カリダッド神父
意識はパッと覚醒した。
目はうまく開かない……
俺は……一命をとりとめたのか?
失明しているのだろうか?
声が出ないが声帯にも傷がついているのか?
様々な疑問が頭の中を天衣無縫に飛び回る。
あの時は完全に死んだと思っていたが……
そもそも、最近の医学は頭を砕かれても治るほどに発展したのか?
だとしたら驚かざるをえない。
医学万歳だ。
その時、背中に何か軽い衝撃が走った。
なんだこの違和感……
突かれているのとはまた少し違う……
背中全面に少し硬いものが張っている感じ。
もしかしてなにかの上に置かれたのか?
まず頭によぎるのは「どうやって」だ。
割と小柄な方だがそれでも50キロはあったはず。
それをいとも簡単に置けるというのはどうにもおかしい。
そして、なにかとの間には少し柔らかいものが挟まっている。
感覚からして――麻だろうか?
何とか上体を起こそうとしたがどうにも力が入らない。
そんな状況確認をしていると顔を冷たい風が撫でた。
だが、機械的な物じゃなく自然に吹く風のような……
それにしんしんと顔に冷たいものが振ってくる。
これは――雪?
少なくとも俺が死んだ筈の季節は夏だ。
いくら日本が異常気象だからといってこんな真夏に雪が降るのは流石におかしい。
それともそんなに長いこと俺は眠っていたのか?
それに雪が降るということは屋外に俺は出されている。
本当にこれはどういう状況なんだ……
その時、ぱちりと何かの偶然の様に俺は目を開いた。
やはり俺の推測は間違っていなかったようだ。
天井は鈍色に覆われ、そこから雪が降っている。
顔を少し横に倒してみると茶色の麻布が見えた。
やっぱり麻で間違いなかった。
そして、俺は異様なことに気が付いた。
――このぷにぷにした手はなんだ?
試しに掴んでみようと手を握る。
……なんでこの手が握りこぶしを作るんだ?
しばらく考えた俺はある結論に至る。
まさか赤ん坊になっている?
そうなると思い通りに体が動かない理由も分かる。
…根本的なところは依然として不明だが。
なんで赤ん坊になっているのかっていう話だ。
これに関しても実をいうと答えが出ているがそれをそのまま信じろというのはさすがに無理がある。
「異世界転生」
赤ん坊になる前にそこそこ読んだあの展開だ。
王道が出来る程度には人気だったな……
だが、あまり興味がなかったので二、三冊読んだところで放り出した気がする。
インパクトだけは強かった。
ただそれだけだったかな。
……いや、これ以上思考を回想に費やすよりもまずは情報が欲しい。
なにか周りを確認できるといいのだが……
そう思って周りを見渡そうとしたが体が動かないことを改めて思い出す。
やはり不便だ、この肉体。
すこし寝返りを打とうとして何分か格闘しているとようやく寝返りを打つことに成功した。
どうやら麻布の他に篭に入れられていたらしいな。
そして、その篭もひっくり返ってうまくいった。
周りの状況を見ることが出来る。
首の座らない頭を動かす事は出来ないので寝返りを打ってあたりを確認する。
そこには……中世ヨーロッパ風の建築物が広がっていた。
……こんなものを見せられた以上認めるしかなかろう。
俺は日本の若者たちが望んで止まない「異世界転生」なるものを果たした。
だが、その感動は俺には一切湧いてこなかった。
むしろ困惑の方が大きい。
死んだのにも関わらずまた新しい肉体をくれるなんて輪廻転生というのも恨めしい。
日本であいつらに復讐していた方が個人的にはよっぽど価値がある。
さすがに寒くなってきた。
ヨーロッパの冬は地域によっては日本より寒いところが多いらしいからこのまま麻布一枚というのはかなり無理がある。
そもそも……親はどこにいるんだ?
こっちの世界で俺を生んだ親……親……あぁ、捨てられたのか。
そんなことを考えていると俺の背後で木のきしむ音がした。
扉が開いた音だろうか。
「おやおや、今回コウノトリが運んできた子は随分と元気なようだ」
初老の男の声が俺の耳に届いた。
誰だ?
今度の答えはすぐに分かった。
男が俺を抱え上げ、こちらに顔を向けてきたからだ。
神父の服を着ているがそのまま信じるには少し無理のあるやや筋肉質な体をしている。
歳は30代~40代だろうか。
黒人の血が混じっているのか薄い褐色の肌をしている。
そして苦労性なのか髪の毛やひげには白いものが混じっていた。
「私はカリダッド神父。あなたの名前は何ですか?」
赤ん坊に訊くなよ。
「貴方が自分の口で己の名前を言うのはまだ先でしたね」
そういうとカリダッドという神父は俺が入っていた篭を片手で調べ始めた。
随分と器用な神父だ。
「『ケイ』というのですね。『ケイ・エルージュ』、ようこそわが家へ」
……どうやら、俺の親は教会の前に俺を棄てていったらしい。
まぁ、子を棄てる親なんてどうせ碌な奴じゃない。
というより、前世と同じ名前というのも嫌な話だ。
しかし今の俺にはどうしようもない以上世話になるよりほかにあるまい。
こうして俺は「マチルダ孤児院」で生活を始めた。