上陸は緋色の風
「みんな! 着いたぞ!」
アイゼンを出航して六日目の朝、客室で眠っていたレイトは、甲板から響いて来たライナの歓喜の叫び声に叩き起こされた。
レイトが急いで着替えて甲板に出ると、十秒ほど遅れてリシュアが続いた。
六日前の嵐からずっとのっぺりとした灰色に染められていた空は嘘のように晴れ渡り、船首の先に見える港には大小様々な蒸気船が停泊しており、港の向こうには背の高い鉄製の建物がいくつも並び、皆が揃って最上部に取り付けられた煙突から天をめがけて黒煙を吐き出している。
そして、その煙の向こう、港から真っ直ぐ伸びる大通りの先に、山一つ分はあろうかという大きさの巨大な城が、これまた巨大な天守閣をその頭に乗せて鎮座しているのが見えた。
一方視線を戻して船の上。レイト達を叩き起こした声の主のライナはといえば、船首の上に立って、空になった酒瓶をブンブン振っている。その近くには酔い潰れて鼾をかいて眠りこける三人の船乗り達。どうやら夜通し飲み続けていたらしい。
「到着したのはいいけど、朝くらい静かに起きさせてよ……」
眠そうに目を擦るリシュアに、ライナは悪びれる様子もなく笑っている。
「此処が、東方……俺達本当に海の向こうに来たんだな……」
「予定よりもかなり早い到着さ。何もかも、レミィちゃんが魔力炉の制御を完璧にこなしてくれたお陰だよ」
機関室の方から、頭にバンダナを巻いた男が、スヤスヤと眠るレミィを背中におぶって出てきた。
「とはいえ魔力炉の制御なんて初めてだろうから、かなり疲れている筈だ。今日一日はゆっくりと休ませてあげてくれよ」
「ええ、ありがとう、おじさん。レイト、レミィをおぶってあげてくれるかしら」
「あぁ、勿論だよ」
レイトは男の背中から自分の背中にレミィを受け取り、男に小さく頭を下げた。よほど疲れているらしく、レミィはレイトの背中に移されたことも知らない様子で小さな寝息を立てて眠っている。
その向こうで、ライナと数人の船乗り達が接岸の準備に入っていた。
機関室からは威勢のいい声が響いてくる。
「機関反転! 出力十分の一でパドル逆回転!」
「「了解!」」
ゴゥン、と地鳴りのような低い駆動音が船底の方から響き、それと同時に船の両側で水を激しく巻き上げているパドルの回転が急速に落ち、やがて完全に停止したのも束の間、直ぐにゆっくりと逆方向へと回転し始める。
ゆっくり、少しずつゆっくりと港が近付いてくる。
船着場には一人の頭から二本の長い角を生やした着物姿の鬼が、船を港に留めておくためのロープを手に持って、もう片方の手を大きく振っているのが見えた。
「やぁ、ギアンの爺さんじゃねぇか。まさかあんたがこっちに来るとは意外だ。大体、その船も相当の年代物だなぁ」
「おお。キリシマの小僧か。お主の見た目は三十年前と変わらんが、元気にしとったか?」
いつのまにか甲板に出て来ていたギアン老人が、孫との再会を喜ぶかのように弾んだ口調で、キリシマという名らしい、ロープを持った鬼に向かって言った。
おかげさまでな! と、キリシマは甲板にいる船乗りの一人にロープを投げ渡しながら笑った。
「船の方はちょっと事情があってな。それよりも、今日はカムイへの客人を連れて来たのだ」
「へぇ。そりゃ珍しい。ちょいと待っててくれや。直ぐに城からの迎へを呼ぶからよ」
そう言ってキリシマは懐から、中央に翡翠色に輝く真ん丸な石がはめ込まれた掌サイズの長方形の箱らしきものを取り出すと、その石に向かって喋り始めた。
「あれ、新式の通信絡繰らしいわ。リョウジの空間通話能力と同じような力ががあの箱に仕込まれてるらしいわ」
「へぇ、詳しいんだな」
「ええ。父に連れられて此処には何度か来ているから。といっても最後に来たのは五十年以上も前のことだし、その頃にはまだあの通信装置も構想段階に過ぎなかったみたいなんだけどね」
「なんというか、大陸との技術の差がすごいな……」
「まぁ、そうね。皇国と違ってこの東方はかなり昔から、魔法よりも科学の発展が重視してきてるし、何より他国の侵略を一切受け付けない強力な軍のおかげで、じっくりと独自の技術発展が出来たってわけ」
「他国からの侵略を一切受け付けない軍って…………一体どれほどの強さなんだ……」
「実際に体験してみればいいじゃない。此処であなたの修行にはヴァルネロに加えて、その最強の軍を率いる部隊長誰かについてもらおうかなって思ってるから」
「えぇ……」
リシュアの思わぬ発言に、レイトは深くため息をついた。ジルバでのスパルタにも程がある修行の日々が蘇ってくる。今度は何度殺されれば済むんだろうか。
などと二人が話しているうちに、連絡を終えたらしいキリシマがレイト達の元へと歩いてきた。
「今しがた、城の方へ連絡を入れてきた。あと数分もすれば迎えが超速で来るはずだ……って、もう来た⁈」
キリシマがレイト達へ迎えの案内を完了するより先に、城の方向から小さな地響きが聞こえてきた。よくよく目を凝らしてみれば、それぞれ一人の人影が跨る四騎の馬が、もうもうと土煙を上げながら、疾風の如く勢いで港の方に爆走してくる様子が見てとれた。
恐ろしい速さで港に近づいて来るにつれて鮮明になる彼らの姿。四人全員が頭から二本の角を生やしている。
その鬼中に別段目を惹く鬼が一人。集団の先頭で、残りの三騎を引き離す勢いで馬を走らせる、腰に二本の大太刀を提げ、背中には巨大な薙刀を背負った、緋色の袴姿の若い女である。
乱雑に後ろで括っただけの、燃えるような紅蓮の長髪を風になびかせ、袴と同じく緋色をした小袖の左の肩を脱いで下のサラシを見せるその姿の凛々しさたるや、後続の馬に跨る筋骨隆々の男の鬼達の姿が霞むほどだった。
その彼女が、甲板のリシュアの姿を見つけた途端、パッと表情を緩めて、器用に足だけで馬に跨ったまま、両手をブンブンと降り始め、ライナもビックリな大声で叫んだ。
「おぉい! リシュアァァァァァァッ! 久しぶりじゃねぇかァァァァァァッ!」