされていた。
「だから違う。そうじゃないって! 舵を切ったことないの?」
「陸に生まれたもんでな。誰か代わってくれ。舵より先に堪忍袋の緒が切れそうだ……」
リットがあーだこーだと細かい注文を付けてうるさい人魚から離れると、テレスがリットの代わりに触手で舵輪をしっかり掴んだ。
「私がやります。どちらに舵を切りましょうか?」
「そんなの、旗を見て判断するの。海賊なんだから、海のことくらいわかるでしょ。わかったら、備えて」
人魚はさも当然のように言うが、テレスには何のことかまったくわからなかった。ここは海底だが水はない。陸の上と変わらないのだ。陸での舵の切り方などわからず、海賊旗とにらめっこするように風の動きを見て舵輪を操縦してみるものの、正解がわからなかった。
話を聞こうと振り返った時には、既に人魚の姿はそこになかった。
人魚はバゴダスに錨を上げるようにと指示を出してたからだ。
「こんなの一人じゃ無理だ。岩に引っ掛かっちまってるよ」
バゴダスは岩の亀裂に食い込んだ錨を力任せに引っ張ろうとするが、巨人に逆側から引っ張られているようにびくともしなかった。
「なら、一人でやらなければいいのよ。嘆く前に周りを見るの。海での緊急事態は臨機応変に。船が沈没しそうになった時に真っ先に捨てるのは、水でも積み荷でもなく常識だよ」
人魚は頭を切り替えるようにと手早く手を打って鳴らすと、バゴダスは疲れて寝ていたマグダホンを叩き起こした。
「マグダホン! 鍛冶道具を持ち歩いてるだろう? 岩を削ってくれ」
「持ち歩いているが……削る岩にもよる。岩の種類によってだな――」
「いいから早く!」と、いつものはのんびりしているバゴダスも、焦燥感から叫んだ。
「まぁたこれだ……さっぱり意味がわからん。だぁーれも説明してくれん」
マグダホンはぶつぶつ言いながらも、ノミとハンマーを取り出して錨が挟まっている亀裂を広げた。
人魚は「船で空を飛ぶんだよ」と上に人差し指を向けた。
天井の泡の膜が破れたことにより、綺麗な星空が丸く映っている。だが、その景色は徐々に小さくなっていく。ダストホールが閉じようとして、海の穴が狭まっていたのだ。
マグダホンは「空を?」と少し呆気にとられいたが、急に全身に熱い血液が回ったのを感じた。「そういうのを待っていたんだ!!」
ノミの尻にハンマー打ち付ける音を聞きながら、アリスとティナは腕を組んで人魚を睨んでいた。
「言っとくけど、アタシらは理由がないと動かないぜ。味方かどうかもわかってねぇんだ」
アリスは文句があるなら一戦を交えるのも構わない。と言いたげな攻撃的な目で睨んだ。
「そうね。どちらの海賊の一員でもない人魚が、こんな場所にいるのは不自然だもの」
ティナもアリスに同意だと、脅すように睨みつけた。
人魚は大きくため息をつくと「二人は船長なんでしょう。もっとリスクとリターン以外のことも考えないと。いい? リスクの反対はリターンじゃなくてセーフティ。安全があるからこそ、リターンがあるの。今この場で、私を疑うことが安全になる? まずはこの場所から、出ることが安全だと思わない?」と、攻撃的な二人とは違い、優しく子供に言い聞かせるような口調で言った。
毒気を抜かれたアリスは「まぁ……」と曖昧だが、肯定的にうなずいた。
「この滝の勢いに飲み込まれたら、私達でも無事とはいかないものね」
「なら、やることは一つ。しっかり帆の確認をすること。安全に脱出できるかは二人にかかっているんだかね」
人魚は頑張ってと二人の背中を叩いて送り出すと「最後に……一番役立たずの君だね」と、リットに振り返った。
「なんだよ」
「大丈夫。役立たずっていうのは、成長の余地があるってことだから。だから君には一番大事な仕事を与えよう。宝を無事に持ち帰ること」
人魚はリットが手に持っている三角帽を見ていった。
「そんなのは脱出が出来るかにかかってるだろう」
「そうだね。でも、脱出方法はちょっと荒っぽいから。まず舵で岩に開いてる空気穴を塞ぐ。すると、逃げ場をなくした空気が岩に亀裂を作る。そこに錨を落とすとどうなると思う?」
「穴があくだけだろ」
「合格点は上げられないな。先に答えを言ったのに聞いてなかったの? ――空を飛ぶんだよ」人魚は嬉しそうに言うと、堂に入った声で「錨を下ろせ!」と叫んだ。
バゴダスはせっかく上げたばかりなのにと思いながらも、錨を下ろした。
すると、ドスンという重い音ともに、船が錨の重さに引っ張られて傾いので、船首は空に向けらた。
「おい! 地盤が崩れたぞ!」とアリスが叫んだ時には、地面はあっという間に崩れ落ち、ダストホールに穴を更に深くしていた。しかし船は落ちることはない。空に浮かび、奇妙に揺れていた。
海賊旗を見ていたテレスはハッとした顔で「これは……」とつぶやいた。そして「『竜巻』です!!」と叫んだ時には、ものすごい勢いで海の水がなだれ落ちてきて、船は海水と入れ替わるように発生した竜巻に乗って空を目指していた。
人魚は「帆が破れないようにしっかりね」と、裁縫でも頼むようにのんきな口調で言った。
「こっちのほうがリスクじゃないの!?」とティナは怒鳴りながらも、ロープを引っ張って暴風に暴れる帆を操作した。横でアリスが笑みを浮かべているのが見えると「なに笑ってるのよ」と言った。
「イサリビィ海賊団に入りたての頃を思い出したんだ。セイリン船長も結構無茶なことを注文してきたと思ったら、なんか懐かしくてな」
「そうなの? もっと冷静な人かと思ってたわ」
「最近は欲しい物がないから大人しくしてるだけだぜ。欲しい物を見付けると、子供みたいに我慢出来ねぇんだ」
アリスはセイリンがここにいないのをいいことに、普段言えないことをベラベラと喋っていた。
そんな呑気な会話しているのは二人だけ、他の者は竜巻に飛ばされないように必死だった。風の勢い、水の勢い。どれも荒れ狂うように凄まじく。まさしく死と隣り合わせだった。
そんな中リットは三角帽を握りしめていた。人魚に言われたからではなく、全身に力を入れていないと自分がどこに飛ばされるかもわからないからだ。
目をつぶり、歯を食いしばり、周りの轟音に耳をふさがれていたが、急に辺りは静かになった。
目を開けると、そこには満月がいつもより近く映っていた。
スィー・フロア号はダストホールから飛び出し、空に浮かんでいたのだ。
しかし、それは一瞬のこと。あっという間に船は壊れ、残骸となって再び落ちていった。
リット達も再びバーロホールへと落ちていったが、そこにあるのは穴ではなく海だった。
マーメイド・ハープの効力も切れ、地盤が崩れて地下の地底湖と繋がったことにより、あっという間に、穴は海に満たされたのだった。
マグダホンは海に漂う板に掴まって月を見上げると「いやぁ……少しちびったわい……」としみじみ呟いた。
「オレは漏らしたぞ」と、リットは一息ついた。
「実は私もだ。見栄を張った」
リットとマグダホンが顔を見合わせて笑っていると、竜巻を見た海賊船が、きっと海底洞窟に行っていた"六人”だろうと迎えに来た。
それから数日後、リット達はコーラル海賊団のアジトへと来ていた。
ユレイン船長の三角帽は誰のものか決めるためだ。
「色々あって疲れてるでしょうけど、先延ばしにしてもしょうがないわ。さっさと決めちゃいましょう」
ティナは自分のものだと決まっているように手を差し出しながら言った。
「ちょっと待った。決めるのはリットだぜ。奪った酒が飲めるのはイサリビィ海賊団だけだからな。どっちに渡すかくらいわかるだろ」
「リットは船を手に入れに来たのよ。アリスのところに船があるかしら? 船はいつでも出港できるように準備万全で用意してあるわよ。今すぐでも船を出せるわ」
ティナは入り江からすぐ出られるように浮かんでいる船を指して言った。錨も上げているので、リットが一言でもティナと言えば、すぐに乗って帰ることが出来る。
「だとよ、どうする?」
リットはマグダホンに聞いたが、それは形式だけのことで、どういう答えが返ってくるのはわかっていた。
「そうだな……私は――私は帰りたい」
マグダホンは船はいらないと言うと、アリスとティナは同時に「は?」と気の抜けた声を出した。
「最初は船がほしいと思っていた。船に乗れば更に思いは強まった。だが、今となっては、早く家に帰ってアリエッタに今回の冒険のことを話したくてしょうがない。今回の冒険そのものが、私の求めていた新しい風だ!! こんなに心が満たされたのは、ノーラが生まれた時以来だ」
ティナはこれはまでのことはなんだったのかと呆れるが、アリスはチャンスだとマグダホンを押しのけてリットの肩を組んだ。
「船はいらない。答えはシンプルになったぜ」
「そうだな。セイリンからは役に立った奴に渡せと言われてるからな」
リットは帽子をアリスに向けるが、アリスではなくその後ろの海に向かって投げた。
慌ててアリスとティナの二人が追いかけて海に飛んだが、それより先に水面に浮かぶ三角帽を奪うようにして、あの人魚が出てきた。
「ご苦労様」と言って、マーメイド・ハープをポロンと軽やかに弾くと、打ち上がる水柱に乗って、ティナの用意した船へと乗り込んだ。
その人魚の姿は、服を巻いた姿ではなく本来の姿だった。黒い尾びれの鱗が星屑のようにきらめいている。
アリスは「てめぇは!」と叫んでから「……誰だっけ?」とティナに聞いた。
「知らないわよ……。名前を聞いてないもの。いい加減名乗ったらどう?」
「うそ……本当に知らない? これでも?」
人魚は船のヘリに腰掛けると、三角帽を深くかぶって不敵に笑ってみせた。その姿は堂々たるもので、なによりもしっくりきていた。
そして彼女が何者かという一番の決め手となったのが、尾びれの影が映っていないということだ。
三角帽の影だけを船腹に落とした。
「まさか……ユレイン船長なの?」とティナは驚いた
「そう。アビサル海賊団船長ユレイン・クランプトン」
アリスは「人魚で初めての海賊……」とツバを飲み込んだ。
「あー、それは訂正させて。これからは人魚のゴーストで初めての海賊。本当に助かったよ。用意してくれたのが、帽子だけじゃないんだから」
ゴーストとして再び目覚めたユレインは、しばらく記憶がないまま第二の人生を楽しんでいたが、そこへユレイン船長の噂が届いた。一つ二つでは変わらず、三つ四つと増えていくたびに、その人物は自分だと思い出した。思い出すまでにも長い年月が経ったが、思い出してからも長い年月が経った。
自分の墓にくる者は三角帽目当てだろうと、島でひたすらに待つ日々が続くが、来る者は半端者ばかり、最後まで伝説を突き止めようとする者はいなかった。
そこへやってきたのがリットだった。他は墓を見付けただけで帰るが、リットは三角帽子は別の場所にあると記された木の板まで見つけたのだ。
これは賭けてみる価値はあると、ユレインはリットに取り憑いた。
そして、影が映らないことをバレないように服を巻いた姿で現れて、助言したのだった。
「あの……帽子だけじゃないというのは?」
ティナはユレインが持っている自分のマーメイド・ハープを見た。大切なもので、持っていかれたら困るからだ。
「あぁ……これね。これは返すよ」とユレインは短い曲を弾き終えると、ティナにマーメイド・ハープを投げ返した。「色々話したいけどね。やることがいっぱいあるんだ。困ったことに、私のようにゴーストになった人魚がいっぱいいるんだよ。皆を集めて目的を果たさないとね」と嬉しそうに言った。
「まったく意味がわからないぜ」
アリスはお手上げだと肩をすくめた。
「次に会ったら、私も縄張り争いに参加するってこと。今日からこの船を呼ぶと時はこう呼んで『ゴースト・シップ』と。もし三角帽が欲しかったら、それなりの覚悟をすることだね。これは私の魂の一部なんだから」
ユレインが三角帽にこだわった理由は、ユレイン船長だったものが、正式にユレイン船長になるからだ。
ティナはハッとした顔で「ユレイン船長を止めなさい! 船を奪うつもりよ!!」と部下に命令したが、時既に遅く。ユレインがマーメイド・ハープを演奏した事により、あべこべに砂浜から高波が発生した。波は力強く船を押し出すと、万全に準備されていた船はなんの障害もなく大海原へと旅立った。
最後に「海賊なら、宝の一つでも持ち帰らないと失格だね」と。からかうようなユレインの言葉が響いた。
シーンと静寂がこだまする入り江で「さぁ、私達も帰ろう。自分の家が一番だ」とマグダホンが清々しく言った。
「……最後にまた間違えたな。オレもそう思うけど、今言うべきことじゃねぇ」
リットがマグダホンから離れた瞬間。骨折り損だったと、アリスとティナがマグダホンに飛びかかっていった。
「――それで、パパは海賊怖いって言いながら帰ってきたんスね」
今回の旅のことをリットから聞いたノーラは、娘との挨拶もそこそこに、そそくさと自分の家へと帰ったマグダホンに呆れた。
「いいや、海賊を怖がったのはその帰りだ。アリスに裸に剥かれて船首像にくくりつけられて帰ってきたからな」
「――それで、パパはもう船はいらないって言いながら帰ってきたんスね……。それで、旦那はなんか宝を手に入れて帰ってきたんスか?」
「手に入れたぞ。丁度いいのがあったからな。まぁセイリンに払う船の代金に消えたけどな」
「船は諦めたんじゃないんスかァ?」
「使用料金ってやつだ。あと海賊の誓いってやつ」
「魔女の次は海賊になったんスか? 旦那も忙しいっスねェ」
「しばらくはまたのんびりランプ屋だ」
ランプにいつものオイルを補充したリットの耳には、マーメイド・ハープの音色が聞こえたような気がした。
その頃。イサリビィ海賊団の隠れ家では、マーメイド・ハープの音色が響いていた。
「驚いたぜ。頭がマーメイド・ハープを弾いているところを初めて見た」
アリスは幽霊船が出たという情報を伝えにきたのだが、マーメイド・ハープを抱えるセイリンの背中を見て目を丸くした。
「そうだったか?」
「そうだぜ。アタシだけじゃなく、皆見たことねぇと思うぜ。でも、理由がわかった……頭あんま上手くねぇもんな」
「よくわかるな」
セイリンは喉をククっと鳴らして笑った。
「だって、そんなもの使って弾いてる奴なんて見たことねぇもん」
そう言ってアリスが指したのは、セイリンが指につまんでいるものだ。
「これか? ユレイン”船長”の三角帽みたいなものだ。そのうち私みたいな人魚が増えれば、宝になるだろう」
「それって人魚の海賊が増えたらってことか?」
「そんなもんだ」
セイリンはまた笑うと、曲の続きを奏で始めた。
マーメイド・ハープの音色に合わせて、入り江の波は模様を作り流れる。今の心境のように穏やかだが、心躍るような模様だ。
そして、新たな海賊の誕生を祝うような音色でもあった。
マーメイド・ハープの弦を弾くのはセイリンの手ではなく、コーラル・シー・ライトの鱗だった。
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