居座り冬精霊
「そういえば、ユークとかいうリシュアの知り合いの首だけのデュラハン、結局あの村に置いてきたのか?」
「あぁ、リシュアが「魔除けの魔法のランタン」だとかなんとか言って、村長さんに押し付けてたのを見たよ。どう考えてもデュラハンだってバレてたと思うけど」
「ハハハ、違いねぇや。まぁ、ゴブリンとも争わずにやってきた村なんだ。もとからそういう場所なのかもしれねぇな、あの場所は」
トリネコを出発して早一時間、皇都フラムローザへ続くう街道から逸れたレイト達一行はたわいもない話をしながら、東方へ向かう船が出るという港町アイゼンを目指し、膝近くまで積もった雪深い林の小道を北の方へと歩いていた。
目的地の変更を言い始めたリシュアはといえば、泣きわめき疲れたらしく、レイトに背負われグォー、グォーとそこそこやかましい鼾を掻いて眠っている。
「それにしても、もう三月も中頃だっていうのに、春の気配が全然ないですね……」
先程から地面に積もった雪を蹴り上げながら歩いているレミィが、周囲を見回して言う。彼女の言う通り、林の中は、時折鹿か何かの鳴き声が聞こえてくる以外、小鳥の囀りすらも聞こえず、気味が悪いほどに静まり返っている。
「……そうなのか? 俺の住んでいたソルムじゃあ、毎年五月の始めに春の精霊祭をやって、それからようやく雪解け、って感じたんだけど……」
「あ、レイトさんはソルム出身なんでしたっけ。あの辺りは大陸でもかなり冬が長い地域なんですけど。今私達がいる場所は、本来なら今頃はとっくに雪解けが始まって、新芽が芽吹き始めているはずなんですよ。特に皇都周辺は春の精霊がせっかちで、冬の精霊達をすぐに追い払うらしいですし……」
「いくらせっかちな精霊だって言ったって、そいつらもたまには怠けたくなる年もあるんじゃねぇの?」
さっきから暇な両手で雪玉を作っては木に向かって投げ、作っては投げをひたすら繰り返しているライナが呑気な声で言った。
「そういうものなんですかね…………」
「そうそう、そんな細かいことは気にしちゃ負けよっとぉ…………あ……」
レミィとの会話の方に八割がた意識を向けるライナが木々の向こうに放り投げようとした雪玉は、スイング途中の彼女の手から見事にすっぽ抜け、一直線に先頭を行くレイトの背中で呑気に眠るリシュアの後頭部に炸裂して「フギャッ!?」という情けない悲鳴と共に砕け散った。
「いったい何!? 敵? 敵襲なの!? 助けてパパぁ!! ヴェッ!?」
どうやら寝起きのリシュアはまだ片足を夢の中に突っ込んだままらしい。レイトの背中の上だというのに両手足をバタつかせ、その勢いで両手をレイトの背中から話した彼女は重力に従って当然の動きで頭から雪道に落下した。
あの晩、ソルムの雪道の光景よろしく見事に垂直に雪に突き刺さったリシュアは、今度は自力でもぞもぞ動いた後、勢いよく雪まみれの頭を上げ、ポカンとした顔できょろきょろと辺りを見回す。
「…………おはようございます、リシュアさンンっ」
どうにか堪えようとしたものの、結局噴き出してしまうレミィ。その横で、彼女の配慮を全力でぶち壊すように
「ぷっ……ハハハハハッ!! なんて顔して……ククッ……ねっ……寝ぼけっ……プハッ……すぎだろリシュア……その顔、小っちゃな子供みたいだぞ!」
と、腹を抱えて笑っている。
そんな二人の様子を前に、リシュアは身体をプルプルと小刻みに震わせて、頭の上の雪を解かす勢いでカァーッと顔を赤くした。
「ちょ、そんなに笑わなくてもいいでしょう!? レイトだってそう思うでしょう……あ、どうして顔を反らすのよ!!」
「いや、何でもない……」
別にそこまで笑いはしていないものの、ぷくぅと両の頬を膨らませるリシュアをどうにも直視できず、頭上の木々に視線を送りながら、レイトはそう返事をした。
「……んんっ……次はあなた達三人の寝言をキッチリと笑ってあげるから、覚悟してなさいよ……」
何か恐ろしいことを呪詛のように吐いてから、リシュアは全身の雪を掃い、頬を膨らませたまま宙に浮かび上がると、そのままレイト達の歩行速度の五倍の速さで、林の向こうへとふよふよ羽ばたいて飛んでいった。
「ちょっと、ライナさん……! 流石にあれは笑いすぎですよ……リシュアさん、怒ってますよ、きっと」
「いや……私も正直悪いと思ってる……だけど、普段のあいつからあの顔はずるいって…………急に幼くなるんだもん……」
「そりゃライナさんの言うことも分かりますけど……」
リシュアを追って歩き出すレイト達三人。後ろを行くレミィとライナのひそひそ話をぼんやりと聞きながら、レイトは手帳の地図に目を落とした。
目的地であり、新たな旅の始まりの地となる港町アイゼンまでは後百メートル程度。よく目を凝らして見れば、木々の向こうに開けた空間があった。そして、なぜか自分達の方へと戻ってくるリシュアの姿も見える。
「おかえり、リシュア。……先にアイゼンの街に向かったんじゃないのか? 船の方はどうだった?」
一分とかからずに三人の元にふわふわと飛んで戻ってきたリシュアはお手上げといった様子の身振りと共にレイトの質問に首を振りながら静かに雪の上に降り立ち、溜息を一つ吐いてから言った。
「……なんというか…………とりあえず今年に限って居座り続けてる冬の精霊をぶん殴りたい。そんな気持ちよ」
三人の頭の上に、ポワンと「?」が躍った。