強酸性エルフ(前編)
「ちょっとレイト! どうしてあなたまで逃げてるのよ! そんな立派な剣持ってるんだからあの触手どうにかしなさいよ!!」
蒸し暑さも忘れて来た道を全力で逆走しながらリシュアは隣を並走するレイトに叫ぶ。
「は!? どう考えても無理だろこの距離は!! 今止まったら確実に剣を抜く前にあの触手に捕まるだろ!! それよりもお前のあのロードオブなんとかでどうにかならないのか!?」
「植物が快楽を感じるわけないでしょ!! レミィはどう!? 何かあいつを倒せる魔法ない?」
「はっ、はいっ。その手の魔法ならっ……いくらでもっ……ありますけどっ……そろそろ息がっ……すいませっ……おえぇっ……」
そんな三人の背後を、僅か数十センチ後ろを未だに無数の触手が風を斬りながら追跡する。そしてその触手達の後ろには根の束を足替わり大地を揺らし、木々をなぎ倒しながら迫る人食いカズラ、正式名称「グリーズベル・マンイーター」の本体が控えている。
「っはぁ……俺もそろそろ息がやばいっ…………。」
「我慢しなさいよ! レミィだって必死に走ってるんだから!」
「空中を飛んでるお前にだけは言われたくねぇな……って、おい。前からだれか突進してくるぞ!!」
「「えっ!?」」
レイトの叫びに会話から前方に意識を戻したレミィとリシュアが思わず声を上げた。
一人のルビー色のショートヘアにエルフと思しき長い耳を持った女性が、いったいどういうわけなのか嬉々とした表情で三人の、というよりも触手の方へと全力で突っ込んで来る。
「……リシュア、あれって俺らの敵か?」
「いいえ? 知らないわよあんなアホ面のエルフ。でもまぁ一応剣抜いときなさいよ。前からならこの状況でも対処できるでしょ。」
「お、おう……」
などと会話しているうちにエルフの女性は速度を速めながらレイト達の前方十数メートルという場所まで迫り、
「お、おいっ。後ろの状況見えてないのか!」
というレイトの叫びに一瞬「ん?」という表情を見せた後、一体何を考えていたのだろうか。
「ウォォォォォッ! 今日の相手はお前だ! 人食いカズラァ!!」
ダァンッ!!!
跳んだ。三人が各々抱いていたエルフ像をぶち壊す台詞を叫びながら、地面に深々と靴跡を残す勢いで踏み込んで、彼女は跳躍した。そしてそのまま三人の頭上を飛び越えていく。
「「「!?」」」
突然の理解しがたい出来事に唖然とする三人。その後ろで、人食いカズラは目標をこのエルフに変更したらしく走行を止め、代わりに三人を追っていた触手が瞬時に上へと曲がって空中を通過する彼女へと伸びた。
そのまま捕獲。彼女の腰に無数の触手が巻き付き、そのまま空中を滑るように本体の方へと運ばれていく。
「……いったいこれは」
「どういうことなの……」
「でしょうか……」
頭の上に?の輪を作る三人の目の前で、当のエルフ本人はなぜか自信満々の、初めからこうなることを望んでいたかのかとさえ思えるような笑顔で抵抗することもなく素直に人食いカズラの本体へと運ばれていく。
そしてついに実食の時、来たれり。球根の様な形の巨大な黄緑色の袋状の本体の頂点に続く細長い首の先に開いたラッパのような口へと、彼女は頭から吸い込まれるように消えた。
長い首の先が人型に膨れ、少しずつ下へ下へと降りていく。そして……
ボチャンッ
という液体に落下する音が聞こえた後、人食いカズラは動きを完全に停止し、触手達も再び木の枝や根に擬態するように形と色を変えていった。
「なぁ、あの本体の袋の中ってどうなってるんだ?」
「さぁ? どうせ消化液でたっぷたぷなんじゃないの?」
「ですね。とくにあの人食いカズラの消化液は酸性が非常に強く、鉄さえも数秒で溶かす。らしいです。生身の人間があの消化液を浴びたら一瞬で骨まで溶かされますよきっと」
手帳のモンスター図鑑の項目を見ながらレミィが言う。
「……じゃあさっきのあのエルフは……」
「多分、今頃はドロドロに溶けて養分として吸収されてるんじゃない? 自殺かしら」
「でも、さっき「今日の相手はお前だ!」みたいなこと言ってませんでしたっけ、あの人……」
「知らないわよ。とにかく、あの化け物はしばらくさっきのエルフの養分吸収に夢中みたいだし、この隙にとっとと迂回しましょう。名も知らないさっきのエルフには感謝しなきゃね」
「なんだろう、この、俺達は何もしてないってのに感じる微妙な罪悪感は……」
「まぁ実際あの人の生贄で助かった、みたいなところはありますし……」
周囲に漂う微妙に重たい空気の中、三人は思い思いに人食いカズラの中で液体と化しているであろうエルフに感謝と哀悼の意を伝え、新たな道を開拓せんと草木を掻き分け始めた。その時だった。
ズボァッ!
そんなまるで何かを貫くような音が人食いカズラの方から聞こえた。
「ねぇ、あれ……」
リシュアが指をさした方向、丁度人食いカズラの袋状の部分のど真ん中から、何やら手らしきものが突き出している。
「さっきのエルフの人の手、じゃないですか? あれ」
「……だな」
と言いながら藤巻に眺めている間に今度はもう一方の手も穴を押し広げるように生え、そのまま弾力のある袋の表面をがっしり掴むと、
「ハァァァァァァァッ!!」
液体と化したはずの先程のエルフの気合の入った叫び声と共に、少しずつ、まるで扉をこじ開けるかのように穴が広げられていく。
「!?!?!?!?!?」
そんな異常事態、本来ならとっくに溶けているはずの獲物が溶けていないどころか体内から消化袋を引き裂いて脱出しようとするという状況に人食いカズラは全身を震わせて苦しみ始めた。先程まで形までも枝や根に擬態していた触手達もあの黄緑色の正体をさらけ出して一斉にのたうちまわっている。
だが、いくらもがこうとのたうち回ろうと、体内から攻撃されることなど想定していないこの植物にはどうすることもできず、とうとう袋の弾性に限界が来たらしく、ミリミリと音を立てて上下に裂けながらドボドボと体内の消化液を周囲に吐き出し、木々を瞬時に溶かしながら水たまりを作っていく。
そして、ついに袋の中の消化液を全て吐き出し、もはやただのバカでかい黄緑色の物体と化した人食いカズラの表皮を持ち上げて強酸性の水たまりにボチャンと転がり出てくる人影が一人。あのエルフの女性である。
流石に衣服は溶けたのか、生まれたままの一糸まとわぬ姿ではあるが、あのルビー色の髪が何よりの本人証明だった。
「あー。やっぱりこいつもダメかァ……」
素っ裸であることを全く気にする様子もなく、消化液の水たまりの上で大の字に寝転がったままの状態でエルフは残念そうに愚痴を漏らしている。
「……行きましょう、二人とも。アレには関わらないほうがいいような気がするわ」
「ですね」
「……だな」
ゆっくりとできるだけ音をたてないように後ずさる三人。が、しかし
「なぁ、そこの三人。この辺でこの袋よりも強いモンスターの居場所、知らねぇかな?」
大の字のまま、頭だけを三人の方に向けたエルフがニカッと笑って言った。