そして冒険へ(後編)
「わかった。一緒に行ってやるよ。……だが、本当に俺みたいなただの村人が仲間でいいんだな? あとで「まさかこんなに弱いとは思わなかった」とか言いたくなっても知らねぇからな」
「そんなこと百も承知よ。だいたい、弱いなら魔王城に行くまでの間に強くなったらいいだけの話よ」
「……」
自信満々の言葉に、レイトは返す言葉もなく、代わりに小さな溜息を漏らして立ち上がり、足取りも重く玄関へと向かった。
「ちょっと村の人にあいさつ回りしてくる……」
「いってらっしゃーい。あ、今日の夕飯はお肉が食べたいなぁ」
挨拶ついでに肉でも買ってこいという隠しきれない命令を背中で聞き流しながら、レイトは扉を開けた。扉を閉めるとき隙間から除いたリシュアのにやけ顔に、一番安物の肉にしてやろうと固く心に決め、レイトは夕日に照らされオレンジ色に染まるソルムの村へと繰り出した。
そして一夜が明けた。
父が冒険の時に身に着けていたマントを纏い、小さなポーチをベルトにつけて一応の旅の服装に身を包んだレイトは、村の入り口で村人たちのあつい見送りを受けた。
リシュアはといえば、あのドレスを着て冒険に出るというワケにもいかず、昨晩の内に村の仕立て屋のお婆さんが彼女のドレスを再利用して作ってくれた女性らしい装飾の施された冒険者の服の上に狼の毛皮のケープというスタイルだ。
「本当に行ってしまうのかい? レイト君。寂しくなるなぁ」
「えぇ、まぁ。爺さんも元気でな」
「それにしても、親子そろって魔王討伐の旅に出るなんて、これはもうこのソルムを勇者生誕の町として売り出すしかないわねぇ」
「おばさん気が早すぎるよ……。って、あれ。あの雑貨屋の爺さんは? 」
集まった数十人の村人たちの言葉に返事をしながら、レイトは、なじみの雑貨屋の店主が見当たらないことに気が付いた。
「あぁ、あの爺さんなら、さっき「すぐに向かうから先に行っといてくれ」って言いながらなにやら店の奥でゴソゴソしておったな。っと、来たようだぞ」
噂をすれば。おーい!とブンブン手を振りながら七十過ぎの雑貨屋の店主が走ってくるのが見えた。
「爺さん、大丈夫か?」
息も絶え絶えで今にもレイトたちとは別方面に旅立ちそうな老人を支える。
「お、おぅ……儂は大丈夫じゃ……はぁっ……それよりレイト君に……はぁ……これを渡しておこうと思ってな」
そう言うと雑貨屋の店主は右脇に抱えた1メートル以上はあろうかという細長い箱から、黒鉄の鞘に収まった一振りの剣を取り出してレイトに差し出した。
「これは?」
「それはレイト君が生まれる前日、ブランの奴から預かっていたものでな。奴が冒険の時に使っていた愛用していた剣で、「もしレイトがこの村を旅立つときが来たならそいつを渡してくれ」と、そう言われておったのだ」
「……親父が? 俺に? ……ありがとな、爺さん」
深く礼を言って受け取ると、早速レイトは鞘から剣を抜いた。中から現れたのは柄の付け根に真珠のような純白の玉が埋め込まれている以外は一切の飾りっ気がない、ただ斬ることのみを目的として作られたであろう白金の剣だった。
「・・・ね、ねぇお爺さん。一つ聞くけどその剣、魔王を一撃で倒せたり、持ってるだけで強くなるとか、そういう効果がついていたりとかはしないの?」
期待のまなざしでそう尋ねるリシュアに、雑貨屋の店主は小さく横に首を振った。
「さぁなぁ。儂にはそういったことはさっぱりなんじゃ。ブランの奴もそういう力が宿っているといった話はしておらんかったし。期待に沿えなくてすまんなぁ、お嬢さん」
「いえ、いいの。気にしないでお爺さん。楽して勝てるほど世界は甘くないもの」
にこやかに笑うリシュアが聞き取れないような小ささで舌打ちしたのをレイトは見逃さなかった。
「それじゃ、そろそろ出発するとしましょうか。数日だったけどいろいろとお世話になりました」
ペコリと仰々しくお辞儀をして、リシュアはサッと門のほうへ向き直り、足早に歩きだした。
「お、おい勝手に行くなよ。……悪い、皆。こんな中途半端な挨拶で」
「いやいや、旅立ちはこんなもんでええんじゃ。若いもんの旅立ちは、慌ただしいほうがええ」
「ありがとう。それじゃあ言ってくる」
温かい声援に背中を押され、レイトは根拠のない妙な自信を心に沸かしながら、リシュアを追ってソルムの村から栄えある第一歩を踏み出したのであった。
* * *
二人が出発してから半日が経過した。
「で? どうして私たちはこんな森の中で一夜を過ごすハメになってるのかしら」
倒木に腰掛けたリシュアが携帯の干し肉を噛みながら、呆れ顔でレイトのほうをにらんでいる。隣町に続く道が深い雪の下に隠れていたため、二人はとりあえずまっすぐ進めば何とかなるだろうと歩いた結果、絶賛迷子中だった。
「むしろお前は一体いつから俺がこの森を知り尽くしたナビゲーターと勘違いしてたんだよ。」
「だって、この森の中で私を見つけてくれたじゃない」
「あれはこの森じゃなくてソルムを挟んで反対の小さな森だ。だいたい俺はこっち側にはほとんど来たことがねぇよ」
慣れた手つきで焚火の火をおこしながらレイトは溜息交じりに答えた。
村の人々からの声援を受けて意気揚々と出発してから半日。二人はいまだにソルムと、冒険者ギルドのある小さな町ランドーラを隔てる深い森を抜けられずにさまよっていた。すでに日は傾き、オレンジ色の木漏れ日が弱々しく地面に積もった雪を照らしている。
「はぁ……とにかく早くこの森を抜けないと、さっきからヤバそうな気配がチラホラ見え隠れしてるし……と、言った傍から来たわよレイト。」
リシュアが言い終わるか終わらないかの内に、ガルルルルと低いうなり声が聞こえ、木々の影から余裕で二メートルはありそうな一匹の巨大な狼が姿を見せた。その肢体にはいくつもの裂傷の後が残り、狼のなかでも強者であることを暗に示していた。
「いきなりこの大きさはキツすぎねぇか!?」
叫びながらレイトは腰に吊るした今朝もらったばかりの白金の剣を抜き放つ。それと同時に、巨狼は雪を舞い上げてレイトめがけて跳躍した。
巨狼と接触しようというその刹那、レイトは身を深く沈みこませると、その勢いを剣に乗せて自分の背後の空間へと振り子の起動を描くように無我夢中で振り上げた。
ズブリという嫌な音とともに生暖かい血をレイトに浴びせながら、腹部をスッパリ切り裂かれた巨狼がドサリと雪の上に落ち、純白を真っ赤に染め上げていった。
「お見事。やるじゃないレイト。見事な剣捌きね」
レイトを褒めちぎりながらも、リシュアは表情を硬くしたまま周囲をきょろきょろと見まわしている。どうやら強襲はこれで終わりではないらしい。果たしてすぐに低いうなり声が、今度は重なって聞こえ、少しずつ大きくなってくるのがレイトにも分かった。狼の群れが近づいてきているのだ。
「こりゃさっきのデカいのが親玉だったって感じか……どうするよリシュア、さすがに群れで来られたら敵わないぞ。というかお前、魔王ならなんかとんでもなく強力な魔法とか使えねぇのか!? あたり一帯を焼き払う炎系魔法とか……」
「あのねぇ……そんな炎系魔法が使えるならあなたより先に焚火の火を盛大に起こして猛獣除けにしてたわよ。まぁ、今の私がしてあげられるのはこれくらいよ。ちょっと痛いけど、我慢してよ?」
そう言うとリシュアはおもむろにレイトの背中に両手をあて、聞いたことのない言語で何かの呪文を詠唱した。直後、レイトの身体に異変が起こり始めた。リシュアの掌が触れている部分が急に熱を帯び始めたかと思うと、すぐにそれは焼けるような痛みへと変わりレイトの全身を駆け巡った。そして、その痛みが消えるのと同時に、今度は全身に赤紫色の妖しい光を放つ蔦のような紋様が浮かび上がってきた。
「なんだよこれ……一体俺に何をしたんだ!?」
全身を走る痛みといい、全身に這うようなこの紋様といい、どう見てもヤバい魔法であることは確かだ。
「別にそんなにアブナイものじゃないわ。ただ単に特殊な変異を施した私の魔力の一部をあなたに注ぎ込んで、肉体強化の紋様を刻んだだけよ。要するに軽いドーピングみたいなもの。効果はそんなに長くは続かないから、早く狼たちを片付けてね」
言われてみれば、体全体に力がみなぎっている。体が、手にした剣が、まるで嘘みたいに軽い。おまけに狼たちの気配がつい十数秒前の自分とは比べ物にならないほどはっきりと感知できる。
「……やってやろうじゃねぇか」
言うが早いか、地面を蹴ってレイトは気配を感知した方向に向かって疾風の如き速さで群れへと突進した。
獲物がいきなり飛び込んできたことに狼達は後ずさりをするが、それも一瞬、直ぐにレイト目掛けて牙を向いて飛び掛かった。
斬る。斬る。斬る。
自分でも恐ろしいほどに研ぎ澄まされた感覚で狼達の攻撃を紙一重ですべて躱し、躱し際に剣を振るう。
一匹、また一匹と雪を赤く染め上げながら、後ろでリシュアが小さく漏らした感嘆の声すら鮮明に聞き取るほどの感覚に身を沈め、レイトはひたすらに襲い掛かってくる群れを斬り伏せていった。
そして、最後の一匹が正面から突っ込んでくる。
「こいつでしまいだ」
レイトはスッと剣をまっすぐに振りかぶり、狼が懐に飛び込んでくるその刹那。
「せいやぁぁぁぁぁぁっ!!!」
気合を込めた咆哮とともに、尋常ならざる速度で縦一文字に振り下ろした。きれいに真っ二つになった、さっきまで狼だったものがレイトの左右にズシャリと音を立てて落ちた。
「……ふぅ。終わったぞ」
剣を鞘に戻しながら、レイトはリシュアを呼んだ。
「お、お疲れさまぁ・・・」
どういうわけかリシュアは近くの木の陰から顔だけのぞかせて、若干引きつった笑みでレイトを見つめている。先のレイトの無双っぷりに引いたらしい。
「……お前が使った魔法の効果にお前が引いてどうするんだよ……」
「だって……まさかここまで強力な効果があるなんて思わなかったし……」
そう言いながらリシュアはおずおずと木の陰から出てきて元の倒木に腰掛けた。
「それだけお前の魔法が優秀ってことなんじゃないのか? ところで、この紋様とこのドーピング効果はいつになったら消えるんですかね。さっきから枝のこすれる音やら小動物の走る音まで聞こえてきて鬱陶しいことこの上ねぇんだけど」
「え、まだ続いてるの? あれ、そこまで効力は持続しないはずなんだけど……。もしかしたら無意識に過剰な量の魔力を注ぎ込んでしまったのかも」
「……それ、安全的にどうなんだ……」
「わたしにもわからない。でもまぁ死にやしないでしょ。そんなことより、とりあえず先に早く焚火の火を起こしてもらえるかしら?」
「……へいへい。こんなことなら親父から剣術だけじゃなくて簡単な初級魔法も教えてもらっとけばよかったよ・・・」
何も考えてなさそうな顔をしながら足をぶらぶらさせて干し肉をかじるリシュアを横目に、レイトは面倒くささと格闘しながら火起こしを再開したのであった。幸い、さっきのドーピングによる精度と速さの上昇のおかげで、火起こしはあっという間に終わり、すでに闇に包まれつつある森の中を大きな焚火がゆらゆらとオレンジ色に染めていた。
* * *
翌朝。レイトは両目をこすりながら向かいで涎をたらして爆睡しているリシュアを起こした。
「あらおはよう、レイト。昨日はよく眠れた?」
「あんなに感覚研ぎ澄まされた状態で、眠れるわけねぇだろ……」
昨日の戦闘のあと、リシュアによる強化魔法の効果は明け方まで消えず、レイトはウトウトし始める毎に風や動物の鳴き声、焚火の音に起こされた結果、レイトは一睡もできないままに朝を迎えたのだった。
「……うーん。さすがにここまで強化が持続するとなると問題ね。多用すればストレスで神経やら精神面に影響が出そうだし……あの強化はよほどの時以外使わないことにするわ。そのかわり、強化無しでも戦えるよう強くなってもらわないといけないけど」
「あぁ、望むところだ」
自分に言い聞かせるようにレイトは強くうなずいた。
* * *
干し肉と水の簡単な朝食を済ませ、二人は再び出発した。そして出発から三時間が経ったころ、ようやくランドーラの方向を示す標識を見つけ、そこからさらに一時間ほどかけてやっとの思いで森を抜けた。
「すっごい疲れた……」
「俺も……」
積もった雪に足を取られながら歩いたせいで、二人そろって疲労はそろそろ限界値を越えそうだ。
「早くランドーラで宿をとろう。ほら、もう目と鼻の先だ」
今にもおぶってくれと言い出しそうな雰囲気のリシュアを鼓舞するようにレイトは言って、道の先を指をさした。
数百メートル先に、世界的にも有名なランドーラのシンボルである巨大な風車が十数基建っているのが見えた。風の街、そして冒険者にとっての始まりの街の一つとして知られるランドーラの街である。