第二十三話
アリスはリットを見つけると「ほらいた」と軽い口調で言った。
「遅えよ」と、リットも軽い口調で返すと、これからどうするのかを聞いた。
洞窟をだいぶ下ってきたのだが、現在地がどの辺りなのかまったく見当もつかなかった。水の音は聞こえるが、それが海から聞こえるものなのか、繋がっている別の洞窟に溜まった水の音なのかもわからない。
ティナは「とりあえず先に進みましょう。下りなら間違うことはないわ」と、アリスからランプを奪い取ると、自分が安全な道を探すと先頭を歩き出した。
「下るのはかまわんが………。いきなり水の中ということはないだろうな……」
目の前でリットが落ちるのを見たので、マグダホンは心配事ばかりが次から次へと浮かんできていた。
「保証はありませんが、大丈夫だと思いますよ。マグダホンは洞窟の中に住んでいたと聞いていますが、暗く狭いところは苦手なのですか?」
テレスがとりあえず歩こうと、マグダホンの背中を触手で軽く押した。
「私が住んでいたのは洞窟の奥深くではない。ゴブリンが掘った坑道。それも入口付近だ。新鮮な空気が……。そういえば……ここは息苦しくないな」
「海底洞窟とも繋がっているだけで、色々な洞窟と繋がっているのでしょう。それが人の通れる場所とは限りませんが」
テレスの言葉は慰めにはならなかったが、地上のどこかに繋がっている。その事実がわかっただけで、マグダホンの足は軽くなった。
「臆病風に吹かれたところで、なにが変わるわけでもない。それに、来た道は安全だということだしな」
「そうですよ。帰りは来た道を戻るだけです」
マグダホンとテレスは同時に振り返って暗闇を見つめた。
ティナはランプを持ったままどんどんと進んでいくので、二人も足を止めることは出来ない。照らされ終えた道は、まるで足場が崩れるように暗闇に戻っていく。もし洞窟が複数繋がる箇所があったら、どこから来たのか覚えている自信はなかった。
マグダホンとテレスは来た道からリットへと視線を変えた。
二人はなにも言わないが、なにを言いたいのかリットにはわかっていた。
「わかった……正直に言うぞ。なにも考えずに出てきた。でも、解決法が見つかった。それがなにかはわからねぇけどな」
「私には何一つ解決したようには聞こえなかったんだが……」
マグダホンが顔を曇らせていると、バゴダスが心配ないと明るい口調で言った。
「オレにはわかる。あれは自信のある男の顔だ」
「私には考えるのをやめた男の顔に見えるが……」
「考えようにも、現場につかねぇとわかんねぇんだよ。たぶん楽に帰れるはずだ。来た道を戻るようなことがあるなら、先に忠告してるだろうからな」
「誰がだ?」
「三角帽を欲しがってる奴がだよ」
リットの言葉を聞いたマグダホンは、前にいるアリスとティナの後ろ姿を見て、不思議そうに首を傾げたが、リットがそれ以上なにかを言うことはなかった。
それから深い地底湖を二つと、短い洞窟を一つ。さらに地底湖を一つ、ずぶ濡れになりながら通り抜けると、明らかに洞窟の雰囲気が変わった。まるで広場に出たのかと思うほど、ひらけた場所に出たからだ。
「道が消えちまったぜ」というアリスの声が反響する。その範囲から、先程までの洞窟とは違うことがわかる。
だが、周囲を確認しようにも、狐火のランプでは火の調節が出来ないので、一定の明るさで照らすしかない。
アリスはランプを持つと、触手で壁に張り付き天井へ、そして反対側の壁から戻ってきた。
ランプに照らされた断片的な光景をつなぎ合わせると、洞窟のサイズが全く変わってしまったようだ。大人三人分ほどの高さに、それよりも少し横幅が広い楕円形の洞窟だ。
削り取られたような、洞窟にしてはなめらかな壁に触れたリットは、ここはテンコの言っていたオオナマズの通り道なのかも知れないと推理した。そう考えるのが自然だと思う構造をしているからだ。
苔の生え方から何十年。もしかしたらそれ以上の何百年もこの洞窟を利用していないのがわかった。
龍口島の崩落により、道が塞がってオオナマズが通れなくなったのなら、リット達が目指しているダストホールの海底はもうすぐそこだということだった。
そして、苔が生えるにもある程度の明るさが必要になる。森の中でも、太陽の光がわずかしか届かない場所には苔は少ない。つまり、ここには光が入る条件があるということだ。海底の洞窟に光が入るならば、それはダストホールしかない。
苔の量が増える方へ歩いていけば、ダストホールに辿り着くということだ。
リットがそのことを説明すると、アリスとティナどころか、テレスとバゴダスまで目の色を変えて探索を始めた。人魚や海賊に伝わるお宝の三角帽が、もうすぐ見られるかも知れないのだ。海棲種族の四人のテンションが上がるのは無理もなかった。
ランプも持たずに四人それぞれ別の方へ散っていった。
反響する四人の声を聞きながら、マグダホンは置き去りにされたランプを拾うと、それをリットに渡した。
「よく苔のことなど知っていたな」
マグダホンは感心したと、顎ヒゲを撫でながら言った。
「まぁ……色々教えてくる物好きがいたからな」
「それは素晴らしい人物だな。知識をひけらかす者は多いが、本当に役に立つことを教えてくれる者は少ないぞ」
「いいや、あれは知識の押し付けだった……。それもこっちが間違うように誘導して、正解を教えるという。上下関係を刷り込ませる嫌な教え方をすんだ」
「なるほど……リットの師匠は、よく考えることを学ばせたようだな」
「よく考えるたってな。二択問題を出して、三択目の答えを堂々と出すような奴だぞ」
リットが思い浮かべたのは、冒険者だった父親のヴィクターではない。
迷い蛾の鱗粉を油を混ぜたものを木に塗ると森でも迷わないことや、一通りの冒険者の知識など、ランプ屋には必要のないことを教えた人物だ。
リットが中途半端に冒険慣れしているのは、子供の頃からその人物と関わりがあったからだった。
「なるほど……リットの師匠は、ひねくれた性格になるよう学ばせたようだな」
「師匠とは呼ばねぇよ。気まぐれにやってきて、気まぐれに去っていく風みたいな奴だからな」
「冒険者とは気まぐれな風みたいなものだ。そして、どこか気持ちの良い性格をしている。コジュウロウだってそうだろう。まさか、旅に出て友情まで手に入れられるとは思っていなかった……。今度バーロホールの私の工房まで来ると約束した」
「言っとくけどな……今度は付き合わねぇぞ。これ以上中年の危機の世話をしてられるか。そのうちオレが中年になってる」
よそ見しながら話していたせいで、リットはまた足元に注意が及んでいなかった。
急に足元が崩れるような感覚に襲われてバランスを崩したが、今回は違った。ちゃんと足場はある。だが、それは洞窟ではなかった。
リットには体験したことのある感触、マグダホンにとっては初めての感触。
ウンディーネが作る水の道のようなものが足元に広がっていた。
水の流れはなく、足をついても波紋は広がらない。水の入った革袋のようなぶよぶよした感触が、靴越しに伝わってくる。
リットがこっちに来いと声を響かせると、声を響かせながら散らばっていた四人がリットの元へ集まった。
「これは……マーメイド・ハープの力かしら」
水の道に触れたティナは首を傾げながら言った。自分達もマーメイド・ハープを使って同じように水を造形することは出来るが、長い年月まで効力が続くことはないからだ。
「だとすれば、ここは人魚が通った道ってことだな」
リットはゴールを見つけたと先頭を歩くが、アリスとティナが押しのけて前に出ることはなかった。
それは警戒心からだ。リットとマグダホンの耳には聞こえない――ある音が四人の耳には聞こえていた。なにかあったら、リットを盾に逃げようと後ろを歩いているのだ。
そして、その音は光が差し込む出口が近付くにつれて、リットとマグダホンの耳にも聞こえてきた。
ハープの音色。雄々しくもどこか物悲しい旋律が、光に誘い込むように響いている。
しっか音色がわかるようになると、ティナはリットの背中から身を乗り出すように音を聞いた。
「あっ! オリーブクラウン!」
「……それはオレの耳元で叫ぶほどの情報なんだろうな」
リットは耳を押さえて、頬が擦り合いそうなほど近くにあるティナの顔を睨んだ。
「別名『満月の歌』よ。知らないの? 『コーラル・シー・ライト』作曲の『月の調べ』全三楽章のうちの第一章よ」
「今言われたのは全部知らねぇよ……」
「古い人魚の作曲家よ。マーメイド・ハープで水を造形する時に演奏する曲をいくつも作ってるの。月の調べって言うのは、中でも珍しい声楽曲で、海から見える月を地上のものに例えた歌よ。この曲はオリーブの葉で作った王冠を満月に例えた『オリーブクラウン』って曲なの。他にも、半月を例えた曲と三日月を例えた曲の三部形式で構成された曲よ」
急にペラペラと喋りだすティナへ、バゴダスは子供を見守るような笑顔を向けた。
「うちの船長はコーラル・シー・ライトのファンなんだ。海賊船にもコーラルの名前をつけるくらいな」
リットは「そりゃまたご丁寧にどうも――ちょうど知りたかったんだ。おたくら海賊団の名前の由来をな」と皮肉った。
「誰かいるのか?」とマグダホンは足を止めた。
マーメイド・ハープの音色が聞こえるのならば、いるのは人魚ということになる。しかし、こんなところに住み着く人魚などいるはずもない。
だが、流れる音楽は確かなもので、アリスとティナは警戒して腰に携えた剣に手をかけた。そして、出口の前まで来ると、リットを盾に押し込んで一気になだれ込もうとした。
膜を破るようなわずかな感触をあった思うと、リットは地面に叩きつけられた。アリス、ティナと順に落ちてきてリットを潰すと、すぐさまバゴダス、テレスが落ちてきて追い打ちをかけた。
最後に落ちてきたマグダホンは「こりゃおどろいた……」と、見上げて呆然とした。
この空間が巨大な泡に包まれていたからだ。
そしてなにより驚いたのは、上空には切り取られたような丸い虹色の空が浮かんでいたからだ。
穴に流れる滝の飛沫で出来た幾重にも重なる虹が、泡の屈折で細く高く伸びて混ざり合って見えている。生まれ始めてみる渦巻いた虹だ。
その虹はまるで色付きガラスのようで、太陽の光を様々な色に変えて、スポットライトのように伸びて海底を映している。
今五人がいるのは海底の隆起した岩の上。そして目の前には古びた船。ドクロマークの旗がなびいているので、それが海賊船だというのはすぐにわかった。
周囲は暴力的な勢いの滝に囲まれているが、泡を割ることもなく、轟音を響かせることもない。洞窟から聞こえていたマーメイド・ハープが静かに響くだけ。
だが奇っ怪なことに、その美しい音色は決まった場所からではなく、空間から突如として湧き出るように聞こえていた。
「凄い……」とティナも息を呑んだ。自分達がマーメイド・ハープを弾いたとしても、ここまで大きな力は発生しないからだ。
一瞬ここへ来た目的も忘れ、泡の上を優雅に泳ぐ魚や、陽光に作られる模様に目を奪われていたが、アリスが「一番槍貰った!」と船に向かって走っていくと、すっかりいつもの調子に戻って「ちょっと待ちなさい! 止めるのよ、バゴダス!」と追いかけた。
「仕方ない……先に行ってるぞ」と、バゴダスは岩に張り付くように倒れるリットに声をかけてティナを追いかけると、「私も行きます。アリスに暴れられたら困るので……」とテレスもついていった。
静かになったので起き上がろうとしたリットだが、まだ一人分のお尻が背中に残っていた。
「おい……マグダホン……どけよ……」
「美しい光景に目が離せんのだ。見てみろ、あの空を」
「見せる気があるならどいてくれよ……」
「悪いが無理だ……腰が抜けた……」
マグダホンがどいたのは、リットの背中にマグダホンのぬくもりがしっかり残ってからだった。
その間もアリスとティナは、ユレイン船長の三角帽を探していたが、文句と口喧嘩ばかりが聞こえてくるので、まだどちらも見付けていないのがわかった。
リットがやることをやろうと立ち上がると、マグダホンもそれに続いた。
「私らはどうするんだ? 三角帽を探すか?」
「目的地にはついたんだ。各々好きなものを探せばいい。アイツらは三角帽。オレらは帰り道だ。まぁ、どっちにしろあの船に向かうことには変わりねぇんだけどな」
リットは狐火の消えたランプを持って歩き出した。
狐火が消えたということは、既に丸一日が経過したということだが、リットにはなんの心配もなかった。




