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第一話

 汗を吹き出させる熱気の元の炎に赤く顔を照らされながら、リットはハンマーを振り下ろした。カンッカンッと鉄が鉄を叩く大きな音が火花を散らせる。

 一際大きな音が響くと「まったく……そんなに強まかせに叩くから、痛い痛いと言っているだろう」と言う、リットのものではない声があった。

 リットが無視してもう一度ハンマーを振り下ろすと、「おぉ……かわいそうに……今のは痛かったな。大丈夫だぞ、よしよし」と慰める声があった。

「――マグダホン……暇なら帰ったらどうだ? 何日も居て、いい加減やることもねぇだろ」

 リットがうんざりして言うと、マグダホンは長く伸ばした顎ヒゲを撫でるのを止めて、わかったとうなずいてみせたが、リットが再び鉄を叩くと、なにか言いたそうに眉をしかめて手元を見守った。

 たまらずリットは「なんなんだよ……」と聞いた。

「なにも言ってないだろう?」

「目が言ってる。ついでに言わせてもらえば、ガラスに話しかけるなんて頭も逝ってる」

「鉄の叩き方にもコツがいるということだ。この際はっきり言わせてもらうが、そんなおぼつかないハンマー使いじゃ、立派なドワーフにはなれないぞ」

「そりゃよかった。人間を辞める必要がねぇわけだ。いいか? ここはオレの家で、オレの工房だ。オレの言いたいことはわかるだろう?」

「そう炉の火のようにカッカするな、落ち着け。どうだ一杯飲むか?」

「飲むか。出てけって言ってんだ」

「わかっている。場を和ますちょっとしたジョークだ。さて……娘の成長でも確かめに行くかな」マグダホンは階段を三段上ると振り返った。「本当に飲まんのか?」

「今はだ。夜は飲むに決まってんだろ。勝手に飲みに行ったら、そのヒゲを箒にして家の前の犬の糞を掃くぞ」

 マグダホンは「了解」と顔横に軽く手を上げると、店番をしているノーラのもとへと向かった。



「ノーラちゃんとやってるか?」

「そりゃもう。少なくともパパよりは確実に」

 ノーラは客のいない店で退屈そうにリンゴを齧っていた。

「そう言うな、ノーラ。私だって努力はしている」

「その努力ってのは、毎晩旦那とカーターの店に飲みに行くことっスかァ?」

「毎晩だぞ。毎晩続けば大したものだろう。試しに毎晩隣町まで走って行って帰ってきてみろ。大したものだろう? それにな、ちゃんとリットには仕事をさせている。今もやっているぞ。昼は真面目に働き、夜はしっかり休む。それこそがドワーフってもんだ」

 マグダホンは誇らしげに胸を叩いてみせたが、ノーラは呆れてため息を付いた。

「旦那が真面目に働いてるのは、協力する気がないからっスよ。おかげで私まで毎朝早起きして、地下の工房の炉の火を起こさないと行けないんスから」

「そう言わずに、ノーラからも頼んでくれんか? リットとの付き合いも長いだろう」

「パパァ……旦那はランプ屋っスよ。どうやって船なんかつくらせる気なんスか?」

 マグダホンが突然リットの家を訪ねて、何日も居座っている理由が船だ。鍛冶仕事をやめて自分の船を持つと思い立ち、そのまま行動に出た結果がリットを頼るということだった。娘のノーラに会うというのも一つの理由だが、リットがいろいろな依頼を受けていると言っていたのを思い出したのだ。

 なんでも屋をやっているわけではないと、考える余地もなくリットには断られたが、思いだけは本物なので二階の空き部屋に居座ることに決めて、もう何日も経っていた。

 妻のアリエッタにも、船を手に入れてくると許可を取ってから出てきた。簡単に許可を出したのは、どうせすぐに飽きて戻ってくるだろうと思われたからだ。

 その態度にマグダホンは意地になり、どうにか船を手に入れようと躍起になっていたのだった。

「船をつくれと言っているんじゃないぞ。どうにかして、船を手に入れてくれと言っているんだ。なにも空に飛ばせとか、光らせろと言っているんじゃないんだぞ」

「どうせなら光る船が欲しいって言ったほうが、旦那は依頼を受けそうですけどね。それもアリの眉間ほど可能性が出るだけっスけど。娘の私から言えるのは一つだけっス。帰って、ママに泣きつくことっスね」

「泣きついてどうなると言うんだ」

「諦めるってことっスよ。船に乗る人が、海のないこんな町に来るわけがないでしょう。――あら、いらっしゃいっス」

 店にお客が入ってきたので、ノーラは邪魔だとマグダホンを手でしっしっと追い払った。

 カウンターの後ろのドアから生活スペースへと戻ったマグダホンは、肩を落として大きなため息を床に向かってついた。

「私は孤独だ……どうしようもない孤独。まるで川底に佇むだけの中身の入っていないタニシだ……。誰かが剥がすまで、ひたすら張り付いているだけの哀れで不幸な存在だ……」

「それって、私に向かって言っているわけ?」

 テーブルにちょこんと座ったチルカは、ナッツの殻を割りながら聞いた。

「おぉ……孤独にも友人がいた。それもこんなに可愛らしい。孤独を分かち合うには十分すぎる相手だ」

 マグダホンが手を差し伸ばすと、チルカは心外とばかりに殻を投げつけた。

「一緒にしてんじゃないわよ。私はもうすぐリゼーネの森に帰るの。中年の危機を感じて、なにか新しことを始めようとしてるマグダホンとは違うのよ」

「人を第二の思春期を迎えたように言わんでくれ。思春期なら女に乗りたがるが、私が乗りたいのは船だ。全然違う」

「男一人ノセられないで、なに言ってんのよ。とにかく! 私は美しい自然でのんびり優雅に暮らすの。この意味わかるわよね?」

 マグダホンを答える前に、チルカの後ろに積まれたナッツの山を指した。空ではなく、全て中身が詰まっている。一度の食事で食べきれないのは、誰が見ても明らかだった。

「窃盗して、豪遊か? それじゃあまるで山賊だ」

 チルカは「ちが――」と一度言葉を止めた。「なんでこんな中年に言い訳しようとしてるんだか……。そうよ、これはリットの。でも、今は私が手に入れたもので私のもの。アンタ達二人が毎晩飲みに行ってるから、食べられなくなったかわいそうなナッツなの。だからカビが生える前に、私が持って帰って食べるのよ。――とにかく、やらしい話はやらしい同士で話しなさいよ。なにが悲しくて、中年の悩み相談を受けないといけないのよ」

 チルカはマグダホンに背を向けると、ナッツの山から一つ手に取り、テーブルに置いて踏みつけて殻を割った。中身を取り出してひとかけら食べると、どうやってこの大量の荷物を運ぼうかと考え始めた。

 しばらくすると、今日の分の仕事を終えたリットが地下の工房から上がってきて、ぼーっと突っ立ってテーブルを眺めているマグダホンに声をかけた。

「なにやってんだ?」

「欲深い妖精が、罪を食らって肥えていくのを見ているんだ」

 持って変えるのは不可能だと判断したチルカだが、せっかく集めたものを置いていって、再びリットの酒のつまみにされるのも癪なので、食べられるだけ胃に収めることにした。

「そんなの見てなにがおもしれぇんだよ……。罪の意識なんてものはクソと一緒に出てく」

「怒らないのか? 随分寛容なんだな」

「肥えた妖精の姿を見るほうが面白えだろ。今はこんなもんより酒だ。飲みに行くぞ」

「そうだな。よく働き、よく遊び、よく眠る。それがドワーフってもんだ」

「なに言ってる。ここに来てからは、よく遊んで、よく飲んで、よく眠ってばっかりじゃねぇか。ノーラのほうがまだ仕事をしてる。完璧隠居のじじいだな。することがなくなったら、あっという間に老いるって酒場の飲んだくれが言ってたぞ」

「今は人生の休憩時間だ。長年穴の中でトンテンカンテコテコと働いてきたからな」

「オレも今じゃ地下でトンテンカンか……。よし、老いない為にも、外に出て酒だな」

 リットはノーラに適当に店を閉めろと言うと、マグダホンと二人でカーターの店へと飲みに出掛けた。




「しまった!! 船を漕いでいた!!」

 半分眠って顎ヒゲをコップに入れていたマグダホンが顔を上げたのは、日も落ち夕暮れが消え失せて、空の色が夜に落ち着いた頃だった。

「そりゃ良かったな。船を手に入れる手間が省けた。存分に漕げよ。酒に溺れる前にな」

 リットは問題解決だと、おどけて肩をすくめた。

「いいや私は絶対に諦めんぞ。アリエッタにも見栄を張って出てきたからな。男が一度こうと断言したのなら、手ぶらで帰るのはありえん。そう思うだろ? カーター」

 マグダホンがビールに浸ったヒゲを絞ってカウンターを汚すので、カーターは床に溢れる前に雑巾で拭いた。

「船って言ったって家と一緒だぞ。簡単にはつくれないし、空きが周ってくるのは、ただ住むのにも一苦労なボロ屋ばかりだ。そんな簡単に船が手に入るなら、みんな海かでっかい川の近くに住んでるってもんだ。乗るだけでいいなら、仕入先の商船に話を通しておいてやるぜ」

 カーターはどうすると、コップにビールを注ぎ直して聞いたが、マグダホンは首を横に振った。

 ここ数日同じやり取りが繰り返されているが、マグダホンの返答は頑なにノーだ。あまりに同じ話題を繰り返すものだから、酒場に来る客もなにか情報があったらいちいちマグダホンに伝えに来ていた。

 今もふらつき気味の足取りで、酒の入ったコップを片手に持った男がカウンターに肘をついたところだ。

「そうだった。どこの国か忘れたけどよ。漁船が大変らしいぜ。お魚の大群が大移動だってよ」

「なんでまた……」とカーターが顔をしかめた。また流通が滞ったらと考えると、やるせない思いがこみ上げてきたからだ。

「そりゃあ……引っ越しだろう。大家族の引っ越しってのは大変なんだ。さながら漁船は魚にとって荷馬車だな」

「ダメだ……」とカーターは額に手を当てた。「立派に酔ってやがる」

 リットは「酒場なんだから酔って当然だろ」と、しなだれかかってきた酔っ払いを追い払いながら言った。

「おいおい、仮にも闇を晴らした奴の言うことか? また同じことが起こったらと思うと、心配にならないのか?」

「海が闇に呑まれて居場所を失ってた魚が、元に戻っただけじゃねぇのか?」

 カーターは「なるほど」と手を打つと「さすが魔女様は考えることが違う」とからかった。

「やめろ。ただでさえこっちは、手に入れた酒をお預けをくらって頭きてんだ。信じられるか? 酒はあるのに、飲めねぇんだ。ただ眺めてろってよ」

「なんならこっちに置いておいてやろうか?」

「意味がわからねぇよ。どっちにしろ眺めるだけじゃねぇか」

「意味はある。長年の間にリットが忘れるかも知れないだろ? そしたらこっちは丸儲けだ。そしたら、一杯はただで飲ませてやるぜ」

「そうだそうだ」とマグダホンが囃し立てた。「眺めるだけなら、船を買ったほうがまだマシだ。そう思わんか?」

「思わねぇよ。ボロス大渓谷に小舟でも浮かべろよ。それで十分だろ」

 リットは酒のおかわりと、空のコップを掲げた。

 船を手に入れるという話題には、リットはまったく興味がなかった。ただでさえ、魔女の酒のことで肩透かしを食らったのに、これ以上余計なことに首を突っ込みたくなかった。

 今でも、聞いていないことをあーだーこーだーと三人の魔女弟子から手紙が来る。それも近状報告ではなく、ただの修行の愚痴だ。もうリットが魔女ではないことは三人にバレているので、魔女には言えない愚痴や憎まれ口などストレスのはけ口にされていた。

 今ではグリザベルの手紙同様に、ほとんど読まずに燃やされることになっている。

「浮かんで良しなら、葉の船でも浮かべる。私は自分の船に乗り、大海を知りたいのだ。海の上どこでも、穴ぐらでは見られない蒼が広がっている。ロマンを求めるのが男だ」

「ロマンを求めるから、中年の危機って言われんだよ」

「チルカとの話を聞いていたのか。まさかそれを真に受けたのか?」

「いいや、みんなが言ってる」

「みんなって誰だ?」

「だからみんなだ。――話を聞いてただろ? マグダホンが中年の危機に陥ってるって言ってた奴はコップを掲げろ」

 リットの言葉に酒場の八割り以上がコップを掲げて、そのまま乾杯して酒を飲んだ。

「わかった……認めよう。見ろ、このヒゲ」マグダホンは顎ヒゲをかき分けて、中にある焦げて短くなったヒゲを見せた。「昔はこんなことはなかった……。そこでふと思ったんだ。ドワーフの私から鍛冶を取ったらなにが残る? 死ぬまで穴ぐら――いや、死んでも穴ぐらだ。船に乗り、海の深さと空の高さを知るのがそんなに悪いことか?」

 マグダホンは涙を堪えるように天井を見上げたが、口元にはしっかりビールの入ったコップがあった。

「言っとくけど、酒の入ったコップを片手に泣き落としは通用しねぇぞ。だいたいな、船が手に入っても、一人じゃ操作もできねぇよ。海賊だって一人じゃ出来ねぇんだからな。仕事するやつが何人も居て、初めて船が動く」

「さすが海賊になった男は言うことが違う」

 カーターがからかって言うと、リットは「だろ?」と乗っかった。「知ってるか? 海賊ってのは、金がなくても酒が飲めるんだぞ」

「海賊じゃなくても同じじゃねぇか」

「奪ってもいいんだぞ? だから、奪わねぇだけ感謝しろ。オレに海賊教えた奴の信条は物々交換だからな」

 リットはポケットから安い硬貨を取り出して、音を鳴らしてカウンターに置いた。

「そいつが言ったのか? それは守らなくていいって。どう考えても釣り合わないぞ」

「言ったぞ。価値はこっちが勝手に決めていいってな。その硬貨はな、説明は出来ないけどありがたい金だ。きっとどっかの牧師が持ってたんだろう。神の加護でもあるんじゃねぇか?」

 カーターは硬貨を握りしめると「あぁ……神よ。贅沢は言いません。目の前の男の金払いが良くなることを祈ります」とこれみよがしに天井を仰いだ。

「どうやら贅沢な悩みだったみたいだな」

 リットとカーターがじゃれて笑い合っている間に、マグダホンは酔って眠ってしまった。

 そしてリットが同じように眠るまで、そう時間はかからなかった。






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