第二十二話
リットが目を覚ますと、「……やっと起きた?」と気だるそうな人魚の声が聞こえた。
「起きたっつーか……寝てたのか? オレは……」
「寝てたと言うか、気絶してたんだよ。いやー人命救助なんて久しぶりにやったよ。私が覚えてなかったら死んでたよ。思い出すって大事だね」
「そりゃ助かった……ありがとよ――えっと……」
リットは上体を起こして周囲を確認するが、洞窟の中は真っ暗でなにも見えない。ランプはアリスが持っているので、照らして誰がそこにいるのか確かめることも出来なかった。
「まいっちゃうなぁ……あれだけヒントを与えてあげた大恩人を忘れたの? そんなんだから不注意が重なって転げ落ちるんだよ」
ここにいるのが、同行メンバーじゃないとわかったリットは態度を一変させた。
「なんでここにいるんだよ……」
「そうだねー……もしもつじつまを合わせたいなら、君の推理が当たったってことにするのはどう?」
「お偉いさんがいなくなったから、チャンスだとサボってフラついてたら、たまたまここに来たんだろ」
リットは闇の中で手探りに壁を手を当てて立ち上がると、体のどこかを痛めていないかと腕を回したり、腰を捻ったり確認した。
「まぁ、そういうことにしておいてあげてもいいよ。それにしても、いくらなんでも洞窟を舐め過ぎじゃない? 足元確認は適当、大声は出す。不測の事態に対処するつもりはないの?」
「対処させようと思ってた連中が、自分勝手過ぎたのが誤算だってだけだ」
「それは仕方ない。宝を目の前にした海賊なんてそんなもんだよ。だからこそ、一喝して命令を下せる船長が必要なのだ」
人魚はエヘンと威張って言うが、闇の中でその姿が見えることはなかった。
「オレを探せと命令を下してくれるといいんだけどな……まったく」
体に異常はなかったので、リットが合流して歩き出そうとすると、人魚はため息をついた。
「また闇雲に歩こうとしてるでしょう……。しょうがない、案内してあげるからついてきなよ。真っ暗でも声のする方に向かって歩くことくらい出来るでしょう?」
「道がわかるのか?」
「……水の音がわかるの?」
「なんで別のことを聞き返すんだよ」
「なんて説明すればいいか考えたからだよ。とにかく、私についてくれば合流は出来ると思うよ」
「まったく……面倒くせえとこに船を捨てやがって……」
「人を悪く言うもんじゃないよ。そもそもユレイン船長のことなにも知らないでしょう。彼女はね――」
人魚は姿が見えない場所でも、リットが声についてこられるように喋り続けた。
フルネームは『ユレイン・クランプトン』。今はその名を知るものは少なく、ただユレイン船長と呼ばれている。
彼女は元々海賊ではなく、海の中で生きるただの人魚の子供だった。仲間と自由に海を泳ぎ、仲間とマーメイドハープを奏でる日々。海の上のことなどなにも知らなかった。
だが、ある日たまたま海面近くまで泳いでいた頃。大嵐に巻き込まれた船の残骸が彼女をさらってしまう。尾びれが縄はしごに絡み、水を吸って結び目が固くなってしまったので、自分からは逃げ出すことは出来ない。
そんな彼女を助けたのが一隻の船だった。
船には屈強な男だけ、全員が武装し、傷だらけの顔で甲板にいる彼女を見ていた。
ユレインは慌てて逃げ出し海に飛び込んだが、思うように体が動かない。海に沈んでいくばかりだった。船に尾びれを縛られ何日も流されたショックで、泳ぎ方を忘れてしまっていたのだ。
結局また船に助けられた彼女だが、船員は全員大笑いしていた。
だが、泳ぐことも出来ず、自分の故郷もわからない彼女は笑い声も孤独に吹く風だ。恥ずかしさと絶望に泣いているのに気付くと、片腕のない船長が優しく語りかけた。
「オレらも帰れないんだ。この船は軍船で、まぁ戦争中だったんだけどな…。オレらが海で戦ってる間に国は敗戦。陸に戻ったら死刑が決まってるから戻れないんだ。家族も友達も捨てて海を漂ってる最中ってわけだ。笑ったのは悪かったよ……でも、海に出て初めてだ。全員が笑ったのは。みんな絶望に疲れていたからな。ありがとう」
船長が素直に頭を下げるので、彼女はなにも言えなくなった。
一人の男が「どうせ他にやることはないんだ。彼女の故郷を探してやろうぜ」と言って船員が盛り上がると、涙があふれて喉を圧迫した。
なんとか閉じた喉から情けない声で「ありがとう……」とつぶやいたが。自分の耳にも聞こえないほどの小ささだった。言葉にもならない空気の囁き。
その言葉が聞こえたのか聞こえないのかはわからないが、船員達は次々に励ますように彼女の背中を叩いた。
あまりにしつこく叩くものだから、「いい加減にして!!」と叫ぶと自分でも驚くような大きな声が響き渡った。
それを聞いて船員達はまた笑う。そして今度は人魚もみんなと一緒に笑っていた。
それからの日々は忙しかった。泳ぎ方を忘れてしまったので、船で生活するしかないのだが、なにもかもが初めての経験だ。失敗ばかりを繰り返したが、まだ子供ということもあってか、キツく叱られるようなことはなかった。むしろ、甘やかされていた。
だが、彼女はそれに甘えっぱなしでいることはなかった。どうにか役に立とうと様々なことを覚えようとした。
結果は散々。それでもユレインは諦めることはなかったし、船員達も邪険に扱うようなことはしなかった。
やれることは少ないが、視線も気持ちも上を向くことが増えた。
船の上で何年か過ごし、故郷に帰ることが出来なくてもいいとはっきり思った日。その日から、彼女の目に映る世界は変わった。
自由に生きていると思っていた海の中こそ縛られていたのだ。何一つ不自由を感じなかったのは、自由を知らなかっただけ。海を見下ろせば、不自由から逃れただけの海棲種族がたくさんいた。
彼女のように自由の元へ連れて行ってくれる船はなかったのだ。
いつしかこの船には、そんな不自由から逃れてきた海棲種族が助けを求めてやってくるようになった。
「船長、この海域の決まりごとから逃げて、助けを求めてきた人魚がいるけどどうする? 会うか?」
「もう……船長はやめて。あなたが船長でしょう……」
「どうやら世間はそう見てない」
船長はニヤリと笑うと、被っていた三角帽子を彼女にかぶせて、あの時のように背中を叩いた。
ユレインはいつの間にか、他の船から船長だと思われるようになっていた。だが、彼女が命令を下すわけでもないし、相変わらず仕事はなにも出来ないままだ。出来るようになったことは、再び泳げるようになったことくらいだ。
他の船なら役立たずと罵られるような彼女も、この船では一角の人物だ。というのも、あまりに危なっかしいので、皆が率先して面倒を見る。
その光景が周りからは世話をさせているように見えるし、適切な判断を下しているように見えているわけだ。
「いいの? こんなに人魚だらけになって」
ユレインは船員の半分以上が自分達のような種族になってしまったので、船を乗っ取ったようで気がとがめていた。
「別にいいさ。どっちかというと、オレらが減ったんだ」
船長は痩せてしわだらけになった顔で笑ってみせた。
「そういう冗談はやめて。悲しいんだから」
「そうか? オレらはみんな楽しかったぞ。孤独の海を漂う幽霊船みたいな頃から、ここまで賑やかになったんだ。うるさすぎるくらいだ」
船長は天井を指し、甲板で喧嘩する声を聞いた。人間はもうみんな年老いているので、聞こえるのは人魚やスキュラの声ばかりだ。それに混ざって、人間の笑い声が小さく響いている。
人間の寿命は他の種族よりも短い。ただでさえ陸に上がることの少ない船の生活なので、船長はだいぶやつれていた。だが、顔色は悪くない。
なので、あんなに早く死が彼をさらっていくとは思ってもみなかった。
欲張りな死神は船長一人ではなく、次々と船員の命を奪っていく。それも人間ばかりを。
とうとう最後の一人が亡くなると、船には海棲種族だけの奇妙な集団が出来上がっていた。
死体は彼らの望み通り海の底へと沈めたが、どうにか魂だけでも故郷へ送り届けたいとユレインは考えた。
しかし、彼らの母国は既に歴史が途絶えてしまった。新たな国へ彼らの意思を送り届けるということは、攻撃を仕掛けることになる。それが武力ではなくとも、再び戦争の火種となる思想だ。
ユレインは考えに考えた。そして答えを出し、皆にお願いをしようと思って甲板に出ると、船は既に動いていた。いつものように、いち早くユレインの意向を汲み取っていたのだ。
すべてが順調に進みだしたというのはこの時だけだ。順風満帆という言葉は船の上では存在しないのだ。
船が一隻が国とやり合うというのがそもそも無茶なことだ。それでもどうにかしようと海で足掻いているうちに、いつしか海底のように深い恨みを持っているという意味を込めて『アビサル海賊団』と呼ばれるようになっていた。
海賊と呼ばれた最初は汚されたような気がしていたが、国の敵になれば商船でも海賊だ。むしろ誇らしく海賊旗を掲げるようになっていた。
海賊として名を上げると、ユレインは船長としても成長し、頼ってくる仲間も増えていった。仲間と言っても船員達のように気心知れた仲間というわけではない。共通の敵を持つ者が集まりだしたということだ。
だが、これはユレインにとって最後のチャンスにはならなかった。自分にも寿命が近付いていることを悟ったのだ。死に近付くと、なぜ船長があんなに穏やかだったのか気付くことが出来た。冷静に自分にできることを考えるようになる。
そこで、彼女はいつしか話が大きくなっていることに気付いた。船長達の意思を送り届けるということが目標だったのに、いつしか海賊や他国の船と結託し国へ戦争を仕掛けようとしている。
ユレインが思うことは一つ。自分の手で船長の意思を送り届けたいということ。
そこで彼女は別の道を選ぶことにした。海賊と呼ばれて生きて来た人生の中で様々な伝説を耳にした。その中には『死霊の金貨』という伝説があった。
海底に沈む宝箱。その中には、盗んだものは死すと必ずゴーストになると噂されているいわくつきの宝がある。
人間にとっては手の届かない深海でも、自分達なら容易に手にすることが出来る。
死ぬはずだった運命を彼らに助けられたのだ。今ここにあるのは彼らに与えられた人生だ。なので死後の人生を彼らのために使うのに微塵のためらいもないと。
そうしてユレインは、死後も彼らの意思を送り届けられるようにと、残りの人生を死霊の金貨を探すために使った。
結果的に彼女はその金貨を見つけることに成功したのだが、もう一つ心残りがあった。『ゴーストは記憶の一部しか引き継がない』という話を聞いたのだ。
目的もないゴーストに、ただただ生まれ変わっては困る。
そこで彼女は船員にお願いでもなく、意向を汲みとってもらうわけでもなく、初めて船長として命令を下した。
自分の死後は噂を流すようにと。時代を超えても言葉を紡ぎ、記憶を蘇らせるために、決して消えない噂を。恐怖と栄光を語り継ぎ、どこで生まれ変わるかもわからない自分にも届くように。
そしてユレインの死後、アビサル海賊団はダストホールという海の穴に船と魂と呼べる三角帽を沈めた。
たとえ自分達が残そうとした噂が時代によって薄まってしまっても、ここに事実を残せば噂は消えないと考えたからだ。
ある方法でダストホールから脱出したアビサル海賊団は、ユレイン船長の肉体は海がよく見える島の墓へと納めた。――あるヒントを残して。
それが貝殻だった。様々な海の貝殻を供え、噂を追って辿り着いた者を、次の噂へと誘おうとしたのだ。
「そうして、オレらが誘われたってわけか」
リットは人魚が一向に足を止めないので、今まで黙って話を聞いていた。
「そうだね」
「本当にあるかどうかもわからねぇ、あっても偽物かも知れねぇってのにな」
リットは今になって無駄足かと思い始めていた。
人魚の話によれば、今の話はかなり昔の話。それも、色々な人が興味を持つように流された噂だ。それが今は人魚くらいにしか話が伝わってないのは、デマか既に解決したからだろうと思ったからだ。
「それはないよ。わかるんだ。それに、死霊の金貨は三角帽子の羽根留めに使われてるんだ。見たら偽物かどうかもわかる」
「つーかよ……。その三角帽子を取ったら、金貨を盗んだことにならねぇだろうな……」
「最初に盗んだ人にしか呪いは効果ないって話だよ。だからその後は普通の金貨。普通の金貨は使われちゃう。その後は一生ゴーストのまま彷徨うことになる。記憶なくしたゴーストが、それを見つけることはまず不可能だね」
そこまで言うと人魚は立ち止まってリットを先に歩かせようとした。
「なんだよ……」
「もうすぐ合流地点。合流したらどうなるかわかるでしょ」
リットは一度考えると、口の端を吊り上げて笑みを浮かべた。
「サボってたのがバレるな」
「そういうこと」と、人魚も同じような笑みを返してわかり合った。
すぐにアリス達の声が聞こえてきて、狐火のランプでリットは照らされたが、そこに人魚の姿はなかった。




