伝説はいまここに(前編)
「…………で? どうするのよ、このカイザースライム……」
ピタリと壁に背をつけて、リシュアは目の前に鎮座するカイザースライムを凝視しながら、半ば諦めたような口調で言う。
広場の体積の半分ほどを占めようかという巨体を堂々と見せつけるように三人の目の前に居座るこのカイザースライムの出現から早くも一分が経過しようとしていたが、このモンスターは特に自分から攻撃するでもなく、まるで目の前の冒険者たちに無関心な様子で巨大なゼリーの身体の中で正八面体のコアを目まぐるしく回転させている。
「……どうするったって、そりゃあ攻撃するしかないだろうけどさ……」
本当にこんな伝説とまで言われるモンスターが倒せるのかどうか、怪しい。否、むしろ不可能なのではないかと剣を構えながらもレイトは思う。
スライム種共通のコアは見えてこそいるものの、そこにたどり着くには、厚さが四メートルはあろうかというゼリー状の部位を斬り開かなければならない。もっとも、仮にコアに攻撃が通ったところでこのスライムがそう簡単に死ぬとはまず考えられないのだ。肉薄した状態から突進でもされようものなら、流石に躱しようがなく、そもそも攻撃手段があのウォータースライムと同じとは限らないのだから。
なにしろ伝説扱いされているようなモンスターである。ただ図体がデカいだけなら伝説とまでは言われまい。
だが、そんな思考を巡らせるレイトの横で一人、ライナだけは攻撃を仕掛ける気満々で両の指をゴキゴキと鳴らしながらカイザースライムの身体へと歩み寄っていく。
「ちょっと、ライナ。いくら何でもあなたの拳でコアを攻撃するなんて無理よ!? 絶対あの分厚いゼリーの層に阻まれるわ。幸いこいつは動く気配もないし、魔力の変動も感知できないんだから、もう少し方法を考えましょうよ!?」
と、口では言うものの、リシュアの顔には少しばかりの期待が浮かんでいた。
ライナならば。最強無敵の防御力と、ウォータースライムを一撃で爆発四散させる腕力を併せ持つこのエルフならば、もしかするとこの伝説を相手にしてもどうにかできるのではないかという、そんな期待。
そしてそれはレイトも同じだった。
自分には無い強さを持ったライナなら、この伝説のスライムを相手にしても、なにか突破口を開いてくれるかもしれない。そんな彼女の背中を眺めることしかできない自分を情けなく思いながらも、そんな弱気な気持ちを消し去るように、レイトは強く剣の柄を握る。今は脇役でも構わない。
二人が見守るその先で、ライナは歩みを止めないまま拳をギリギリと肩の後ろへ引き絞っていく。
そして、彼女はカイザースライムと数十センチと離れていない距離まで近づいて、二人の方へ振り替えると、ニィっと笑った。
「わりぃが、私は立ち止まって考えるよりも、動いて敵とぶつかりながら考える方が性に合ってるんだ。それに、運良く私の身体もそっちの方が向いてるからな」
再びカイザースライムに視線を戻し、ライナはただ一点、ぶち抜くべき敵の弱点である正八面体のコアの中心を睨みつけ、拳に力を籠める。
「見ていてくれよ、二人とも。もしかすると私がこの伝説を倒すかもしれないんだからな!!!」
広場に威勢のいい声を響かせて、ライナは大きく踏み込み、目の前に広がるカイザースライムのコアに照準を定めて渾身の力を込めた拳を解き放つ。
恐ろしく鋭く速い拳打はさながら撃ち出された砲弾の如き勢いでコアを守るゼリーの層に衝突した。
「「うわっ!?」」
途端、バカでかい破裂音と共に青色の細かな肉片の混じった突風が吹き荒れ、地面に散らばっていた木片や布が一斉に宙を舞う。その光景を前に、レイト達二人が咄嗟に手で顔を覆ってしゃがみ込んだその直後。
バキィィィン!!!
そんな硝子か何かが激しく砕ける音が広場に響き渡った。
吹き荒れていた風が止み、宙に舞っていた物達がドサドサと落下する。
「「あ…………!?」」
恐る恐る顔を上げた二人は、目の前の様子に絶句した。
大きく一歩踏み込み、右の拳を突き出した姿勢のまま大きく息を吐くライナの向こうで、カイザースライムのゼリーの層に大きな穴が開き、その奥に無数のひびの入ったコアが半分ほど露出している。
「すまねぇ、二人とも、アレだけ大口叩いたくせに、一撃で倒せなかったよ……」
全身をスライムのゼリーでべっとりと青く染めたライナは悔しそうに言う。
「何言ってんのよ、ただの拳の一撃であの分厚いゼリーの守をりぶち抜いて、コアを半壊まで追い込むなんて、むしろ自慢していいくらいの成果じゃないの! それに、あいつがまだ再生し終えていない今なら、あのコアを直に叩くチャンスだもの」
リシュアの言う通り、伝説では圧倒的な再生能力を誇ると言われるカイザースライムも流石にライナの兵器染みた一撃は効いたのか、傷の表面をぐねぐねと波打たせながら穴を塞ごうと活動しているようではあるが、その再生速度はお世辞にも早いとは言えない。
「あぁ、その通りだ。ありがとうライナ。今なら俺の剣もあのコアに届く!」
この再生速度なら、コアを叩き斬ってとどめを刺すには十分間に合うと判断するや否や、レイトは刃が背中に触れる程に大きく振りかぶり、地面を蹴った。
ライナの横を掠め、未だに人が一人通るには十分すぎる大きさの穴の前でもう一度強く地面を蹴って、コアを目掛けて跳躍する。直後、
「待ってレイト!! 今行くのはまずい!!!」
そんなリシュアの焦りに満ちた声が聞こえた。
「!?」
だが、呼び止められたところで、既に両足は地面を離れ、穴の中へと飛び込んでいる最中のレイトにはどうしようもない。
……何がまずいのかわからねぇけど、今できる事はこれしかない……!!!
すなわち、スライムの行動よりも早く、目の前に迫るコアを斬ること。これが今のレイトにできる唯一の行動だった。
そして、数瞬の後、コアが剣の射程に入ったその刹那。
「はぁぁぁぁっ!!!」
ありったけの力と気合を込めた斬撃が放たれた。勢いよく振り下ろされた剣は、正確にコアの中心を両断する軌道をなぞっていく。
これなら……!
このコアを破壊することができる。と、レイト、そして後ろで見守る二人が皆思った。
だが、辺りに響き渡ったのは、コアの砕ける音ではなく。「キィィィン!!」という、刃と刃がぶつかり合うような、そんな鋭い音だった。
「え……?」
見れば、コアの表面、丁度刃が通るであろうその位置に、小さく銀色の魔法陣が展開し、刃を受け止めていた。まるで、最初からレイトの剣の動きを予測していたかのような、それほどピンポイントに展開された手のひらサイズの極小の防御魔法陣は、レイトの渾身の一撃を受けたというのに、少しの揺らぎもない。
……嘘、だろ!?
全身全霊を込めた一撃がいともたやすく防がれたことへの絶望感が胸の内に広がっていく。だが、それが完全に広がるよりも先に、ついにカイザースライムが動き出した。
「――――ッ!!!」
地の底から響くような音を轟かせたスライムの身体全体は青く発光し、同時にレイトを囲むように、周囲のゼリーの肉壁の表面に無数の小さな魔法陣が展開され、一斉に水色の光を灯す。そして、今までの様子が嘘のように、穴が急速に再生し、閉じていく。
「レイト!! 早くそこから逃げて!!!」
再び聞こえたリシュアの必死の叫び声に、レイトは慌てて脱出しようと、閉じつつある穴の外へ駆け出すものの、足元に広がるゼリーの肉の床が足をがっちりと捕え、それを許してはくれなかった。
現状レイトにできる事といえば、ただ閉じていく出口とその向こうの二人を眺めながら、
「あー、カッコ悪い……」
と、後悔に浸るくらいしかなかった。
直後、魔法陣の水色がカッと眩く光り輝いた。




