第二十四話
海賊船スィー・フロア号。元は軍船であるが、小さい国の船であるため大きくはない。
ツギハギだらけで鱗のように見える帆は風になびき、潮風と波にやられて変色した船腹は木目を不気味にはっきりと映し出しており爬虫類の肌のようだ。まるで巨大な生物が横たわっているように見えた。
リットは船底にあいた穴を見つけると、そこから船内へと乗り込んだ。
下のフロアは倉庫だったらしく、積荷こそ残ってはいないが、空の木箱がいくつか残っていて名残を残していた。
「帰る方法と言ってもだ。まさかこの船で空を飛ぶつもりか? ……是非ともそうして欲しい」
マグダホンは期待に満ちた瞳でリットを見た。このまま虹の空に船を浮かばせられたら、こんなに興奮することはないと。
「船の改造なら、オレよりマグダホンのほうが向いてるだろう。好きに改造しろよ。まぁ……こんなボロ船に乗って空に浮かぶのも、海に浮かぶのもお断りだけどな」
話しながらもリットは、船にどこか変わった様子はないか探した。だが、下のフロアをすべて探しても何もなく、仕方なくアリスとティナがうるさい甲板へと向かうことにした。
「本当に楽に帰れる方法なんてあるのか?」
マグダホンは来た道を戻ることを考えたほうがいいと提案したが、リットは頑なにここに帰る方法があると言い張った。
なにも見付からなければ諦めるだろうと、マグダホンも探索を手伝い、リットに早く諦めさせることにした。
リットが甲板へと上がったところで、アリスがものすごい勢いで近寄ってきた。
「あったか? ユレイン船長の三角帽は!!」
「海賊のことは海賊のほうが詳しいだろ。自分が隠しそうなところを探せよ」
「そんなの全部見たぜ! 港の船をしらみつぶしに探してるわけじゃねぇんだ。見付からないのは絶対におかしい!! おっさんはどうだ? 見たか?」
やる気のないリットでは話にならないと、アリスはマグダホンに詰め寄った。
「あったぞ」
「そうだよな……下の部屋はアタシも前見た……となると……――なんだって!?」
「あったと言ったんだ。ほら、これだ」
マグダホンはなにやら塊を渡そうとしたが、アリスは受け取ることなく睨みつけた。
「アタシがこのコンブの塊を見て、三角帽だと信じると思ったか?」
「信じてほしかった……。そうすれば、お互い無事解決だと言うのに……」マグダホンは少し考えてから、名案を思いついたと手をぽんっと打った。「そうだ。伝説と一緒だ。まずは信じることから始めようではないか。ユレイン船長の三角帽が存在すると思ってから、アリスは伝説を追いかけているわけだ。ならばこのコンブの塊をユレイン船長の三角帽だと信じれば、そこから新たな道が拓けるはず! ……やはりダメか」
熱弁の途中から、マグダホンはアリスに胸ぐらをつかまれていた。
「いいか、おっさん。こっちは遊びで来てるわけじゃねぇんだ。ここでユレイン船長の三角帽を手に入れたほうが勝者なんだからな」
「そんな話だったか?」
「いいから手伝え! なんとしても、ティナより早く帽子を手に入れるんだ!!」
アリスはマグダホンの胸ぐらをつかんだまま、今にも倒れそうなマストへと登っていった。
流れている人魚の曲には似つかわしくない、マグダホンの悲鳴が響き渡った。
「これで二対三よ。あなたはどうするかわかっているわね」
アリスと入れ替わるように現れたティナは、こっちの味方になれとリットを指で招いた。
「あのマストに斧でも入れて切り崩すか?」
リットは今しがたアリスが登っていたマストを見上げて言った。
「それもいいかもね」
ティナもマストのてっぺんを一瞥すると、リットの足元に座り込んだ。
「いいのか? ライバルが高いところから見下ろしてるぞ」
「いいのよ。高いところに上るバカにはかまっていられないから」ティナは細いため息をつくと「ねぇ……あなたはこんな気持ちになったことはある?」と聞いた。
「あるぞ」
「本当? そんな時はどうしてるの?」
「はっきり言うことだな。……邪魔だからどけよ」
リットはどっかにいけと、ティナに向かって手を払った。
「あなたの意見なんて聞いてないわよ……」
「聞いてただろ」
「違うの。夜明けの期待感と夜が終わる寂しさの話よ。それが同時に心に渦巻いている感じ……。あの空がそのまま胸の中にあるみたい」
ティナは虹色渦巻く皿を見上げて、物憂げな表情を浮かべた。
「……驚いた。海賊にはそんな感情はないと思った。燃え尽きそうってやつだろう?」
「そうなのかしら? 今までこんな気持になったことがないから、自分ではわからないわ」
ティナは長年求めていたお宝が手に入るかも知れないという期待と、追いかけていた伝説が終わりを告げる寂しさに揺れていた。
今回のことでユレイン船長の三角帽を見付けても見付けられなくても、ティナの心に影を落とすことになる。だが、そのことに自分では気付けていないので、もやもやしていたのだ。
今では難しいことを考えずに、ユレイン船長の三角帽を探すアリスが羨ましいとさえ思っていた。
「時間に身を任せることだな。一つが終わるってことは、空きができるってことだ。新しい風が吹いて連れてきたものを、また好きにしまえばいい。後は勝手に都合よく時間が流れる」
「なによ……あなたもこんな気持ちになった経験があるんじゃない」
「だからあるって言っただろ。まぁ、海の風が連れてくるものなんて嵐くらいのもんだ。転覆しないように気をつけろよ」
リットが言っているのは、闇に呑まれた現象を解決した後のことだ。しばらくは旅の荷物を置いたばかりのように、背中に風が吹くのを感じていたが、ある日突然風を感じなくなった。慣れた匂いに染まり、風が運ぶ新しい匂いに反応しなくなったのだ。
くすぶる火種のようにもやもやしていた。
それが今では、また世界の風に吹かれていた。前のように大きな風ではないが、背中を押すには十分な追い風だ。
「言われなくても、あなたより海の風とは仲良くやってるわよ。それで……どうするの? 手伝う気はあるの?」
「三角帽の話ならノーだ」
「セイリン船長に言われてるでしょう。手伝うようにって。まさか……こそこそなにか企んでるの?」
「セイリンには判断しろって言われるだけだ。だから話をシンプルにしてやる。帽子は最初に手にした奴のものだ」
「それってリットやマグダホンが見付けたらどうするのよ」
「そんなのは見付けてから考える。オレはまだやることがあんだ」
リットは一通り甲板を見て回ろうと、ティナから離れていった。
ユレインの三角帽か、ここから帰る方法。そのどちらかは見付かるだろうと安易な考えを持っていたリットだが、夜も更け、虹色の空が黒く色を染めても何も見付からないままだった。
他の五人は各々船の木片に火をつけ松明代わりにして、泡の端から端まで三角帽がないかと探していた。
リットも既に帰りのことを考え、狐火の代わりの灯りをどうしようかと考え出していた。
妖精の白ユリのオイルで難破船の支払いをしなければよかったと後悔していると、後ろからため息が聞こえてきた。
「こんなことだろうと思ったよ……」と、服を体にぐるぐる巻きつけた人魚が、リットに声をかけた。
「そりゃオレのセリフだ。ガセネタを掴ませやがって……」
リットはもう人魚が突然現れたことに驚くことはなかった。それどころか、そろそろ出てくるだろうとさえ思っていた。
「失礼なこと言わないで。ちゃんと船があったでしょ」
「帽子も帰り道もねぇよ」
「……あれ? 帰り方の話なんてしたっけ?」
「してねぇよ。でも、知ってんだろ?」
「勘がいい人はめんどくさいなぁ……」と人魚はため息をついた。「ぜんぜんこっちの思うように動いてくれないんだもん……」
人魚はついてくるようにと這っていったので、リットは松明の火を消そうとした。
「あっ、もう気にしないでいいよ。火はつけたままでどうぞ。それにしても……全然驚かないんだね」
「一度経験してるからな」
「うそ!? ぜんぜん共通点がないのに?」
人魚は驚いて、リットの体をまじまじ眺めた。
「そっちの体験じゃねぇよ」
「まぁ、そうだよね。だとしたらおかしいことだらけだもん。ところで、海賊がお宝を隠す場所ってどこだと思う?」
「さぁな、もう考える気もねぇよ」
「それだから見付けられないんだよ。海賊がお宝を隠すなら、誰にも見付からない場所に決まってるじゃん。その変にぽんっとなんて置いておかないよ」
「オレは見付ける気はねぇよ。帰り方がわかりゃいい」
「ちゃんと帽子を見付けてくれないと、色々教えた意味がなくなるよ」
人魚がどうしたもんかと肩をすくめると、「あーもう! 見付かる気がしねぇぜ……」とイライラしながらアリスが戻ってきた。
隣にはテレスがいて、疲れてぐったりしたマグダホンを触手で抱えている。
「おっ! ちょうどいいね」と、人魚は手招いてアリス達を呼んだ。
アリスは「誰だコイツは」と敵意を持って睨むと「オマエがリットに色々吹き込んだティナのところの人魚か……ガセネタを掴ませやがって」と更に凄んだ。
人魚はアリスの脅しには何の反応もしなかった。ただ一言「ガセじゃないって」とだけ言った。
ほどなくして、「このままじゃ埒が明かないわ。いい加減これからどうするのか話し合いましょう」と、ティナがバゴダスを引き連れて戻ってきた。
「よしよし。これで全員戻ってきたね」
人魚が満足そうに言うと、ティナは「あなた誰なの? アリスのとこの海賊?」と睨んだ。
「なに言ってんだ。そっちの海賊だろ。アタシを出し抜くために、隠れてついてこさせたのはわかってるんだぜ」
「もしそうだとしも、こんな不気味な格好をさせないわよ。うちはアリスのところみたいにバカな格好はしないの」
二人が口喧嘩を始めようとすると、人魚が間に入って止めた。
「今はそんなことしてる場合じゃないでしょう。三角帽が欲しいならついてきて」
人魚が歩き出すと、まずリットがついていったので、残りの者も首を傾げながらもついていった。
アリスとティナがなにか質問をしても、人魚ははぐらかすか無視をするだけ。
なにも情報がないまま船首像の下まで連れて行かれると、人魚は手を叩いて注目を集めた。
「さぁ、周りの光景に目を奪われた君達。もう少し考えてみたらどうかな? なぜマーメイド・ハープが鳴っているのか、なぜ海賊旗が風にはためいているのか」
人魚は反応が薄くすぐに答えが返ってこないことにがっかりすると、ため息を挟んで続きを話し始めた。
「すべては一つにつながっているんだよ。マーメイド・ハープの音色は泡を維持するため。それでは、マーメイド・ハープはどこに? 答えは船首の中」
人魚は落ちている石を拾い、船首の根本の木を剥がすように何度も何度も叩いた。板が割れると、マーメイド・ハープの音が大きくなる。確かに船首の中にマーメイド・ハープが存在していた。
この場所で鳴っていたマーメイド・ハープの音は、船首を通り船首像の口から響いていた。マーメイド・ハープの力で泡に反響し、あちこちから響いているように聞こえていたのだった。
「そして、マーメイド・ハープは誰が弾いているか。答えは風。東の国の角笛岬のように、いくつもあいている穴から吹く風が、爪弾くように弦を弾いてるわけ」
「マーメイド・ハープは、人魚が弾かないと力が発揮されないはずよ」
ティナが口を挟むと、人魚は待ってましたと人差し指を振った。
「そうだね。でも、それはこの流れてる曲と関係あるの」
「コーラル・シー・ライトの月の調べが?」
「そう。そして、ここにあるのがそのコーラル・シー・ライトの鱗。アビサル海賊団が手に入れた宝の一つだね」
人魚は光の角度によって虹色に見える鱗を高く掲げた。
「その今拾った鱗が宝かよ……」
アリスはがっくりと項垂れた。
「そう、お宝だよ。そして、次のお宝を開く鍵でもあるわけ。今流れてる第一楽章はさっきも言ったとおり、この空間の維持する泡を作り出してる曲。そして、この鱗に触れたものは人魚が触れたのと同じ効果がある。つまり人魚が弾いてるのと変わらないってわけ」
人魚は鱗を指で軽く曲げると、風が出ている穴に差し込んだ。すると岩の中の空気の流れが変わり、演奏されている曲も変わった。
「これは……月の調べ第二楽章……半月の歌?」と、ティナは耳を澄ました。
「この曲がお宝を開く鍵。ほら」
人魚が上を指したので全員が見上げると、上部の膜から分離するように小さな泡が落ちてきてきた。焦らすようにゆっくりゆっくりとした動きだったが、突然弓で射られるかのように割れ、真っ逆さまにリットの手元へと落ちてきた。
三角帽子には大きな鳥の羽。そして、それは金貨で留められていた。
「これが……ユレイン船長の三角帽か……」
アリスは息を呑んで、リットが手に入れたた三角帽を見つめた。
「実際に目の当たりにすると、胸が高鳴るわね」とティナはアリスと帽子を挟むように反対側から眺めた。
あれほど手に入れたがっていた帽子だが、二人が手を伸ばすことはなかった。
触れたら夢から覚めてしまいそうなしまいそうな気がしたからだ。夢なら長く続いて欲しい。その気持が、帽子を手に入れるという気持ちを遠ざけていた。
しかし、余韻も短く曲が変わったので、ティナは我に返った。
「これは……第三楽章の三日月の歌。……第一楽章が泡。第二楽章で三角帽が落ちてきた。それなら、第三楽章が演奏されたらどうなるの?」
聞かれた人魚は「良い質問だね」と笑った。「第三楽章は最終楽章。つまり夢の終わり……いざ――再び大海原へ!!」
人魚が拳を掲げて叫ぶが、周りは何事かと黙っていた。
「こういう時って皆でオー! って叫ぶものじゃないの?」
「そんなこと言われても……なぁ?」
アリスが困ってティナを見ると、ティナは同意するようにうなずいた。
「なら、作戦を変えよう……。見て」
人魚は掲げた拳から人差し指をピンっと立てた。
指の先では、頭上に広がっていた泡の膜に亀裂が入っていた。
「いやー……まいったね。足りなかったんだよ、コーラルの鱗がさ。だから、第二楽章から第三楽章へは勝手に曲が変わっちゃうの。第三楽章はこの場所を海に返すための曲。つまりだね――」
「割れるってこと!!」
アリスとティナは同時に叫んだ。
「うるさいなぁ……。――さぁ、行こう。これが帰る方法だよ」
人魚はリットの手を握ると、スィー・フロア号に乗ろうと手を引っ張った。




