そして冒険へ(前編)
「……朝食後に話すって言って完っ全に忘れてたわ……まぁ今だって一応朝食後ではあるけども……」
ブツブツ言いながらワナワナと震える手でカップをテーブルに戻すと、リシュアはいきなりレイトの両肩をグッと掴んで言った。
「説明の前に一つだけいいかしら。レイト。あなた。私と一緒に魔王を倒しに冒険者になってくれないかしら?」
「……はい?」
唐突すぎて、レイトは思わず聞き返した。唐突ついでに内容も意味不明もいいところである。ついさっきワインをがぶ飲みしながら自分が魔王だと語っていたのは誰でしたっけ?
そんなレイトの頭の中を見透かしたように、リシュアは言いにくそうに、重たい口を開け、語り始めた。
「実はおととい、臣下の一人が反乱を起こしまして……」
数分後、事のいきさつを話し終えたリシュアは、自分で語っておきながら恥ずかしくなったのか、両手で顔を覆って大きなため息を漏らした。
「……なるほど、要は、魔王城の窓でろくに仕事もしないで外を眺めて物思いに耽っていたら」
「うん……」
「入ってきた家臣と戦争するしないで口論になって」
「はい……」
「気づいたときには魔法で拘束されて身動き取れずに床に転がって」
「……」
「転移魔法であの辺境の森の上空に強制的に飛ばされた、と」
「……おっしゃるとおりです……」
顔を手で覆ったまま、リシュアは情けない声でそう言った。もはや魔王はおろか人が恐れる魔族のオーラはどこへやら、目の前にいるのはただの幼い少女に他ならなかった。
「ことのいきさつは分かった。けど、お前仮にも魔王なら、転移魔法とか使えねぇの? というか、その背中の翼で飛んで帰ればいいじゃねぇか」
内心かわいそうだと思いながらも発したレイトの当然ともいえる質問に、リシュアは指の間からじっとりとした自虐とも嘲笑ともとれる視線を向けてきた。
「あのねぇ……肩書が一時的に魔王だっただけのか弱いサキュバスが、何百年も将軍として戦場に立ち続けて、魔王の親衛隊の隊長にまで上り詰めた屈強なオーガに勝てると思う? 普通に無理でしょ。魅了すら効かないのにどうしろっていうのよ……」
「……ちょっと待てお前、サキュバスだったのか!?」
サキュバス。男に跨るなりなんなり、エロいことして精気を根こそぎ奪い取って殺しにかかってくるヤバい奴。男の敵。つまりレイトにとっても危険存在。
「えぇ、そうよ。といっても純血のサキュバスだったのは私の母よ。私には悪魔とヴァンパイアの混血だった父の血も入っているから……って、なによその変態を見るような眼は。さてはあなた、サキュバスは全員余すことなく淫乱で男にエロいことしてるとか思ってるんでしょ!?」
「……むしろエロいことしないと思ってる人のほうが少ないと思うんですが……」
「まぁ、ひどい偏見! そんなこと他のサキュバスが聞いたら笑いものにされるわよ? 世紀遅れの化石頭ってね」
「そんなに!?」
「あなたの思ってるようなサキュバスは魔族の間で人間のような衛生観念が広がり始めた百年以上前にほぼ姿を消したの。考えてもみなさいよ。どこの誰かもわからない男に跨ってわけのわからない精気を搾り取るなんて不潔ったらありゃしないわよ。少なくとも私は御免被るわ。」
わかってないわねぇ~。と言わんばかりのにやけ顔で、リシュアはヒラヒラと両手を振った。
「それに、昔は食事はもっぱら男のエキスとか言われてたけど、どう考えたってそんな汁よりも肉とか魚とか使ったちゃんとした料理のほうがおいしいにきまってるじゃない。もしあなたがサキュバスだったとして、コップに入ったどっかのおじさんの体液と、新鮮な食材を使ったおいしいフルコース料理、どちらを選ぶ? フルコース料理一択でしょ」
「……確かに。おっしゃる通りで」
「うん。わかればよろしい。で、話を戻すけど、私ひとりじゃ魔王城へは帰れないし、帰れたとしても、私一人じゃ今ごろ玉座でふんぞり返ってるだろう元将軍ガルアスに今度こそ殺されてそれでおしまいってわけ。理解できたかしら?」
「まぁ事情は理解できたんだが……」
空になった二つのカップに紅茶のおかわりを注ぎながらレイトは続ける。
「俺がついていく必要性はあるんだろうか……。自慢じゃないが、俺は軽く剣術を使える程度で、魔法とかそういうのはからっきしだぞ? それこそもっと大きな、冒険者ギルドのあるような街で仲間を募ったほうがいいと思うけど……」
「なにいってるのよ? 冒険者ギルドで、サキュバスをパーティーに入れてくれる冒険者なんてそうそういると思う? 人間に擬態するったって、変身魔法は連続使用できないし、運よく私の素性を知ってパーティーに入れてくれる奴が出てきたとして、そんなやつ、サキュバスに搾精されたいとか思ってるド変態の勘違い野郎でしたっていうオチがつくのが関の山よ。たとえ最強のメンバーがそろっていたとしても、そんな奴のパーティーより少しでも素性の知れたあなたと組んだ弱小パーティーのほうがよっぽどマシよ」
「お、おぅ」
……さようならソルム、俺の日常。
ずずいっと身を乗り出して力説するリシュアに気圧されて、レイトはこくこくとうなずいた。何を言おうとこの目の前の魔王さんは折れない。そう直観してレイトは自分のソルムでののほほんとした生活に心の中でひそかに別れの挨拶を告げた。