side.ガルアス(後編)
「何の用だ、フェリル。今お前をここに呼んだ覚えはないが」
先程とは一転、険しい口調でガルアスはフェリルを睨みつけて言う。が、フェリルはそんなガルアスの様子を微塵も気にせず、へらへらと笑うばかりで、跪くこともなければ敬意を払うこともなく、しまいには王を目の前に、胡坐を掻いて一人で酒をラッパ飲みする始末だ。
「ハッ! あんたの指示がなきゃ、部屋の移動もしちゃあいけねぇのかよ。……全く、王だの将だの、やっぱり窮屈でいけねぇ。っと、あんたも飲むか?」
「……いや、遠慮しておこう。それよりも、だ。用があるのならば、早く言え。俺とて忙しいのでな」
グイっと突き出された酒瓶を押し返し、ガルアスは少し殺気を忍ばせた声でフェリルに問う。もっとも、フェリルがこの王の間に乗り込んできた理由など、大方の察しはついている。
せいぜい先程のベルエルとの会話を聞いていたか、それともベルエル本人から聞いたか、どちらにせよ、未だ人魔の戦争を起こさない自分への不満でもぶつけに来たとか、その程度の用件だろう。
「それじゃあ単刀直入に聞きてぇんだけどよ。俺はいつになったら戦場に出て人間共を殺せるんだ? あんたの下に付けばそういう戦場に好きなだけ飛び込めるって言うから、この軍に入ったっていうのに、いざ蓋を開けて見りゃあ、毎日毎日部下の戦闘訓練とめんどくせぇ軍議ばかり。そろそろ俺も我慢の限界だぞ?」
「…………」
予想通りの発言に、ガルアスは深く溜息をついた。この男には協調性というものがまるで存在しない。彼がもともと率いていた仲間の獣人たちとなれば話は別だが、少なくともこの城にいる他の軍の幹部や兵士達とは協力するつもりもないらしい。
とはいえ、フェリルの協調性に関しては、ガルアス自身の半ば黙認している部分もあるのは確かだった。
何しろフェリルと、その配下の数十人の獣人達は、魔王軍の再編成の際、外部から引っ張ってきた者達なのだ。
元々この古城、リムレニア城の建つランヴェルト山脈の麓に広がるベルヘイムの森を拠点にするギャングだった彼らを魔王軍に引き入れ、その上、彼らのリーダーであるフェリルを四将の一角にまで座らせたのは、ひとえにその戦闘能力の高さを買ったからだった。
獣人族は生まれながらにして高い身体能力を有する種族である。
魔法の使用に必要な魔力回路がほとんど発達していないものの、それを補ってなお余りあるその身体能力をガルアスは欲した。丁度、元魔王リシュア=ヴァーミリオンを慕う少なくない数の魔族達が軍を脱退して行ったこともあり、単純な戦闘力の補填が必要だったからだ。
が、戦闘力の補填程度だったガルアスの思惑をはるかに超え、獣人達の戦闘力と、戦いへの狂気染みた欲望は結果的に軍の強さを補填どころか、大幅に上昇させる結果となった。
そして、そんな彼らの中でも、ちょうど目の前でイラついた様子で酒を煽る、このフェリル=ギムレーの戦闘力はさらに頭一つ抜けていた。
文字通り、目にもとまらぬ速さで敵を切り裂くフェリルが、武器である銀の鉤爪で中空に描く軌跡から取られた「銀閃爪のフェリル」の通り名は伊達ではなく、本気の彼の動きは、ガルアスでさえ目で追うことが精いっぱいというレベルの速さなのである。
加えて、部下である獣人達に限るものの、彼らとの意思疎通能力は尋常ではなかった。
フェリルの命令一つでギャング全体が、ある時は敵を蹂躙する一匹の巨大な獣へ、ある時は各々が敵を惑わす風へと、身体の一部であるかの如く自在にその陣形を変貌させていくのである。
模擬戦闘での彼らの動きを目の当たりにしたガルアスは、感嘆の声を漏らすことしかできなかった。
彼らならば、戦闘開始早々に少数で敵陣に風穴を開け、一気に攻勢に出ることも可能だと、ガルアス、そしてベルエルの両者ともに、そう評価していた。いうなれば、魔王軍にあって、独立した別の小部隊。そういう考えのもとで、魔王と軍師の二人の協議の結果、フェリルは四将という地位を得た。
「そこまで戦いを望むか? フェリル」
しばらく考えを巡らせた末、脳内に一つの答えを描きながらガルアスは言った。
上下関係など一切を気にせず、ただ自分の戦闘への欲望を満たすために動くフェリルのその狂気ともいえる思考は、ガルアスも嫌いではない。嫌いではないが、先のベルエルとの話の通り、今、皇都にはあの千剣姫がいる。
フェリル率いる小隊が奇襲をかけたとしても、あの女騎士ラウラだけは最後まで倒れずに残るだろう。そして、そうなれば最悪の場合、こちらの準備が整うより先に皇国の軍が一斉に魔王軍討伐の為に出陣する、というシナリオも十分に考えられる。
故に、今、皇国の軍を直接刺激することはどうしても避けたかった。
それでもフェリルがどうしても戦闘を行いたいというのならば、皇国から見向きもされない土地で、なおかつ彼の戦闘欲を満たす手応えのある相手が必要なのだが、幸いにも、ガルアスにはその条件を満たす場所の心当たりが一つだけある。
「あぁ、そりゃもちろん。戦場があるってんなら今すぐにでも俺達は武器を取ってこの辛気臭ぇ城を飛び出すぜ?」
「……わかった。直ぐに、とまではいかないが、近いうちに手応えのある戦いを約束してやろう。あそこなら、戦いのための大義も、戦いの手応えもあるからな……」
海を越えた先にある島を脳裏に浮かべ、ガルアスはニヤリと笑った。