第十六話
「えい! やぁ! と、拙者は刀で線を描き、悪漢を切った張ったでスバババッと成敗したでござる」
声の主は自己陶酔にひたり気持ちよく語っていたが、「いいぞ! へっぽこ侍」と囃し立てられると不機嫌に顔を歪めた。
一度唇をきつく閉じると、弾けるように「拙者! へっぽこではないでござる!」と言い放った。
「なに言ってるんだ。その小さい体で」
周りの男達がからかいに笑う声は、リットとマグダホンの元まで聞こえてきた。
その笑いに文句を言う子供の声。それに聞き覚えがあるリットは頭を抱えていた。
「どうした、リット。のぼせたか?」
マグダホンは心配して顔を覗き込んだが、顔が近いとリットの手のひらに押しのけられた。
「嫌な予感を感じる前に、確信に打ちのめされただけだ……」
「それはよかったな。予感でないのなら、悩む必要がない。思ったことを実行するまでだ」
「たまには良いこと言うな。賛成だ。さっさと温泉を出て、部屋に引きこもるぞ」
リットは湯船から立ち上がると、マグダホンも急かして立たせた。
その間、上の湯船の会話が段々と熱を帯びていた。
「体の大きさは関係ないでござる。大事なのは心の広さ、その器の大きさでござる」
子供が湯船の縁に立ってえへんと腰を似てを当てて偉ぶると、「なに言ってんだ。こんなへっぴり腰で――」と、一人の男が背中を叩いた。
すると、バランスを崩して落っこちてしまった。ちょうど、リットとマグダホンが立ち上がって空いたスペースへと。
大きな水柱が上がり、湯船のお湯を大きく揺らした。
子供はしばらく沈んだままでぶくぶくと息を吐いていたが、突然一気にお湯から上がると、犬のように頭を振って濡れた髪の水気を飛ばした。
「悪い! 大丈夫か!」と言う上の湯船からの声に「大丈夫でござる!! 拙者、心が広いでござるから!」と、ぶつけた頭を手で押さえながら得意げに返した。
「こっちにも一言あってもいいんじゃないか?」
マグダホンが髭を絞りながら言うと、子供は「あい、お騒がせし申した」と頭を下げ、「お連れの方も申し訳ないでござる」リットの方を見た。
「オマエは温泉に来ると、いつも騒いでんのか? ……コジュウロウよ」
睨みを利かせるリットの顎は赤くなっていた。
コジュウロウが頭を上げる時に、リットの顎にぶつかったのだ。
コジュウロウは「リット殿!」と驚きと再会の感動に頬を緩ませようとしたが、頭の痛みの原因がわかったせいで緩むことはなかった。「……大事なのは心の広さ、その器の大きさでござるよ」
リットが食って掛かろうとするが、マグダホンが羽交い締めにして止めた。
「宿の部屋を取った時に、受付の天狗に言われただろう。温泉では他のお客に迷惑にならないように静かにと」
「わかったから、離せよ!」とリットはマグダホンの腕から逃れようと暴れた。
「わかっていたら、そんな暴れないだろう……」
「暴れてるのは、裸で羽交い締めにするからだ! 背中にアンタのモグラが当たってんだよ!」
「おっと……それは悪かった……」
マグダホンが手を離すと、リットは落ちるようにして湯に入り、感触を早く消そうと背中を湯船にこすりつけた。
「リット殿は相変わらずでござるな……。ということは、機嫌の直し方も前と同じでござろう」とコジュウロウも湯船に浸かり直すと「おねえさん、一本お願いするでござる」と、今の騒動で火の消えた行灯に火をつけに来た従業員に酒を頼んだ。
お猪口を三つ。まずリットに注ぐと、次にマグダホンに注いだのだが、マグダホンの顔を見たコジュウロウは目玉を落としそうなほど目を開いて驚いた。
「まさか……こんなに大きくなるとは……恐ろしいでござる」
「そうだろう」とマグダホンは機嫌よく顎ヒゲを撫でた。「特にここをよく見ろ。太く硬い長いだろう。自慢のものだ。毛の濃さも男らしいだろう」
「拙者はまだ生えていないから、うやらやましいでござる。……触ってみてもいいでござるか?」
リットは「やめろ」と、マグダホンのヒゲに伸ばすコジュウロウの手を叩いた。
「どうした、リット。触りたかったら、リットも触っていいんだぞ」
「まぎらわしい会話をやめろって言ってんだ。湯けむりの中で、とんだ勘違いをされるぞ。……せめてオレを間に挟むな」
上の湯船から降りて来た人は、マグダホンとコジュウロウの会話を不審に思い、皆一度足を止めて一瞥して様子を確認してから降りて行っていた。
「そういうことは、早めに言って止めてほしいでござる……」
「だいたいな……コジュウロウ。これはノーラじゃねぇぞ。その親父だ」
「なんと!? びっくりでござる」
「なにがびっくりだ。男湯にノーラが入ってるわけねぇだろうよ……」
「知り合いなら、紹介してくれてもいいだろう」とマグダホンが一口酒を飲んで言うと、リットはため息をついた。
「いいか……よく聞け、おっさんども。これが娘の面倒を見ない親父だ」
リットはその一言でお互いの紹介を終えた。
マグダホンとコジュウロウはお互いに「よろしく、娘の面倒を見ない親父さん」と頭を下げてから、おかしいと思って同時に首を傾げた。
「おい、リット。その紹介じゃ、どっちのことかわからないだろう」
マグダホンは紹介し直せと抗議するが、リットは必要ないと肩をすくめた。
「どっちのことも言ってんだよ。娘の面倒を見ない。大方コジュウロウも中年の危機ってやつで、フラフラして帰る途中なんだろう」
「拙者は中年の危機なんかじゃないでござるよ。いつものように、冒険の帰りでござる。しばらくは村で家族と一緒に過ごして、落ち着いていたでござるよ。でも、急に人生の虚しさを感じ、このままではいけないと。新たなものを求めて旅立ったでござる」
コジュウロウが今回の冒険はどんなものだったかと話していると、マグダホンがこそっとリットに耳打ちをした。
「あれは完璧……中年の危機だぞ。平穏な日々に自問自答し、刺激を求めている。危険な兆候だ……。人生という航海に、次の指針を見付けるための、新たな羅針盤を探しているんだ」
「なるほどな……」とリットは呆れた。
もちろんコジュウロウに対してではなく、マグダホンにだ。自分と同じような男を傍から見て、自分も同じことに陥っているのに気付かないことではなく、なぜマグダホンが船を欲しがったということに気付いたからだ。
一年を通して洞窟中に暮らすドワーフが、航海とか羅針盤という言葉を進んで使うはずがない。つまりどこかで覚えた言葉だ。
というリットの予想は当たっていた。
マグダホンがリットの家にやってきたのは、ある一人の客と出会ったからだ。
同じ中年同士、向こうも同じような職人で道具の修理にやってきた。会話も弾み、私生活のことからちょっとした愚痴へと変わっていた。
話しているうちに、お互いに見ている景色が変わらないという話になった。工房に籠もりきりで、たまに気晴らしに出る場所も同じところばかり。
今の人生、自分はこのままでいいのかという心の葛藤。職人というなにも変わらない日々に、ふとした不安が押し寄せた。
その時に客が例えた言葉が、船だったのだ。
そして見たことのない海の船を想像した時に一緒に浮かんだのが、ノーラから聞いたリットとの冒険譚だった。自由にあちこち行き来する話は、まさに想像する船のようだと思っていた。
そのことが印象に残り過ぎたせいで、答えが見つからない葛藤を乗り越えるのに、リットを巻き込んだのだった。
「つまり、今回の冒険では。なにもないが見つかったでござる!!」
コジュウロウは片足をテーブルに付くと、剣を掲げるように手に持ったお猪口を高く上げた。
もう三人は温泉から出て部屋に戻っていた。
「コジュウロウ……その話は。もう二回目だぞ。それに正直つまらん」
マグダホンはお猪口は煩わしいと、徳利から直接酒を飲みながら顔を赤くしていた。
「五回目だ……風呂からずっと同じ話ばかりしやがって……。まさか今回も文無しで、温泉に入りに来てるとは思わなかった」
いつもならリットも早々に酔っているのだが、自分よりも早く中年二人がみっともない酔い方をしているせいで、酒を飲む手が止まってしまっていた。
「拙者も、まさかまた龍の湯でリット殿と会えるとは思っても見なかったでござる。縁というのは不思議に繋がっているござるなぁー」
コジュウロウはぐっと酒を口に放り込むと、ガラガラとうがいをしてから飲み込んでゲップをした。
「その縁……龍の牙とかで真っ二つに切れねぇか?」
「龍の鱗の次は、龍の牙でござるか? リット殿はいつも何かを探している。昨日も今日も明日も。そういう時は見失っているだけで、たいていはポケットの中に入っているものでござる」
「我を見失ってるのはオマエらだろ。金を出してる本人が飲んでねぇのに、盛大に酔っ払いやがって……」
「なら、リットも飲めばいい。いつもなら我先にと飲んでいるだろう?」
マグダホンは徳利でリットの頬をつついた。なんとなく太くゴツい指を突っ込んでみたら、抜けなくなってしまったのだ。だが、焦る様子もなく、まるで元からそういう指だったかのように気にしていなかった。
「いつもならな。こんなおっさんを見たら、痛々しくて酔えねぇよ……」
「なに言っている。リットだってもうすぐおっさんだ。あっという間にこっち側だぞ」
「そうでござるよ。リット殿もボロが出る前にさっさと嫁をもらったほうがいいでござるよ。ごまかしが利くうちに手篭めにするでござる」
「ありがとよ、ありがたい意見を。嫁に頭も上がらない夫で、娘から相手にされない父親になりたくなったら、参考にさせてもらう」
「リット殿は相変わらず皮肉屋でござるな。ランプ屋のくせに」
「皮と肉からは油が取れるからな。脂が乗り終わった中年共には、わからねぇだろうけどよ」
「拙者は今まさに脂が乗っているでござるよ」
コジュウロウが最近出てきた腹を見せつけると、マグダホンも同じようにお腹を出した。
「私もだ。見事に脂が乗ってる。燃やせるものなら燃やしてもらいくらいだ」
マグダホンは大笑いをすると、その笑い声は徐々にイビキへと変わっていた。
旅慣れていない疲れが、温泉とお酒によって一気に睡眠へと導いたようだ。
「腹を出して寝て、だらしない親父でござる」
「明日の朝、同じことが言えたら立派だな」
「立派なことは、朝に言っても夜に言っても立派でござる。それより、リット殿はなにをしに東の国まで北でござるか?」
「その話も、さっきまでさんざんしただろうよ……。もう面倒くせえから、目的だけ言うぞ。龍口島だ。そうだ、コジュウロウ。オマエ北島の角笛岬の近くに住んでんだから、何か知らねぇか?」
リットの問にコジュウロウは答えない。マグダホンの腕枕で、腹を出してイビキをかいて寝てしまったからだ。
リットは不気味な光景を見ないように背を向けると、気持ちを着替えるために一人でもう一度温泉に入りに行った。
翌朝。言うまでもなく、マグダホンとコジュウロウは酷い二日酔いになったが、そんなことはお構いなしとリットは無理やり歩かせた。何泊もする余裕など、金銭的にないからだ。
龍頭山を超えれば、その麓には目的のシッポウ村がある。二日酔いでのろのろと重くなった足取りでも、一日待つよりも歩かせたほうが早いからだ。
「なにを急ぐことがあるんだ……」
マグダホンは寝癖がついて曲がった顎ヒゲを、鬱陶しそうに手で押さえながら言った。
「急ぐ必要があるから、急いでんだよ。アリスとティナが来てみろ。張り合ってうるせぇから、情報収集が滞るに決まってる。――まぁ、今もうるせぇことには変わりねぇけどな……」
コジュウロウもマグダホンも吐き気抑えるために、あーとかえーとかを濁らせた声を出して、変な呼吸をするので、会話の最中もうるさいことこの上なかった。
それはシッポウ村に到着しても続いていて、もう歩きたくないというコジュウロウをおぶるという条件で、コジュウロウの家を借りることになった。
だが、家には誰も居なかったので、リットはマグダホンとコジュウロウを家に放り込むように適当に寝かせると、この村で一番昔の話を知っていそうな物の家へと向かった。
この村は主に獣人が多く住んでいるが、中に一人妖怪が住んでいる。それは薬売りをしているテンコという妖狐だ。約二百歳の彼女は、言葉を話せる種族の中では誰よりも、東の国の古い歴史に詳しい。
龍口島や他のことなど、有益が情報が聞けると、ほぼ確信して店へとやってきたリットだが、あいにく留守らしく店には誰も居なかった。
仕方ないので、リットは久しぶりに大灯台でも見て時間を潰そうと、岬へと行ってみることにした。




