魔王軍の船泥棒
「あ、ありがとう……扉だけじゃなくて向かいの壁まで貫通しちゃってるけどありがとう……!」
ライナとレミィの合体技、バーニング・エクストリーム・フィストによって壁に穿たれた穴の向こうから、見るからに気弱そうな顔の、それでいて筋肉質な身体をした青年が顔を出した。
「いいのいいの、気にしないで。それよりも、ここでいったい何があったのかを教えてもらえないかしら?」
隣にいたレイトも気付かないうちに人間態へ変身したリシュアがフラつく男の手を取りながら言った。
「あ、あぁ。そんなことならいくらでも話すよ。ただ、それよりも先に他の村のみんなも助けてもらえないかな。僕と同じようにみんな家の中に閉じ込められてるはずだから」
その言葉に、レミィとライナが同時に頷く。
「わかりました。他の人達の救出は私達が行きます。レイトさんとリシュアさんはこの人と話を」
「えぇ、わかったわ。そっちもよろしくお願いね」
もう一度頷き、小走りに遠ざかっていく二人の背中を少し見送ってから、リシュアは男の方を向いた。
「さてと、それじゃあ話してもらえるかしら……と、そういえば名乗ってなかったわね。私はリシュア=リーヴェルト。リシュアでいいわ。冒険者をやってるの。それで隣のこいつは……」
「レイト。レイト=ローランドだ」
リシュアに促され、レイトも自分の名を名乗った。こういうとき、ごくごく自然に見知らぬ相手と会話を開始することのできるリシュアの性格が羨ましく思うのだった。
「リシュアさんにレイトさん……、うん。よし、覚えた。ようこそアイゼンへ! 僕はニライ。ニライ=キルシア。まだ半人前だけど、この街で漁師をやってるんだ」
ペコリと頭を下げるニライの向こうから、例の技名を叫ぶライナの声が聞こえてきた。
「うん、よろしくね、ニライ。それで、この街に起こった事なんだけど……」
「あ、はい。その事なら中で話すよ……といっても、あっという間の出来事だったから、話せることは少ないかもしれないけど……」
ライナの「バーニング・エクストリーム・フィスト」をどうにかギリギリで躱し、無傷のソファをレイト達に勧め、ニライはその向かいの椅子に腰かけ、話し始めた。
「…………あれは、三日前の夜のことだった。丁度その日は東方への連絡船が帰港した日で、僕ら漁師を含めた街のみんなで船の整備と物資の積み込みを行ったんだ。作業が終わったのは十時を回った頃で、その後は集会所でちょっとした飲み会があって………って、そんな話はどうでもいいか。とにかく、そんな集まりがあって、家に帰ったのはもう十二時前だった。その時だよ、一人の獣人と一人の女の霊に率いられた無数のゴースト達が襲って来たのは……」
ライナの叫び声と激しい破砕音が何度も響く中、ニライの話は続く。
「奴らは突然、この街の広場に現れた。別に例えじゃない。本当に音も無く、気付いた時にはいたんだ」
「突然……ねぇ」
半分上の空、といった様子でリシュアは返事をした。
丁度、彼女には心当たりがあった。大量のゴーストを使役でき、同時に軍単位の転移を可能にする大規模な転移魔法を使えるアンデットが一人、魔王軍の四将の中にいたのを覚えている。
「僕は戸締りをして寝る準備をしていたところだったから、閉じたカーテンの隙間から覗いてたんだけど、それはもう、地獄だったよ。何しろ通り中を半透明のゴースト達が鎧をガシャガシャ言わせて行進していくんだかは。そして、丁度向かいの家の屋根の上で、銀の鬣を持った獣人が叫んでたんだ。「俺は魔王軍四将の一人。フェリル=ギムレー。殺されたくなければ大人しくしていろ!」ってね」
「「四将⁈」」
ニライの発した単語に、レイトとリシュアは全くの同時にソファから勢いよく立ち上がった。
「うわっ⁈ お、驚かさないでくれよ……。二人は何かあの獣人について知っているのか?」
「「い、いや……何も……」」
顔を見合わせて二人はソファへ腰を沈ませる。
(……四将絡みとか、話がデカくなりすぎだろう⁈)
(四将のフェリル=ギムレーって誰よ⁈)
「……まぁ、そのギムレーって奴の脅しに、街のみんなは素直に従ったよ。いくら腕っぷしは強くても、魔王軍の幹部率いる大軍に勝てるわけはないからね。で、皆んなが家に逃げ込んだ後で、奴の隣で浮いていた雪みたいに真っ白なドレスを着た女が両手を掲げた途端、あっという間に街は氷漬けさ。まったく酷いヤツラだよ……。何の目的か知らないけど、この街にこんなことしやがって……」
眉間に皺を寄せて言うニライに、リシュアは溜息を一つ着いた。
「……今の話で、この街を襲った目的だけははっきりしたわ。何に使うのか知らないけど……」
「あぁ、そういうことか」
「え?」
「さっき、ニライは「連絡船が帰港した」って言ってただろ? 港を見りゃ分かるだろうけど、その連絡船が綺麗さっぱり消えてるんだ。これはもう、そのギムレーって奴らが船を盗んだとしか思えない」
「船を⁈ そんな、冗談だろ⁈ あれはこの街にとって、なくてはならない存在なんだぞ⁈」
そう叫んだかと思うと、ニライはあっという間に家の外へと飛び出していった。
「なぁ、リシュア。魔王軍はどうして船なんかを……」
ニライが去った後、レイトはふと、隣で難しい顔をしているリシュアに聞いた。
魔王軍がわざわざ船を盗む理由が、レイトには分からなかった。真っ先にガルアス率いる魔王軍が侵略するとすれば、それはこのミラネア皇国であるだろうし、そもそも軍の移動には、転移魔法を使った方が、時間的にも隠密性的にも優れているはずだ。
「さぁね、私だって知りたいわよ。そもそもフェリル=ギムレーなんて獣人も、白いドレスの女の霊も、私は初耳なのよ……でもまぁ、もし私が向こう側の立場で、この場所から船を奪ったとしたら、私なら間違いなく東方へ行くわね。もともとこの船はそのための船なんだし、普通の連絡船と見せかけて内部に兵達を潜ませることもできるもの」
ただ、とリシュアは付け加える。
「もし私の予想が当たっていたとして、どうしてこのタイミングで船まで盗んであの国へ行くのか、その理由がわからないわ」
「……そりゃ、あそこには今四帝達と、彼らを慕う人達がいるんだ。今度こそ彼らを殺しに向かうつもりとか……?」
「いいえ……それはないはずだわ」
レイトの言葉にリシュアは小さく首を横に振った。
「悔しいけど、ガルアスは魔王軍内で最も合理的な魔族だったのよ。そんな男が、たかだか私怨の為に、しかもそろそろ皇国への本格的な侵攻も考えているだろうこの時期に、わざわざ船を盗んでまで、遠い異国の地まで兵を送り込むとは思えないのよ。もし奴が本気で四帝の首を獲りに行くなら、それはこの大陸全土が魔王軍の手中に落ちた後よ」
「……一番魔王軍を見てきたリシュアがそう言うなら、そうなんだろうな……だけど、それなら何が目的なんだろうな…………」
「それは、実際に東方へ行ってみるしかないわね。第一、そもそも東方へ行くっていう予想自体が間違いっていう可能性もあるし……」
そう言って、いまいちパッとしない疑問に深い溜息を着くレイトとリシュア。そんな二人の元へ、ニライが重たい足取りで戻ってきた。その後ろにはレミィとライナ、そして街の住人達がぞろぞろと続く。
「…………本当に、船が盗まれて…………」
今にも泣き出しそうな顔で言うニライ。彼の後ろで他の住人達も不安や悲しみにくれた表情を浮かべている。ただ一人、白髪に髭を長く伸ばした老人以外は。
「案ずるなニライ。それに皆の衆も。東方への船はまだあるのだからな」
漁船以外の船影の無い港をチラリと見て、少しばかり寂しげな表情を浮かべながらも、その老人ははっきりとそう言い切った。