生きる
あれから5年。
順当に数えるなら俺は5歳になった。
そして俺はこの異世界で絶望することとなった。
「おいケイ!飯の時間だ!遅れるんじゃねえぞ!」
開いた扉の外を孤児の1人がにやにや笑いながら走っていく。
虫唾が走る。
俺はベッドの脇に立てかけてあった杖を手に取ると慎重に立ち上がった。
「あっ……」
少しふらつき崩れ落ちる。
「くっ!」
ゴムの加工技術がない時代の杖は絶望的なまでに頼りにならない。
結局俺は這って扉までたどり着くとドアノブの助けを借りて立ち上がった。
結論から話すとしよう。
俺、ケイ・エルージュは足が不自由だった。
持っていた杖にゆっくりと体重を預けて歩き出す。
ゆっくりと、確実に、一歩ずつ。
俺は永遠にも似た長い時間を掛けて孤児院の食堂に向かった。
重い扉を開けると騒がしい喧騒が身を包む。
これも孤児院の日常だ。
部屋の隅を伝ってなんとか1席獲得する。
「うわ、ほら今日はあそこに座るんだって」
「ないわー、別の席に行こう?」
俺が席に座ると俺の周りには誰も人がいなくなる。
この宗教が平等を説いていてよかった。
じゃなかったら今頃2度目の人生はとっくに終わっていたに違いない。
それほどまでに俺は避けられていた。
別に構わない。
3年もこんな目にあっていれば嫌でも慣れるという物だ。
それにもっと酷い仕打ちを前世では受けてきた。
元より、好かれる期待なんて1ミリも抱いていないのが俺の素直な気持ちだった。
少し調べれば1ミクロくらいはあるのかもしれないけど。
それを調べること自体かなり無駄なことだと思っている。
飯が終わると俺が向かうのはもっぱら書斎だ。
この世界で一般に信仰されている宗教はキリスト教やイスラム教と同じ一神教だ。
それを知ったのは書斎にある聖書であり、ほかの本も片っ端から読み漁って知識を蓄えている。
足が不自由である以上この世界で必要なのは学だ。
全体的な識字率が低い以上、少しでも知識を頭に詰め込んでのし上がっていかなければいけない。
ステンドグラスから差し込んでくる光を使って文字を読み進める。
分からないところは拾ってくれたカリダッド神父に訊いた。
彼は俺の勉強具合に感心している様だった。
「君は勉強熱心だね」
「そうしないと生きていけないので」
「別にいいんじゃないか? 知恵がなくとも神職になれば生活は保障される」
「確かに生活は保障されるでしょう。でも…それって囚人と変わりなくないですか?」
「どういうことだい?」
「確かに必要最低限の生活は出来るでしょう。ですが、障害者となると話はまた別です。
こんな足である以上私は人より優れていると判断されなくてはいけないのです」
「――君は将来大物になりそうだね」
「それは買いかぶりすぎです」
それ以来カリダッド神父は時折俺に課題を出すようになってきた。
だが、途中までとはいえ義務教育をこなしてきた俺には出来ない問題じゃない。
その日のうちに解いてカリダッド神父に提出していた。
俺には学ぶべきことがある。
この世界の歴史を筆頭に魔術や国の制度など知るだけでもかなり違ってくる。
体を動かすことが出来ない以上知識を得ることの方が重要だ。
そんなこんなで俺は昼食の時間まで書斎で書物にかじりついていた。
今日は魔術の基礎である『魔法感化』を知ったのでそれを午後に試してみるつもりだ。
魔術といっても何も最初から「魔術」である訳ではない。
それの基礎の基礎である「魔法」をまずは習得してそれを使いこなせるようになって初めて「魔術」という物に触れることが出来る。
今回やる『魔法感化』というのは魔法の中でも基礎の基礎である低級魔法だ。
杖をついてゆっくりと歩き始める。
重い扉を何とか開けて食堂内に滑り込む。
いつもの様に避けられながら飯を掻き込むとさっさと部屋に戻る。
扉を閉めて鍵を掛けると俺は懐から本を取り出した。
足を引きずりながらベッドに座り込むと俺は本を開いた。
「えっと……体を流れる血管を通じて魔法の流れを感じるんだな……」
俺はゆっくりと目を閉じると一番感じやすい血管、頸動脈に手を当てた。
とくとくと血が流れるのを感じてゆっくりと血管のある場所を探っていく。
脇の下、手首……
そこから別の流れの管を探っていく。
何十分そこで流れを探っていたのだろうか。
気が付くと夕食の時間を告げる鐘が鳴っていた。
「もうそんな時間か」
俺は立てかけてあった杖を手に取ると慎重に体を持ち上げた。
飯を食べながらぼんやりと考える。
(どうやったら魔力の流れを感じられるのだろうか……)
血管を伝って調べてみたが特に魔力を感じることは出来なかった。
まだ幼いから魔力の管が細いのだろうか。
そもそもあの本には何歳になってからというのが書いていなかった。
そういうのを考えるとある年齢になるまでそういったものを感じるのは難しいのかもしれない。
まだ時間はある。
そういった書物がないか調べてみるとしよう。
どこに分類されるんだろうか……
そんなことを考えながら俺は書斎に向かった。
重い書斎の扉をゆっくりと開ける。
そこが俺の境目で、突如として俺の異世界生活は変貌した。
「えっ……」
俺は目の前に広がっていた光景に思わず尻もちをついてしまった。
そこには赤く染められた床。
棚ごと斬られた書物。
あちこちに散らばる人の死体。
そして…その中心で剣を持って立っている1人の孤児。
「なんだよ、レベルの概念がねーのかよ。くそっ!」
中心の少年は地団駄を踏みながら剣を振り回す。
「ひっ――うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
情けないことに俺は思わず悲鳴をあげた。
その声に少年がこちらを向く。
「なんだ、ケイか」
少年はこちらに剣を向けながら近づいてきた。
「俺だよ俺。つってもお前のことだから覚えてなんていないと思うけどよー。
年に会わないお前の冷めた様子を見ているとお前はもしかしたら特殊なのかもしれねぇな……
何を話してたっけ? あぁ、そうだそうだ。俺が誰かって話だよな。ライアンって言って思い出せるか?
この生活が思ったより退屈だったからな」
「お前……まさか……」
俺が震えながら訊くと少年は鋭い八重歯をむき出しにして笑った。
「そうだよ、転生者だ。ってことはお前も転生者っぽいな。そんな障害のある体に生まれるなんて災難だったなぁ?」
そういうと少年は剣を振り上げた。
「んじゃ、死ねや」
「《魔力強化》!」
俺は思わず反射的に呟いていた。
その直後に俺は後悔する。
馬鹿か俺は、「魔力感化」も出来ていないのにどうしてそんなことが出来ると思ったんだ。
刃は嫌にスローに近づいていた。
俺は……俺は……
そんな中、意識だけが妙にはっきりしていた。
(許さない、復讐してやる、下剋上してやる……)
そんなフレーズが頭の中に流れ込む。
反射的に俺は頭を横にずらした。
次の瞬間、耳障りな音と共にさっきまで頭のあった場所に剣が突き刺さる。
「おっ、なんだよ。避けるなよ」
少年否、ライアンはそんなことをいうと剣を引き抜いた。
「しっかし残念だな。レベルもなければHPもMPもない。こんなクソな世界だとは思わなかったよ」
ライアンはまるで俺に普通に話しかけているかのように攻撃を仕掛けてくる。
冗談じゃない!クソなのはお前の思考回路だ!
下半身が動かせない以上上半身だけでよけるしかない。
ライアンの攻撃を2,3回ほど躱したところで俺は違和感に気が付いた。
なんで避けられているんだ?
彼が素人だということもあるだろう。
だがそれにしてはおかしい。
恐らく彼なりに剣の腕は鍛えてきたはずだ。
それでも見切れるほどに俺の運動神経は優れていない。
となると……
「『魔力強化』が成功したのか……」
「何ぶつぶつ言ってるんだ?」
ライアンは攻撃の手を緩めずに訊く。
ってことは…知識があれば多少は俺でも扱うことが出来るのか?
「《ファイア》!」
手のひらをライアンに向けて低級の炎魔法を唱える。
その瞬間、俺の手の平から炎が飛び出しライアンの服に少し焼け焦げを作った。
これは……少しの間なら抵抗できるかもしれない。
「へぇ……いっつも引きこもってるから何しているのかと思ったら……魔法の修行でもしてたのか」
ライアンから余裕の表情が消え、少し距離をおいて剣を構える。
随分と彼を怒らせてしまったようだ。