間違っている
この世界は間違っている。
それを発信するべく、私は筆を持つ。
正確には筆など持たずに文字を打つだけの作業。
余り大差はないので、そう記したまでだ。
日本の政治は間違っている。
毎日、あれよこれよと議員の汚職事件が報道されてているにも関わらず、汚職事件は一向に減る兆しを見せない。
不適切な発言、不適切な行動、賄賂や買収はいつもテレビで見ている。
もう、うんざりだ。
そんな腐った報道は間違っている。
日本の教育は間違っている。
知識を得ることは重要だ。
我々は生きていく上で必要な知識や能力を教育機関で養ってもらう。
義務教育で学ぶことは、社会で生きていく上で必要なモラルやマナーの範疇にある。
だが、入試や入社に必要な力は主に学力や運動神経。
学力が重要?
運動能力が重要?
いや、一部の秀でた人間は金のために頭を使い、法に触れる行為に走る。
そうだ、一部の運動能力に恵まれた人間はドーピングで己の力を誇示する。
最重要は学力でも運動能力でもない。
故に、主にこの二つの観点からでのみ人材を確保していくやり方は間違っている。
差別は間違っている。
男と女の力の差や体格的特徴の差は歴然。
障がい者と非障がい者の行動制限の差は歴然。
日本人と外国人は生まれた国が異なる。肌の色や言語の差は当然。
何故人々――否、我々はそれを差別し、侮辱するような発言や行為を繰り返すのか。
レディーファースト。
精神障害者による殺人事件の裁判での被告人の無罪判決。
我々が行い、且つ受けてきた植民地的支配。
他国のテロやデモと日本のそれとの差異。
人それぞれ理由はあるが、差別にも原因はある。
だから、差別への批判もまた、間違っている。
自殺や殺人は間違っている。
人を殺すことは許されない。殺す対象が、自分であれ、他人であれ、命の重みは等しいのである。
それでは、命を奪う人はその重みがわかっていないのか?
いや、その考えは間違っている。
残念ながら、私は人の命を奪ったことがない。
故にここは想像で語らせてもらうとしよう。
その行為に走らせているのは、周囲の環境だ。
追い詰められた者は、自分を殺すという方法で魂の逃げ場を作り出したり、人を殺すという方法で感情の逃げ場を作るのである。
なので私は、一概に殺しが間違っているとは言えないと考えている。
無論、重ねて言うが、人を殺すことは許されていない。
虐待は間違っている。
これもまた、よく報道される。
息子を、娘を、生徒を、高齢者を、認知症患者を。
溜まったストレスの発散場はその人たちではない。
だが、一つ前の間違いと重ねると、大変難しい題だ。
人に発散できないストレス。
それは即ち自己への負担。
自己への負担はやがて身を滅ぼす。
殺人と虐待。私の考察では、この二つの行為の根本は同じものであるとしている。
殺人は容認できない。
虐待も容認できない。
しかし、これもまた、一概に間違っているとは言い切れぬ題である。
評論は間違っている。
我々は教育機関の国語という科目でいくつもの評論文に目を通してきた。
その全てで、我々は約一世代前の、即ち現在の大人からあらゆる洗脳を受けて育てられている。
いつの世代も変わらず教科書に載る文章。
世代によって異なる文章。
どちらも、育てられた我々に選ぶ権利などはないのである。
同じ観点で言えば、小説も同じだが、アレはまた想像力を養うものでもある。
無論、教科書の説明通りに解釈させられ、それを答えとされた我々には想像する間も余地もないのだが。
人生は間違っている。
我々は、常に己の過去を振り返り、もしあの時こうしていれば今頃は、などと妄想してはその妄言に縋ろうとする。
かと言ってよく言われる前を向けという言葉。
これに従うことも不可能だ。
過去を振り返り、我が身を直さなくては同じ過ちを繰り返す。同じ過ちを繰り返さないための布石が後悔だ。
我々は、常に己の過去を振り返り、未来に縋ろうとしている。
人間は学習能力が高すぎる。
故に、過去を知り、未来を恐れる。
我々が選択してきた道は間違いの上で成り立っている。
この文章を読んでいるお前の思考は間違っている。
突然毒舌ですまないと謝罪しよう。
そして直後に失礼だが、お前は何をもってこの文章を読みにきた?
これは詩だと思うか? 短編小説だと思うか?
それとも、どちらでもないか?
この文章に綴られることは全て私の見解や妄言。つまり、全てが全て戯言として処理される。
そんな文章にお前は価値を見出せたのか?
もし価値があると判断したならば、その時点でお前の脳は私の思考に多少なりとも侵食されている。
どうだ? 妙に蝕まれていく感覚は?
もし、価値が見出せなかったのなら、お前は変わろうとしていない。自分の思考が全ての自己中心的な奴だ。
他人ことを知ろうと努力すべきだ。
一応記載するが、これは説教ではない。
間違いへの問いかけだ。
この文章を開いた時点で、君は失敗者だ。
長々と書いた気がするが、大した文量でなかった。
そして、私はこの文字の羅列を見て気づいた。
私が書いた文章は間違っている。
結局私も評論家たちのように己の考えを他人に植え付け、信者を増やす信仰者のように文字をひたすらに綴っている。
感情表現、表現技法、文の構成まで何もかもが単調な仕上がり。
こんな心に響きにくい文章を、私は創り上げた。
いたずらに時間を消費し、結果として十分な満足度も得ずに文章は完結する。
私も、間違っている人の一人。
あなたも、間違っている人の一人。
全ての人間は自己の思考を持つ。
思想の自由だ。
故に、人と他人は互いの思想を曝け出しては批判を浴び、賞賛を浴び、人生に一喜一憂する。
人は、何かに酔って生きていく。
この世界の全ては、常に間違い続け、その上にて成立している不完全なものだ。
その時、私も君も、この文章を知った者は、気付く。
この文章そのものが、間違っていた。