切望と絶望
「ウ……アァ…………」
リシュアの作り上げた魔法陣がゆっくりと虚空に溶け、それと共にロンディルシアを包む漆黒が晴れていく。
その漆黒の向こうで、光を失い、焦点の定まらない虚ろな眼をしたロンディルシアが呻きとも喘ぎともとれる声を溢しながら地面に座り込んでいる。
「十日程その幻の中で苦しんでいなさいな。……まぁ、もう聞こえていないか。って、そんなことよりも、とにかく今は二人の治療を急がないと……!」
足元に倒れているレイトに応急処置用の回復魔法をこれでもかと連射しながら、リシュアは彼の服を掴んでレミィの隣へと引きずっていく。
レミィの様な激しい外傷はないものの、あのジルバでのレイトの容態からして今回の彼の体内の状況はあれ以上にひどいものであることは容易に想像できた。
そして、レミィの左にレイトを横たえたリシュアは二人の間に座り込み、周囲に障壁結界を張ってから、左手でレイトの、右手でレミィの治療を再開する。
ロンディルシアは催眠魔法の闇に落ち、ミュラーは恐怖でズボンを濡らして失神している今、障壁内部は殆ど安全と言える状況だが、それでもリシュアは僅かな襲撃の可能性を頭の片隅から消すことができない。
言うまでもなく、それはあの、ブラックロータスの三人の一人、アルヴィースという名の銀髪長身の男の動向についてだ。
ロンディルシアの発言と、微かに聞こえる衝突と破砕の音からして、アルヴィースは今なおライナと戦闘を繰り広げているはずなのだが、なにしろライナは最強と言っていい防御力こそあれど、魔法は使えず、おまけに今の彼女は武器の類を何一つ有していない。
ちょっとした隙を突かれて転移でもされれば、ライナにはアルヴィースを追う術は無く、レイトも倒れている今、今度こそリシュア達の旅はこの場所で潰えることになるのは明らかだ。
(……頼むわよ、ライナ。せめて二人の治療の目途が立つまでは…………)
ライナはいつ終わるとも知れぬ目の前の二人の治療を続けながら、心の隅で、微かに聞こえる戦闘の音が止まないように祈る。
ライナ側に決定的な攻撃手段がない以上、戦闘音が止んだ時、それはすなわちアルヴィースがライナの元から逃げ去ったか、あの最強の防御を破られてライナが敗北を喫したかのどちらかしかない。もっとも、そのどちらにせよ、今のリシュアにとっては絶望的ともいえる未来が待っている。
だが、リシュアの祈りは儚く散ることとなった。治療を再開してから直ぐ、微かに聞こえていたあの音はピタリと止んだのだ。
そして、直後、障壁結界のすぐ外に、ピシリ、とあの亀裂が走った。
(……どうやら、ここまでのようね…………)
治療の手は一切緩めはしないものの、リシュアはただ茫然と、目の前でゲートへと開いていく亀裂の向こうに佇むアルヴィースの姿を見つめることしかできなかった。
いつかゾンビ相手に使用した催眠魔法を使う手もあるにはあるものの、魔力の変換や魔法陣の構築の時間を考えれば、それら一切を省略できるオリジン・アーツの前では、そもそも発動すら許されないということは容易に想像できた。
(……やっぱり、リョウジを呼んでおくべきだったわね…………。そもそもこの森を迂回して街道を進んでいれば、奇襲なんてされなかったのかもしれない……)
完全に開いたゲートからゆっくりと歩み出てくるアルヴィースの姿を瞳に映すリシュアの頭の中をそんな後悔ばかりが流れていく。
障壁結界の外からアルヴィースがじっとリシュアの様子を眺めている。きっと直ぐにあの胸の眼が輝き、オリジン・アーツである「原初の大神雷」が障壁結界ごと消し飛ばすのだろうと、リシュアは確信し、仮にも魔王でありながらこの状況を打開できない自分を呪った。
「……ごめんなさい、二人とも。私が弱いばっかりに…………」
無意味だとわかっていながらも、両脇で未だ目覚めぬレイトとレミィにそう謝ってから、リシュアは目の前に佇むアルヴィースをキッと睨みつけた。
せめて、死ぬ瞬間は目の前の敵から目を離さず、逃げないでいたい、と、そうリシュアは人生最期の覚悟を決めていた。
が、しかし。アルヴィースは一切動かなかった。