人と魔族と(後編)
「まず初めに、人と魔族はもともと同じ種族だったっていう話からしないといけないわね」
話しの初っ端から、リシュアは信じられないような事を言った。
「……人と魔族が……?」
にわかには信じがたい内容だった。元が同じ種族なら、なぜそこまで互いに憎み合う必要があるのか、それがレイトには理解できなかった。
「そ。信じられないだろうけど、それが伝承で語り継がれてきた事実よ。「黒き霧のリム」っていう話でね…………物語の始まりは今から遥か五千年以上も前。まだ魔法というものが今みたいに発達していなかった頃の事よ…………」
子供に読み聞かせるような口調で、リシュアはゆっくりと過去の物語を紡いでいく。ガスランプの光に照らされた彼女のどこか憂いを帯びた顔は、いつかの妖艶さとは全く別の、彫刻のような美しさを宿している。
「一人の男がいたの。「リム」という名前だったらしいけど、まぁそこの真偽は置いておきましょう。とにかく、そういう男がいたの。リムはとてもよく働く男でね。まだ無数の小国が集まって構成されていたこの大陸の各地を旅しながら、初めて貿易というものを始めた人間だと言われているの。そして、彼はその貿易で巨万の富を作り上げ、私達が歩いた街道の元となる、小国同士を繋ぐ道を整備していったと聞くわ。その後、彼は旅の途中で出会った女性と結ばれ、子宝にも恵まれて、まさに幸せの絶頂を歩き始めたんだけど…………さて、この後彼はどうなったでしょうか」
「え? そりゃ、まぁ、そのまま幸せに生涯を終えた……っていう結末なら、魔族は関係ないか……」
突然のリシュアの問いに、レイトは頭に浮かんだことをそのまま口にしたものの、まさかそんな単純なわけがないと思いなおす。なにしろ人が魔族に変わるほどの出来事なのだ。少なくともリムという男の結末が、不幸な物であったことは確かだろう。
そんなレイトの言葉に、リシュアは少し悲しそうな笑みを浮かべて頷く。
「そう。その通り。リムの幸せは直ぐに崩れ去ることになったの。彼を恨む、多くの小国の王たちによって、ね。…………その頃の王っていうのはその殆どが、自らの持つ圧倒的な富によって王としての地位と支配権を確立していたから。彼らにとって、急速に富を増やしていくリムの存在は彼らの王としての権力をを揺るがしかねない、危険因子として忌み嫌われた。そして…………」
そこまで言って、リシュアは一度言葉を切って、深いため息をついた。そして、ここから先は口にしたくないといった様子で眉間にしわを寄せ、それでも再び語り始める。
「……そして、虐殺が始まったわ…………」
フー、フーと、自らの感情を抑え込むように深い呼吸と共に、瞑して語るリシュアの姿からは、リムの最期が恐ろしく残酷なものであったのだろうと、容易に想像がついた。
「リムは……殺されたのか、王達の手で…………」
リムはいったいどれ程の苦痛の中で死んでいったのだろうかと、レイトは思う。だが、リシュアの口から語られた結末の残酷さは、レイトの予想をはるかに上回る物だった。
「……いいえ、リムは生きていた。いえ、生かされていたと言った方が正しいかもしれないわね。なにしろ殺されたのは彼じゃなくて彼の周囲の人達だった。彼の両親に、妻と子供達はもちろん、彼の働きを支持した友人までもが虐殺対象にされた。王達の権力を揺るがす危険因子に加担したという罪でね。そして彼らは一人ずつ殺されていった。手足を縛られ拘束され、やめてくれと泣いて懇願するリムの目の前でね……。その虐殺は、王に扇動された人々によってある種、ショーの様な熱気に包まれていたと云われているわ」
窓の外を吹き荒れる吹雪は激しさを増し、窓はその身体をガタガタと窓を震わせ始めている。
「……残酷な話でしょう? 親しい人たちを全て殺された後、リムはその両腕を斬り落とされて、とある小国の地下牢へと幽閉されることになったのよ。……日の光の届かない牢の中で、リムは全てを呪って呪って呪い続けた。全てを奪った王達と、それを見ていただけの人間達、そして目の前で無残に殺されていく家族と友人の姿に、ただ目を瞑るしかなかった自分の非力さをね。やがて、呪いの果てに、彼の心は崩れ去り、たった一つの願望だけが残ったの。「何もかもを壊してしまいたい。全てを圧倒する力が欲しい」とね」
静かに語るリシュアの頬を汗が一筋流れていく。
「もちろん、願ったところでどうにもならないことは彼にだって分かっていた。けれど、彼はその願望を心に抱きかかえ続けた。……あの王達を、自分の姿を笑ってみていた人々を、その全てを壊したい、殺したい。そんな彼の狂気は精神から洩れ出して、徐々に彼の魔力までを黒く染め上げながら彼の中に溜まっていったわ。…………そして、彼が囚われてから半年が過ぎた頃、完全に負の感情に黒く染まった魔力を霧のように纏いながら地上に姿を現したリムは、彼の視界に映った人間を未知の魔法、今でいう、暗黒属性の魔法を使って蹂躙し、その国の王を含めた千を超える屍の山の上から、人間への宣戦布告の咆哮を轟かせたそうよ…………」
ふぅ、と肩の力を抜くように大きく息を吐き、リシュアはパンっと両手を軽く打ち鳴らして席を立つ。
「……ここまでが人と魔族の誕生の話。あくまで言い伝えだから、全部信じろとは言わないけれど、心には留めておいてほしい。そして、ここからが「人格を喰らう」っていうさっきの私の言葉に繋がる話なんだけれど、この話の続きはまたこんどにしましょう。この話、精神的にとっても疲れるし…………」
「……えぇ、そこまで言って延期するのかよ…………。気になって眠れねぇよ?」
「つべこべ言わないの。だいたいあなただって傷が治ったばかりで、体力はまだ完全に復活してないんだから、早く寝ておきなさいな」
レイトの文句を跳ねのけて、欠伸を一つ残してリシュアは寝室への扉の向こうへ消えた。後に残されたのは三人分の食器と、レイト一人。
「…………いや、自分の食器くらい片付けてくれよ……」
という文句を無駄撃ちしつつ、食器をまとめて両手に抱え、席を立つ。
……リシュアの言う通り、あんたは俺の人格を喰らうのか?
キッチンの流しに食器を置きながら、きっと今も精神世界の玉座に座っているのであろうあの影に向けて言葉を投げかけてみたが、あの陽気な声はいつまでたっても返ってくることはなかった。