鋼鉄の目覚め
船はある。老人の言った言葉はざわめきとなって周囲の住人から住人へと伝播していく。
「……今の話、本当ですかギアン長老。かれこれ五十年間この街で暮らしてきましたが、あの船と漁船以外に、今も現役の舟がもう一つあるというのは初耳ですよ……」
ギアンと呼ばれたその老人の横にいた初老の男が驚いた様子で言った。
「儂とて、アレを表舞台に出すことになるとは思いもしておらんかったよ。アレはなかなかに扱いが難しいからな。しかし、東方との貿易が途切れるとあっては背に腹は代えられん…………。冒険者の方々よ。先ずは私達を救ってくれたこと、皆を代表してこのギアンが深く感謝する。そして、案内しよう、もう一つの船へ。このアイゼンに足を運んだということは、東方へ用があるのだろう?」
「えぇ。東方への定期的な連絡船が存在するのは皇国では街だけだと聞いていますから」
リシュアの言葉にギアンは頷いた。
「分かった。では案内しよう。付いて来なさい。皆も、動ける者は来てくれ。なにしろもう六十年以上動かしていない船だ。整備には人手がいる」
そう言って港港とは逆、レイト達がやってきた林の方へと歩き出すギアンの後ろを十数人の男達が追う。年齢はバラバラながら、どの男もニライ以上に逞しい筋肉を全身に纏っている。
そして、その筋肉集団の後ろにレイト達四人は続いた。
* * *
アイゼンから一本だけ伸びる林道から大きく外れ、獣道としか思えない荒れ果てた小道を、ギアンは見た目にそぐわぬ力強く、迷いのない足取りで進んでいく。
「ねぇ……本当にこの先に船があると思う? 地図で見る限り、このまま進んだら切り立った崖の壁面で行き止まりなんだけど……」
集団の最後尾を歩きながら、手帳の地図とにらめっこをしていたリシュアが怪訝な顔をして言った。
「さぁな……。でも、あのギアンって人の足取りから見るに、確信を持ってこの道を進んでるみたいだけどな」
彼女にそう投げ返し、レイトも自分の手帳の地図のページを開く。確かにリシュアの言う通り、今の方向に歩き続けると、あと百メートルもしないうちに高さ十五メートル程の崖を登ることになる。
が、しかし、ギアンが嘘をついているとは思えず、そもそも無い船を有ると言い張ることに何のメリットも考えられない以上は、先を歩くあの老人に素直についていくのが得策だろう。
「ま、無かったら無かったで、他の方法を考えるしかないんじゃね?」
前を歩くライナが振り返って、お得意の呑気な顔で言う。
「いや、きっと船はあるよ。ギアン爺は嘘なんかつかないよ。この街の長として、そして船乗りとしての誇りをあの人は持っているからね」
そんな三人の会話に、レイト達と共に歩くニライが笑顔で言った。
「僕もこんな林の向こうにもう一隻船があるなんて初めて聞いたし、にわかに信じ難いけど、それでもギアン爺が言うなら船はあるよ。前を歩いているみんなも、ギアン爺の言葉を信じてるんだ」
「へぇ。それなら私達も信じないとね。ほら、ちょうど何か動きがあったみたいよ」
リシュアの言う通り、木々の向こうに行く手を阻む高く垂直な崖が姿を覗かせ、先を歩く男達の歩みがピタリと止まった。代わりに、おぉー! という小さなどよめきが聞こえてくる。
「行ってみようぜ!」
こういう時、真っ先に駆け出すのはライナだ。前で集まる筋肉を押し退けて、彼女は壁を目指す。
ライナが男達の間に開いた道を、レイト達も彼女の後を追って進む。
その先にあったのは当然の如く、岩壁だった。左右に広く伸びるように聳える壁には、レイト達四人を始め、おそらくここについてきた男達、そしてニライの誰もが想像していたであろう、船の隠し場所への入り口などはなく、ただただ少し苔むした凸凹の岩肌が広がっているばかりだった。
だが、一人、ギアン老人だけは何かを確信したかのようになんども頷いて、目の前の岩肌に張り付いた苔を剥がしていく。
「冒険者の方々。ここだ。この先に船はある。ほら、これがその証だ」
やがて一通り手の届く範囲の苔を払い終えた老人は、張りのある声でレイト達を呼び、たった今苔を払った岩壁の一点を指差した。
「これは……桜花の紋かしら?」
ギアン老人の指差した場所を見つめて、リシュアが言う。目を凝らせば、たしかに苔の剥がれた岩肌に、至る所が搔き消え、薄っすらとだが、朱色の紋様が描かれているのが見える。
先端が小さく二つに別れた五枚の花弁の上に二本の太刀の交差を描いた紋様。これは間違いなく、東方の島国、桜花の国紋だった。
「そうだ。このアイゼンと桜花の交流は百年以上前から続くものでな。ここは友好の証として桜花の絡繰技術を用いて造られた場所なのだ」
ギアン老人はかつてを懐かしむように言って、そっと桜花の紋様を手で軽く押した。
紋を中心にした小さな円の分がゆっくりと岩壁の奥へ押し込まれ、ガコンと何かが噛み合う音が壁の奥から響いてきた。
その直後、ガチガチと何かの機構の駆動音と共に、紋様の左の縦横二メートル四方の岩壁が地面に吸い込まれるようにするりとスライドし、壁の向こうに鋼鉄で綺麗に整備された通路が現れた。
「さぁ行こう。船はこの奥だ」
そう言ってギアン老人は通路の横に等間隔で穿たれた窪みの一つに火を付けたマッチを投げ込んだ。
窪みの中には油でも充たされていたのだろう。ボッボッボッと音を立てて、窪みから窪みへ、橙色の光が伝播し、通路の奥までを明るく照らす。
その中を一向はギアンを先頭に進んでいく。
少し下向きの傾斜を持った通路は途中で数度折れ曲がり、どうやら螺旋状に下って行っているらしい。
しばらく通路を進み続けると、やがて遠くから潮の香りがフワリと漂い、チャプチャプという波の音が聞こえて来た。
そこからさらにもう一度通路の角を曲がったところで通路は終わりを告げ、代わりにだだっ広い空間が姿を現した。
四方と天井を鉄の板と、その上を走る無数のパイプで覆われた四角い空間。そしてコの字型の足場の中央に空いた深く大きな窪みの底に設けられた船台の上に、一隻の見たこともない形状の船が鎮座し、複数の鉄の板で足場と甲板を繋がれている。
まず、船体は全て黒光りする鋼鉄で覆われ、レイト達がよく知る船の材料である木材はどこにも見えない。そして、素材以上に奇妙なのは、マストが一切存在せず、代わりに巨大な二本の煙突が船体中央部に突き刺さるように生え、船体側面には大きな水車のようなものが備え付けられているところだ。
こんな馬鹿でかい鉄の塊が水上を走るのだろうかと、レイトは少しばかり不安を抱いた。
だが、その不安を察したかのように、ギアン老人はレイト達四人の方へ近づいて来て言った。
「冒険者の方々には珍しかろうが、これがこの街に残されたもう一つの船。鋼鉄蒸気船と呼ばれる東方の船なのだ」




