鬼の領主・カムイ
「はっはっはっは! 妙に悔しそうな顔で入ってきたから、何かと思えばそのようなことでいじけていたのか、リシュア殿は」
桜花の中心にそびえる城、薄紅城の謁見の間で、桜花領主にして身長三メートルはあろうかという大鬼、カムイは豪快に笑う。
「別にだれが気にすることでもあるまい。この私からしてみれば、今もあの頃も変わらず、リシュア殿などまだまだ子供なのだからな。私とて、かつてはそういう体験はいくらでもあったものよ。はっはっはっは!」
「…………父上、その話はもうその辺に……お客人達も困っておられるようですし。すまない、リシュア様。久々の来訪だというのに、いきなりこのような話から始まってしまって……」
カムイの発言に、彼を挟んでリュウカの反対側に正座している、鬼の青年が申し訳なさそうに言う。
「いや、大丈夫よタツミ。私はそんなに気にしてないから。むしろこうやって笑い飛ばしてもらった方が、かえってすっきりした気がするし」
「それならばよかった。父上、そろそろ本題に入られては? リシュア様はともかく、私達は残るお客人に挨拶をしておりませんし……」
どうやらタツミという名前らしい青年は、半ば呆れた様子で、しかしどこか嬉しそうな口調でカムイに言った。
「おお。そうであったそうであった。確かに挨拶はしておらんかったな。お客人達、海の向こうから、よくぞこの桜花へ参られた。私はリンドウ=カムイ。この国の領主をやっておる。そして、両隣にいるのが私の子達だ。右が娘のリュウカ、左が息子のタツミだ。まぁ親しくしてやってくれ」
カムイの言葉に、リュウカとタツミがゆっくりと一切無駄のない動作で掌を床につき、背筋が床と平行になる程までに頭を下げて座礼をした。
案内の時は肌脱ぎをしていたリュウカも、今この場では長い髪を後ろで括り、黒袴と桜の花を模った紋の付いた深紅の小袖をきっちりと纏い、先程までの男らしい性格はすっかりなりを潜めている。
「どうもありがとう。今度はこっちの挨拶の番ね。えっと、右にいるのがレイト=ローランド。左の二人が、私の側から順に、レミィとライナよ。今日からしばらくの間、お世話になります」
リシュアはそう言って、リュウカ達がしたのと同じように座礼をする。彼女の座礼は流石にリュウカ達程ではないのだろうが、それでも東方の文化が始めてのレイト達三人からしてみれば十分に優雅に見える。
リシュアに続いて三人も見様見真似で座礼をしたものの、動きはぎこちないわ、尻は上がるわで、レイト自身、外から見たらかなり変な姿なんだろうなと思ってしまうくらいには、三人揃ってなんとも不恰好なものになってしまった。
そもそも正座の方も「一応、領主様と会うときは、私の真似でいいから正座と座礼くらいはしておいてね?」というリシュア発言で初めてその存在を知ったようなもので、謁見の間で座ってから5分ほどが経過した今。レイトの脚は痺れに痺れて感覚が失われつつある。
「……うぅ…………」
と、そんな小さな呻き声がリシュアの隣から聞こえた気がして横目で見てみれば、レミィが顔を赤くしながら足先をモゾモゾさせているのが見えた。レイト以上にレミィの正座は限界を迎えようとしているらしい。
「あ、みんな、アレだ。正座じゃなくていいぞ? な、父上」
ぷるぷると震えるレミィの様子に気付いたリュウカが苦笑まじりに言った。
彼女の言葉に、一瞬、見るからに「あっ」と言う表情を浮かべたカムイ。
「む。おお、すまないなお客人ら足は崩して貰っても構わんよ」
すっかり失念しておったわ。と、頭の後ろを掻きながらレミィに向けて言った。
「あ、ありがとうございます……」
ペコリとお辞儀をして、痺れる足をゆっくりと崩すレミィ。ちなみにライナの方は、カムイが言うよりも先に、勝手に胡座をかいて座っている。
「さて、と。リシュア殿、本題の方に入るとするかな」
目線をリシュアの方に戻したカムイが真面目な顔つきになって言う。
その様子に、リシュアもまた、姿勢を改めて正してから口を開いた。
「ええ、勿論。既にヴァルネロ達、四帝から話は伝わっていると思うのだけれど、大陸の方で、ガルアス率いる魔族の軍が、大規模な戦争を起こす可能性がかなり高い……」
「その話ならば、たしかにヴァルネロ達がこの東方に到着したその日の内に把握はしている。一家臣たる者が主に牙を剥き、自ら戦乱の時代へ逆行しようとは、全く愚かなことよ……。とはいえ、私はこの地の伝統を守る立場にいる以上、援軍として我らが兵達を大陸に送ると言うことも難しいのだが…………」
「その事は十分に承知してる。そりゃあこの東方の兵力は喉から手が出るほどに欲しいけれど……それでも私達が今一番に欲しいのは、私達自身の力なの」
「ほう? すると……リシュア殿が今回この地を訪れた目的というのは鍛錬か?」
今のリシュアの言葉に、カムイは既に納得した様子で聞き返した。
「そう。その通りよ。この先、私が父の意志を継いで大陸を平定するという目的を果たすためには、まずは今のあの地にとっての災厄の種たるガルアスは私達が打ち倒して、私達の名前を平和をもたらした者として、世に刻まなければならない。だけど、今の私達の力ではまだ奴には及ばない。…………だから、強者揃いのこの地で、修行を積ませて欲しいの」
リシュアはそう言い切って、真っ直ぐにカムイの目を見た。視線を一切ブレさせる事なく、自らの意志を全て伝えようとして、見つめる。
そんなリシュアの心の内を確かめるかのように、カムイもまた、リシュアの目を見つめたまま動かない。本当に覚悟があるのかと、視線を通してリシュアに問う。
衣摺れの音すら消え、静寂に満たされた部屋の中にピリピリと張り詰めた空気が流れていく。
(凄い…………これが……鬼)
リシュアの隣で、レイトはそんなことを思った。別に自分が見られているわけでもなく、ただ目の前に座っているだけのカムイ。だが、レイトは全く身動きを取れなかった。
部屋が静寂と緊張に満ちている、というのも勿論原因の一つだろうが、それ以上に目の前の、身長三メートルの大鬼から発せられる気迫に、まるで金縛りのようにレイトの身体の自由を許さないでいた。
それはレミィもライナも同じなのだろう、彼女達もまた、無言のまま見つめ合うカムイとリシュアに視線を固定したままピクリとも動かない。
その空気を破ったのは、カムイ本人であった。
「…………ククッ……はっはっは!」
今までの真面目な表情を一瞬で崩し、豪快な笑い声と共にカムイは立ち上がる。
部屋を支配していた緊張が風船のように弾ける。
その直後、カムイは城全体をビリビリと震わせる程の愉しげな声で言った。
「全く、リシュア殿も言うようになったな! 昔は何かある度にルドガー殿の後ろに隠れていたと其方が、先頭に立って大陸を平定するとは。いやはや、立派になられたものだ。良かろう。其方の要望、このカムイが承った!」