魔王の苦悩
「…………」
静寂がリシュアとアルヴィースの周りをゆるりと流れていく。彼が転移ゲートより現れてから既に一分を過ぎたが、以前全く動く気配は無く、ただリシュアとの間で無言の睨み合いが続いている。
(……なんなのよ、こいつは…………)
表情一つ変えず、一切ブレることのない視線で自分を睨む、というより見つめるアルヴィースに、リシュアは徐々に苛立ちを募らせていく。
なにしろ、胸でギョロリと周囲を見回すあの紅い眼には、オリジン・アーツ発動時に見られた発光は無く、かといって通常魔法を発動するための魔力回路にも一切変化は見られないのだ。
そもそも目の前のこの男には微塵も「殺気」というものが存在していない。どこか気怠そうな立ち姿に冷酷とも温和ともいえない微妙な表情で、ただリシュアを見つめているのだ。
とはいえ、あれだけ自分達を殺そうと躍起になっていた集団の一人。油断させてから隙を突いて攻撃してくるのではないか、と、判断したリシュアは迂闊に攻撃用の魔法陣を構築することもできず、しかしこのまま終わらない睨み合いを続ける気にもなれず、とうとう自分から行動に出た。
「…………あの、さっきからずっと私の方見つめてるようだけど、どうかしたのかしら……?」
できるだけ隙を見せぬよう、全身から魔力を迸らせるように意識をしながらリシュアはアルヴィースへ向けて聞いた。
無論、「どうかしたの」と聞くまでもなく、自分達を殺しに来ていることは間違いないのだろうが、パッと思いついた質問はそれくらいしかなかった。
「…………探し物をしている」
「……ふぇっ?」
予想だにしなかった返答に、リシュアは思わず変な声を出した。
「……探し物? 私達の命とかじゃなくて、探し物!?」
「……? なんだ、殺してほしいのか?」
リシュアの言葉に、アルヴィースは気怠そうに胸部の眼の上を指でトンと叩きながら言うが、眼の発光が一向に起こらない辺り、本当に殺す気はないらしい。
「……いえ、そうじゃないけれど…………あなたもブラックロータスの一員なんでしょ?」
「あぁ、そうだな。だが、今回の俺への依頼はそこのレミィの抹殺でもお前の殺害でもないんでな。依頼以外のことには首を突っ込まない主義なんだ」
何一つ感情を読み取れない口調で、眉一つ動かさずにアルヴィースは続ける。
「今回の俺への依頼はあくまでそこで気を失っている二人の戦闘のサポートなんだ。その二人が倒された以上、俺が一人で戦闘を続ける意味もつもりもない。ここに来たのもあいつらを回収する必要があったからだ。そこで、だ。そこのロンディルシアの腕がどこにあるのか教えてくれないだろうか」
「あ、探し物ってそういう…………たぶんあなたの真後ろの茂みに吹っ飛んでいったと思うけれど……」
「そうか、礼を言う。ありがとう。お前も早くそこの二人の治療を急ぐといい」
やはり表情一つ変えずに小さく頭を下げたアルヴィースは、そのまま茂みの方へ振り向いて歩き出した。その背中には何一つ警戒心の様なものは見えず、無防備そのものだ。
(……今なら、もしかして……)
それを好機と見たリシュアはゆっくりと掌をゆっくりと遠ざかっていくアルヴィースの背中に向け、魔法陣を構築していく。
リシュアの目から見て、アルヴィースの魔法使いとしての強さはどう低く見積もったとしても、ミュラーとロンディルシアの数倍は高かった。
そして、いずれは敵として殺し合うことになるであろう、そのアルヴィースが隙だらけで背を向けている今、この場で倒しておかなければならないと、リシュアはロンディルシアに放った催眠魔法などではなく、本気で彼を殺すための暗黒魔法を、容量いっぱいの魔力を込めて練っていく。
本来、少しでも魔法陣の構築を行えば、ある程度魔法に詳しい人間ならば、その魔力の動きを敏感に感知することができる。が、もとより全身から魔力をオーラのように纏って発している今、自分の魔力の動きは感知できないとリシュアは踏んでいた。
しかし、そんなリシュアに背を向けたまま、アルヴィースは興味なさそうに言った。
「ああ、それと、いくら首を突っ込まないと言えど、攻撃されたのならそれ相応の応戦はするぞ?」
一瞬、アルヴィースの背中から、思わず後ずさるような殺気と魔力が迸り周囲の木々をザワザワと揺らし、その背中の中央に、あのの光球が小さくポゥと浮かんだ。
「!? いやいやいやいや、攻撃なんかするつもりはないわよ!? 気のせ、気のせいでしょ!? ははは、はやく腕見つけてここから立ち去ってもらってもいいかしら!?」
自分でもびっくりするほどの速度で発動一歩手前までに練った魔力を分散させ、両手を引っ込めたリシュアは噛みながら光球の浮かぶアルヴィースの背中へ向けて叫んだ。
それに合わせてアルヴィースの背中から光球が美しい黄金色の光の粒子となって霧散した。あの殺気も嘘のように消えてしまっている。
「……気のせいか、なら、いい。あの猪の様なエルフが来る前に俺も回収を終わらせたいんだ。それではな」
抑揚のない声で言いながら、アルヴィースは両手をそれぞれミュラーとロンディルシアへと向けた。直後、彼らの足元に亀裂が走ったかと思うと、直ぐにそれはバックリと大きく口を開いて二人を飲み込むと、何事もなかったかのように元の地面へと溶け込んでいった。
「……え、えぇ。さようなら……」
面倒くさそうに頭を掻いて茂みの中へと消えていくアルヴィースの姿を見届けてから、リシュアは抱えた膝の中に顔を埋め、大きく溜息をついた。
(……なにしてるんだろ、私……)
情けなさやら安心やら、様々な感情が頭の中でぐるぐる渦巻いて、しだいに涙となって零れていく。
(でも、どうにか生きてる。私も、レイトもレミィも、ライナも。……今はできる事をやらなきゃね……)
怒涛のように押し寄せる自分よりもはるかに格上のあの男への敗北感に崩壊ギリギリの淵で耐えながら、ゆっくりと顔を上げ、リシュアはグッと涙を拭って、再び二人の治療を再開するのだった。