第十九話
「ヤドカリだぁ!? んなものアタシに区別がつくと思ってんのか?」
翌朝。リットから話を聞かされたアリスは裏返り気味の声を上げた。
「私はつくわ」とティナは得意げに煽るような視線をアリスに向けた。「派手なのが南の海で、地味なのが北の海よ」
「それじゃあ、船長。東の海は?」
バゴダスに聞かれるとティナは黙った。人魚と言えど、自分の生まれ育った海と活動海域以外の海の生物には詳しくないからだ。
アリスがいるイサリビィ海賊団は東の国の海域付近も縄張りにしているが、狙っているものは船の積み荷ばかりなので、海の中には興味がない。
二人揃ってリットにどうするんだという視線を向けるが、リットは「どうかするのはそっちの役目だろ」と突き放した。二人よりも海の生物のことはわからないし、一から本を読んで調べるほどの時間もないからだ。
頭を悩ませる面々を見て、マグダホンは首を傾げた。
「どうして職人に聞かないんだ?」
「悪いな、おっさん。今は鍛冶職人はお呼びじゃないんだ」
アリスは余計な口を挟むなと、触手を向けて制したが、マグダホンは言葉を止めることはなかった。
「私なら聞くぞ。わからない鉱石のことは鉱石の専門家に。農具を直す時もだ。使う者にどういう土地を耕し、どういった不備があるかな。わからないことをわかる者に聞くのは当然のことだろう。魚のことは漁師に聞くのが一番だと思わんかね?」
マグダホンが言い終える前から、アリスとティナは我先にと地図を貸してくれた漁師の元へと向かっていた。
「オレの時にも、それくらい積極的だと助かるんだけどな」
リットがゆっくり歩きだすと、その後ろをマグダホンが続いた。
「私にわかることならなんでもしているぞ。だが、リットが調べているのは、海とか、海賊とか、船とかだろ? 私の生活と関わりのないものばかりだ。だからリットを頼って来たんだ。自分で出来ることなら自分でやってる」
「そういえば、船を欲しがっているんだったな」とバゴダスはマグダホンの隣に並んで歩いた。「船はいいぞ。海の中も悪くないが、風を切り、肌をヒリヒリと乾かす感じ、毎日違う顔を見せる空。どれも新鮮だ。今尚な」
「私もそう思っていた。初めてのことばかりで、こんなに胸が高鳴っているのは何年ぶりのことだろう」
マグダホンはバゴダスと手を取り合って、船の素晴らしさを語り合った。
「運動不足で急にはしゃぐから、心臓が悲鳴を上げてんだろうよ」というリットの嫌味にも、全く気にした様子がない。
そんな話を続けていると、足の進みも遅くなる。三人が漁師のマガミの家へ到着するのは、二つの海賊が到着してからかなりの時間が立ってからだ。
不思議なことに喧嘩している様子はなく、遠い沖からマガミの家まで人魚が二列に並んでいた。
片方は海からヤドカリを運ぶ列で、もう片方は元いた場所へヤドカリを返す列だ。海にはイサリビィ海賊団の人魚が、浜ではコーラル海賊団の人魚と、分担して協力していた。
だが、その協力もマガミにとっては迷惑でしかなかった。
「少し黙らないと、尾びれと触手を噛み切るぞ!」と鬱憤を爆発させた声が家から響き渡った。
リットが家の中に入ってみると、アリスとティナがマガミを挟んで座り、次々に運ばれてくるヤドカリはどうなんだと聞いていた。
マガミはリットの姿を見付けると「私に苦労をかけるなと言っただろうと」吠えた。
「かけてるのはオレじゃねぇだろ。それで見つかったのか?」
「アンタもそれか……見つかんないよ。どれも砂浜にいるようなヤドカリばかりだ」
「それは困るぜ! こっちはアンタが見つけるからって、取引成立させたんだ」
アリスが声を荒立てて言うと、マガミは慌ててアリスの口をふさいだ。
「テンコに聞かれたらどうすんだ。だいたいな……見つけるのはアンタらだ。私は判断をするだけ。わかったら出ていってくれ、ただでさえ人魚が出たり入ったりしてるんだ。気が散る」
マガミはアリスとティナ。それにリットも追い出すと、わざわざ墨で書いて『タコと魚は出禁』と張り紙した。
「見ろ、タコのほうが先に書かれてるぜ」
と満更でもなさそうに笑みを浮かべるアリスに、ティナは頭を抱えた。
「そんなのどうでもいいのよ。勢いでここまで来たけど、本当にヤドカリが鍵になってるんでしょうね」
家を追い出されたことにより、冷静さを取り戻したティナはリットに詰め寄った。
「オレがその話に納得したってだけだ。だいたいな、その話をしたのはそっちの子分だぞ。詳しい話はそいつに聞けよ」
「そっちの子分て言われても、こっちは二つの海賊なのよ。どっちのことを言ってるのよ」
「そりゃあ……」とアリスの方を指したリットだが、「いやぁ……」とティナを指し直した。しかしまた、アリス、ティナ、アリス、ティナと指先が定まることはなかった。
その優柔不断な指に、アリスは「おいおい……喧嘩売ってるなら買うぜ」とイラついていた。
「とんちきな格好をしてるからイサリビィ海賊団の人魚かと思ったんだけどよ、よく考えりゃ化粧をしてないツラを見せないためにあんな格好をしてるのかもってな。だとしたらコーラル海賊団の人魚だ。会ったのは両方とも日暮れだからな、化粧を落としたあとかもしれねぇ」
「だからどっちなんだよ」
「だからわかんねぇって言ってんだ。強いて言うなら……船長の言うことを聞かず、昼間サボってる方だな」
リットが話を振ると、二人は再び睨み合った。
「なら、アリスのところの海賊ね。船長じゃなくて副船長だもの。部下が言うことなんて聞くはずないわ」
「船長代理は立派な船長だ。今船の上ではセイリン船長と同じ権限を持ってるんだからな。そっちの子分の人魚こそ、ぺちゃくちゃ喋って、サボってるのをよく見かけるぜ」
「おしゃべりは禁止してないのよ。そんなの禁じるバカはいないわよ」
「へーそうか、ここ最近は男がいるから化粧が濃くなったとか、色気付いたとかってのも本当のことみたいだな」
「……どこのバカがそんなこと言ってるのよ」
「ティナのところのバカだよ。まぁ、船長がバカだからバカを見つけるのは大変かもしれねぇけどな」
アリスが勝ち誇ってバカ笑いを響かせている間。リットは巻き込まれてはたまらないと場所を移動していた。
遠くに行ったわけではなく、ヤドカリを返しに行く人魚にどの辺りから連れてきたのかを聞くためだ。
「桃色岩から海賊船一隻分の範囲からです」とイトウ・サンは答えた。
「そんなんでわかるのか? もっと伝え方があるだろう」
「あると思いますか?」
イトウサンはヤドカリを隣の人魚に渡しながら言った。
流れ作業で隣の人魚にヤドカリを渡し、その時に拾った場所を口頭で伝えているので、複雑な言葉で説明すると間違えるという。
「作業そのものが間違えそうだけどな……。先頭がどこにいるのかわかってるのか?」
「間違わないですよ。昨日探した海の洞窟付近を少しずつ移動しながらヤドカリを運んでいるので」
「船長がいないほうが、効率が良さそうだ……」
「それは無理ですよ。ガポルトル副船長はティナ船長がいると、いつも以上に頑固になりますから。早くリットさんが三角帽を見付けて、元のお気楽な海賊生活に戻れることを待ってますからね」
イトウサンはまた呪文のような言葉を受け取り、隣の人魚にヤドカリを渡していた。
しばらく人魚の動きに変わりはなく、やることがないマグダホンは小石や貝殻を使って砂浜に砦を作って遊び、リットはそれボーッと眺めて暇をつぶしていた。
波の音、太陽の日差し、海辺の少し強い風。砂浜は平穏を保っていたが、アリスとティナの大声がたやすく壊してしまった。
ここらの浜ではとれない珍しい貝殻を背負ったヤドカリが見つかったのだ。
「これは東の国でもとれないような貝だ。アンタらの探している海底かはわからないが、確実に遠くから移動してきている」
マガミの言葉を聞いて、アリスはようやくユレイン船長に近付いたと雄叫びを上げた。
マガミは耳を押さえると「こっちの仕事は終わりだ。もう帰ってくれ」と、心底うざったそうに海賊達を追い返した。
ティナは「それで、このヤドカリを見つけた場所は?」と、外の人魚達に聞いたのだが、返ってきた答えは昨日散々アリス達イサリビィ海賊団が探した場所だった。
「本当に見たの? イサリビィ海賊団なんて注意散漫なんだから信じられないわ」
「そう思うなら、ティナもついてきな。言っとくけどな、水に溶けない化粧品を作ってる時間なんてないぜ」
「……わかったわよ」
ティナは渋々アリスに続いて海へと飛び込んだ。
思えばティナが昼の海を泳ぐのも随分久しぶりだった。アジトがある入り江では泳ぐが、いつの間にかアジトから出ると化粧を崩さないようになったからだ。化粧をしていたほうが、海賊として身が引き締まるのもあったのかもしれない。だが、こうして自由に海を泳いでいると、自由に海を泳いでいた頃の純粋さが蘇ってくるようだった。
あまりにも気持ちよく、アリスに「どこまで泳ぐんだよ……」と言われるまで、ティナは気付かずに泳いでいた。
「仕方ないでしょ。久しぶりなんだから、海の中を自由に泳ぐなんて」
「変な人魚だぜ……。この洞窟だ。子分の報告じゃ、途中で埋まってる」
アリスは言ったとおりだと、ふさがった壁を触手で指した。
「本当ね……別の洞窟から、たまたまここの周辺にきたのかしら」
ティナが壁を触っていると、少し動いた気がした。
そのことを伝え、アリスに手伝わせるが、びくともしない。
やはり間違えかも知れないと、少し壁から離れると、間違いではないことがわかった。
岩壁は少し動いており、重なる岩の隙間の藻が削れていたのだ。そして大きな岩の隙間を埋めるように小さな石が詰め込まれているのを発見し、これは人工的に塞がれたものだと判断した。
今度は大岩を押すのではなく、掻き出すように小石や砂利を隙間から掘っていく。
すると、あれほどびくともしなかった岩が滑るようにして落ちてきた。
そして、その先は奥へと続く通路のような水の洞窟。ユレイン船長の三角帽が眠る道に間違いないだろう。
そう思った瞬間、アリスとティナは抱き合って喜びあった。だが、すぐに我に返って離れると、アリスが洞窟の中を確認しに洞窟へと一歩踏み出した。
洞窟はすぐに空洞ではなく、しばらくは地底湖のような場所が続いた。そして、その先へ通じる空洞を見つけたのはいいものの。真っ暗で進むことは出来なかった。多少の乾燥は平気なスキュラのアリスでも、これから先どれくらい水がないのかわからないので、不用意に進むのは避けた。一度戻り話し合うしかないと。
だが実際には、話し合いではなく「ランプ屋なんだろ。どうにかしろ」とリットに丸投げするだけだった。
「あのなぁ……海の中で光るって言ってもだ。ランプってのは火を使うもんだ。今から火の代わりの光源を探せってのか? その頃にはオレも中年の危機ってやつになってる」
「私は違うと言っているだろう……。海の中で光る生物を使えばいいではないか。リットの工房にそんな本が置いてあったぞ」
マグダホンはリットの工房に入り浸っていたかすかな記憶を思い出した。
「あの生物発光の本は役に立たねぇよ。想像して楽しむもんだ。『人魚の卵』だってまともに使えなかったんだぞ」
「なら、消えないほどの火を起こすってのはどうだ? ドワーフはその手法を使うぞ」
「そりゃ、女のドワーフの力があって出来ることだろ。今更ノーラを連れてこいってのか?」
「ならもう、その地底湖の上に穴をあけるしかないな」
「穴をあけてどうすんだよ……」
「光を通すんだ。地底湖に反射すれば少しは明るくなるだろう」
「なるほど……反射か」リットは大灯台に目を向けた。「オレが直した時の光を使えば、鏡の反射をいくつか利用して地底湖くらいまでは光を通せるかもな」
リットに話をされたイッテツは「何を言っておるんじゃ……」と呆れた。
「闇に呑まれた時はリゼーネに協力して、反射鏡の位置を固定してただろう」
「あれはお国の話だ。個人でどうこうの話ではない。そもそもここの大灯台の役割は、角笛岬の音に惑わされて座礁しないように建てられたものだ。それが、いつの間にかペングイン大陸の闇を照らす灯台になり、龍に壊され、直され、またペングイン大陸の闇を照らす灯台になった。そして今、やっと本来の役割を果たしているところだぞ」
「別に一日固定しろって話じゃねぇよ。潜って地底湖の様子を見ている間だ。普通の鏡じゃそこらが限界だろうからな」
リットが助けてやっただろうと恩着せがましく言うと、イッテツの代わりにテンコが「おもしろいではないか」と賛同した。「ここ最近退屈しておったところだ。行って帰ってきた話を聞けば、しばらくは話題に事欠くこともない。それとも、まだしばらくイッテツが初の逢瀬で泣いて返ってきた話をするかえ?」
「……わかったわい。ただ、絶対に帰ってくるんじゃぞ。あの話をされるのはもう……うんざりだわい」
イッテツはリットの手を握って頑張ってくれと応援した。




