「小説」
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「よって被告人を無題の刑に処する」
ある日僕は「人々」になった。酒というのは恐ろしいものでなにも覚えていない。酒を飲んで現れる人格が本物なんて言葉があるけれど、その人格を僕自身が認識できないというのは不思議である。罪を通じてのみ本当の自分とやらを知ることができるとはまるで、なにかを介さなくては自分の顔が見られないのに似てるな、なんて思う。
犯罪を犯したのは本物の僕であり、偽りの僕はなにもしていない。すなわち、本物の僕さえ姿を現さなければ社会的には無害だということで僕はそのまま放っておかれた。近年の少子高齢化でちょうど税金を納めるべき年齢の僕を牢屋に閉じ込め、飯を食わせるメリットはないという判断なのだと勝手に解釈をしている。そうだ、自己紹介が遅れたね。
僕は「人々」です。
この国では、「無題」という刑罰が存在する。僕にも以前は名前があった。それがなくなり「人々」になる。たったそれだけの刑罰であった。働くことも、寝ることも、なんと選挙に行くことすらできる。「人々」なのに。そんな判決の前と変わらぬ日常をコーヒーとともに過ごす。
自称ではあるものの根は優しい僕は、赤の他人よりも知り合う可能性のない本物の自分のためにボランティアを通じて社会貢献でもしようと考え、街中のごみを拾った。歩いては拾い、歩いては拾った。昨日も拾い、今日も拾った。
ある日、街中からごみが無くなった。綺麗な街というのは人々に影響を与えるものらしく、ポイ捨てをする人がいなくなった。ゴミが一つも落ちていない街などもちろん他には存在していないからそれはそれは大きなニュースとして取り上げられた。
『街からごみが消えた日!環境問題にも大きな影響が?街の「人々」の努力が実る』
その街の人々はそのことを自らのおかげだというように語った。その街の「人々」が努力をしたのだと。
僕はある日恋に落ちた。少し年下のお淑やかな女の子であった。根が優しい僕に対して彼女も興味があったらしく、デートなんてものをするようにまでなった。いくつかのデートの中で陶芸体験なるものをしたこともある。二人で協力してくるりくるりと轆轤を回し、ヘンテコな壺を一つ生み出した。
キラキラと輝くクリスマス。白い星とカラフルなサンタが空を駆ける中、極々ありきたりな告白をする。好きですだか、付き合ってくださいだが。まあその辺りだったと思う。彼女は真っすぐにこちらを見つめ返事をしてくれた。
「私は「人々」が好きです」
その日から彼女はテレビの画面越しに会う人になった。世界平和のために様々な国を周っているようだった。自ら汗をかき、貧しい現地の人々と同じものを食べながら、世界をいい方へいい方へと進めていく。彼女はヘンテコな壺を持ち歩いていた。それは「人々」と協力して作った、言わば平和の象徴だと声高々に述べた。
彼女はテレビマンにカメラを向けられると真っすぐな瞳でこう言った。
「私は「人々」が好きです」
河川敷で黄昏ていると野良犬が近寄ってくる。その犬の犬種が何で、どんな色の毛をしていて、僕をどんな目で見つめていたのか、僕はさっぱり覚えていない。そいつは「犬」であった。家に帰ってから紙に「犬」をさらさらと書いてみる。そこに書かれた「犬」は色なんてない。毛を書くほど真面目に書いてもいない。目線もどこかに向いているとは思えなかった。しかし、さっきの「犬」と全く同じだと思った。
僕は「小説」である。僕はしがない作家が生み出した完全にオリジナルな文字の集合体だ。僕と同じ存在は二つとしてこの世に存在しない。それでも世界は「小説」で溢れている。僕の上にある文字の集合も下にある集合もきっと僕であるだろう。
しかしこうも自己言及的な作品は珍しかろう。僕は「僕」を物語るこの文字の集合のタイトルが「小説」ではないことを切に願っている。
お読みいただきありがとうございました。
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