魔王様、落ちる
「さて、霧も晴れたし、正しい方角も分かったし。行くわよ海辺のリゾート地へ!」
あれから一夜明けて、リシュアの説得の果てに元ブラックロータスの魔法使いレミィを加えた三人は、目指す海辺のリゾート地、「アイリスアイス」での予定に心どころか足まで弾ませながら進むリシュアを先頭に、道なき道をかき分けてひたすら前進している。
まだ手帳の地図機能は復活しないうえに、案内役は昨日の遭難を生み出した張本人という不安極まりない状況にレイトとレミィは顔を見合わせて苦笑する。
「……なぁ、リシュアさんよ……本当にこっちであってるんだよ……な?」
「ええ。そりゃもう完璧よ? 昨晩レミィの魔法の実演で空いた木々の穴から空に飛んで、上空から方角は確認したもの。このまままっすぐ行けば、そのうち山を抜けてアイリスアイスの街並みも見えてくるはずだわ!」
「ほんとかよ…………」
つい昨日まで、まっすぐ突き進んで迷子になったばかりだろう。と思いながら、ほぼほぼ期待せずにレイトは言った。
だが、今回はリシュアの言う通りだった。
出発から数時間、ちょうどお昼時を迎えようかという頃、三人は山の麓までたどり着いた。リシュアの言う通り、ちょうど真正面に小さくアイリスアイスの街並みが霞んで見える。
「いやぁ、本当に迷わずに到着するとは思わなんだ……」
「フフン。ほら見なさい、私についてきて正解だったでしょ?」
褒めなさい! と言わんばかりに胸を張ってリシュアが言う。
「はいはいすごいすごい……」
フフン以下の発言がなければもっと好印象だったのにと、口では言わない代わりにレイトはぎこちなく笑う。
そんなレイトに代わり、レミィの方は目を輝かせてリシュアを褒めている。
「すごいですリシュアさん! 私一人なら、きっとまだ雪山深くを彷徨ってますよ。あ、そろそろ地図機能も復活してるんじゃないですか?」
一頻り称賛の言葉を送った後、レミィは思い出したように言った。
だが、今目の前にいるのは自分の功績に酔いしれ、勢いにノリノリのリシュア。ただでさえ調子に乗っているうえに、念願のリゾート地を目の前にしてテンションの上がっている彼女に他人の提案が届くはずもなく。
「地図なんていらないいらない。だってもう目の前に目指すアイリスアイスは見えてるんだから。地図なんて出す暇があったらこのまま一直線に突っ走るわ!」
と、言うが早いかレイトとレミィを置き去りにして、一瞬で人間態に変身したリシュアは全力でアイリスアイス目掛けて走り出していった。
「……おいおい、いくら目の前って言っても、まだ一キロはあるだろ……ん?」
遠ざかるリシュアの背中に呆れながら、復活した手帳の地図に目を落としたレイトは見た。一面真っ白な雪の平原を表示する地図の上に示された極太の真っ黒い歪な線。現在地とアイリスアイスの街を二分するように走る巨大な大地の割れ目の表示を。
「っ⁈ 止まれリシュア!」
慌てて叫ぶも、時既に遅し。深い雪で谷の境目が隠れていたこともあって、なに? と走りながらレイトの方を振り向いた直後、リシュアの姿が、振り向いたままの姿勢でまっすぐきれいに地面に吸い込まれるように消えた。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁ……」
そんなエコーが谷の方から聞こえてきた。
「ほら、言わんこっちゃない……まぁ翼があるから谷底にまで落ちはしてないだろうけど……」
「でもリシュアさん、人間の姿に変身してましたよね…………。底に落ちる前に元に戻っていればいいんですけど……」
「あ……」
レミィの不安そうなつぶやきで、レイトは思い出した。
なにしろあのリシュアのことだ。いきなり消えた地面に驚いて、そのまま慌てるだけ慌てて、谷底で見るも無残な姿で発見。なんて可能性もあり得る。大いにある。
「と、とりあえず見に行ってみましょう……!」
「あぁ。そ、そうだな……」
小走りで谷の淵に向かう二人。その視線の先にリシュアの姿はまだ現れない。もし冷静に人間態の変身を解けているなら、そろそろ地上に浮上してきてもいい頃だ。
そして結局彼女の姿を目にすることのないまま、二人は淵までたどり着いてしまった。
「……上がってきませんでしたね、リシュアさん。レイトさん、覗いてみます? 下」
「あ、ああ……。それじゃあ、せーので見てみようか……」
勿論二人の脳内に描かれているのは最悪の結果。谷底で血の海に沈む魔王の落下死体だ。
「……せーの!」
掛け声で、二人は全く同時に、サッと谷底を覗き込む。そして、見つけた。
「……なぁリシュア。そんなとこで何してんだ?」
人間態のまま、十数メートル下の壁面から生えた木の枝に襟を引っかけ、宙ぶらりんで揺れる情けないリシュアの姿を。