受け継がれし魔剣
翌朝、まだ日の出前の薄暗い廊下をレイトはリシュアと並んで歩いていた。二人の後ろに、まだ眠りに片足を突っ込んだままのライナとレミィがフラフラとおぼつかない足取りで続く。
廊下の壁に規則正しく嵌め込まれた格子窓から覗く空にはちらほらと星が瞬き、時折冬の冷たく爽やかな風が二人の頬を撫でていく。
向かう先は昨日の謁見の間。その場所で、朝食よりも先にレイト達は稽古を付けてくれるという鬼達と顔を合わせることになっていた。
「そういえば昨日、夕食の後にカムイに呼び止められてたけど、なんの話をしてたの?」
まだまだ直線が続く廊下を進みながら、ふと思い出したようにリシュアが聞いた。
「ん? ……あ、ああ、あれか。別にそこまで重要な話じゃなかったんだけど。俺の持ってるこの剣、どうやらこの桜花で作られた魔剣の一つなんだってさ」
「…………いや、レイト、あなたそれ、かなり重要な話よ……? 一括りに魔剣といっても十人十色の性能だけど、少なくとも所持していて不利になることはほとんどないから。どうして昨日のうちに言ってくれなかったのよ」
「うーん、不利になることはないとしてもな…………別にそこまで有利になるような気はしないんだよな……」
期待に目を輝かせるリシュアとは逆に、魔剣の持ち主たるレイト本人は、昨日カムイから知らされた剣の性能に、いまいちパッとしない思いを抱いていた。
「……それって、どう言うことよ?」
曖昧な返答に、リシュアが不思議そうに聞き返す。
「なんつーか、どうも使い道がわからないんだよ、こいつ」
鞘から抜いた剣の一欠片の曇りも無く澄んだ刃を眺めながら、レイトはまたも曖昧に言った。
別に勿体ぶっているわけではない。言葉の通り、レイト自身、この魔剣についてよく分かっていないのだ。
「使い道が分からないって……いくらなんでもそんな事はないでしょ? とりあえず、その剣がどんな力を持っているのか、そもそもどうして貴方がそんな代物を持っていたのか教えなさいよ」
それでもなお、期待を捨てずに詰め寄ってくるリシュア。真相を知ればほぼ確実に失望するだろう事は目に見えているが、かと言ってこんな所で変に頑固になる意味もない。
「分かった分かった。それじゃあ言うけどさ……、少し長くなるぞ?」
「気にしないわよ。どうせこの廊下、まだ続くんだし」
リシュアの返答に頷いて、レイトは昨晩のカムイとの会話を語り始めた。
* * *
「……魔剣? この剣が?」
夕食の後、カムイに呼び止められたレイトは、酒で酔っ払ったリシュアとライナ、そしてすでに睡魔に負けそうなレミィを部屋へ送り届けてから、再び広間に赴いて、カムイの前に座っていた。
二人の間には一振りの白銀の剣。レイトが故郷のソルムを発つ時に渡された、父の形見にして唯一の武器であるそれが、台座の上に丁寧に置かれている。
カムイ曰く、名前も無く、これといった装飾も無い、どこにでもありそうな見た目のこの剣が、かつて東方で造られた魔剣の一つなのだという。
「その通り、その剣は今から二十年前、大陸から来た冒険者の注文で、この国の刀工が作り上げた一振りに間違いない。レイト殿、其方この剣を何処で?」
酒の注がれた盃をレイトに勧めながら、カムイが聞く。
レイトは盃を受け取ってから、一つ、小さな溜息を挟んでから言った。
「これは……この剣は親父の形見です。俺が故郷を発つ時に渡すようにと、村の知人に預けてくれていたようで……」
その答えに、カムイは目を丸くした。
「なんと! それでは其方の父名はブランか! いやはや、まさか彼奴の息子に会うことになろうとはな。ハッハッハッハ!」
豪快に笑い、レイトがその腕に抱えきれるかどうかというほどの巨大な盃を傾けるカムイ。
そんな彼の姿を前に、レイトは今の彼の言葉に一つの疑問を抱いた。
「あー、一つ聞いてもいいですか?」
「む。なんだ? 私が答えられることならばドンドン尋ねるが良いぞ?」
盃になみなみと注がれていた酒をあっという間に飲み干して、袖口で口元をぐいと拭ってから、満足げな様子でカムイが聞き返す。
「いや、その、何故一介の冒険者でしかないはずの父が、桜花の領主である貴方と面識があったのだろうかと……」
レイトの疑問はズバリそこだった。
昔からカムイやリュウカ達との親交が深いリシュアがいる自分達なら分かるが、何故父親のブランまでもがカムイと知り合いなのか。
まさか大陸からの旅人全員がこの城に招かれてカムイと謁見しているというわけではあるまい。
「ああ、そんなことでいいのか。何故私が彼奴を知っているのか。それはな、私が彼奴の命を救ったからだ」
あれは確かでかい嵐が去った次の日のことだったな。
と、何処か遠くを眺めるように、カムイは続ける。
「あの日私は、先代魔王であり盟友のルドガーとの晩餐会から桜花へ帰るために船上にいたのだが、その帰還の航路で偶然一人の男を救助してな。それが彼奴……ブランだった」
空になった盃に、再び酒をなみなみと注ぎ込みながら、カムイの話は続いていく。
「彼奴はな、たった一人、吹けば飛ぶような貧弱な小舟と共に海を越えて、桜花に行こうとしておった。この時点で私は彼奴の底知れぬ度胸と野望にある種の敬意のようなものを感じたのだ」
そして、カムイはブランをそのまま船に乗せて、桜花へと帰還したのだという。
「ブランが桜花に滞在している二週間ほど、それはもう毎日が華やかだったのを覚えている。元を辿れば魔族である我らを微塵も恐れる様子もなく、毎日昼間は城下へ繰り出し町人や兵士達と語り合い、夜は私と飲み明かしたものよ。人と魔族が共存する世界。我が盟友の理想を地で行くような男であった」
はっはっは、と昔を懐かしんで笑うカムイを前に、レイトは少し目を伏せた。
カムイが言う「盟友の理想を地で行くような男」は、大陸ではその盟友、ルドガーを打ち倒した勇者として名を知られている。
たとえその真相が魔王自身の酒の飲み過ぎによる突然死だとしても、語り継がれる歴史には父親の名が挙がるのは確かだ。
その事実を、もしもカムイが聞いた時どう思うのか。そんな未来の話を心の片隅で考えてしまうことが辛かった。
だが、そんなレイトの悩みをカムイが知るはずもない。
「そういうわけで、彼奴は一週間が過ぎた頃には、城でも城下でも人気者だった。それほどの客人を大陸へ手ぶらで帰すわけにはいかぬから、何か欲しいものはあるかと尋ねたのだ。そして彼奴はこう言った。「桜花の刀工は世界でも有数の腕と聞く。であれば、一つ、とびきり頑丈で切れ味の鋭い剣を造ってはもらえないだろうか」と。そして生まれたのがこの剣というわけだ」
かつての日々を思い返しているのだろうか。カムイは目を閉じて、無言のまま剣の刃を指でなぞっていく。一分ほどそれが続き、やがて静かに目を開いた。
「名を「スミゾメ」という。本来ならばごく普通の剣として生まれるはずだったのだが、製作に携わった刀工がやけに張り切っていたらしくてな。無意識に妖力を刀身に込めに込めた結果、気がついた時には魔剣として仕上がっていたそうだ。もっとも、彼奴はこの能力を一度しか使わなかったようだがな」
「……一度だけ?」
「ああ、その通り。今、刃に触れて分かったことだ。一括りに魔剣といっても、その能力は多種多様でな。このスミゾメは、剣としての出来は最高だが、魔剣としての能力は少しばかり使いにくくてな。彼奴もこの剣の能力を聞いた時は少しばかり頭を捻っていたな」
「えっと……その能力ってのは一体……」
たとえ使いにくい能力だとしても、それが切り札級の能力ならば、今後避けることのできない魔王軍との戦いでの大きな武器になる。
そんな期待を込めたレイトの質問に、カムイは盃に残った酒を飲み干し、そして言った。
「うむ。それはな…………」