方向音痴と迷いの山
「さてと、一つ、残念なお知らせだけど……私達、また道に迷いました、はい」
ジルバ出発から数日。うっすら霧のかかる山中で、突然リシュアが高らかに宣言したかと思うとそのまま雪深い地面へと仰向けに倒れこんだ。
「はぁ……こうなるような気はしてた……。案内看板を片っ端から無視して歩いていた時点でさ……」
お手上げとでも言いたげに大の字で雪に寝転がるリシュアの傍にしゃがみこんでレイトは溜息交じりに呟く。リシュアの威勢のいい「多分あっちのほうが近道のはずよ!!」という台詞を聞いた時点でなぜ彼女を止めなかったのか。軽い後悔が頭の中をぐるぐる回る。
「確かに地図ではあの小道を辿るよりも早く森を抜けれるはずだったのに…………まさか途中で地図の描画機能が効かなくなるなんて……おまけにあたりは霧がかかって上空から見渡そうにも無理ね……」
むくりと起き上がって、リシュアは両手を顔に当てて大きな溜息を一つついた。
「稀にこんなふうな地図の効かない妙な領域があるっていうのは昔聞いた覚えがあるけど、まさかそこにピンポイントで足を踏み入れるとは……まったく、運がいいのか悪いのかわかったもんじゃないわよ」
「百パーセント悪い方じゃないか。とはいえこの霧じゃあこれ以上進んでも余計に迷うだけだし、今日はここでキャンプするしかなさそうだぞ」
そう呆れ顔をしながら、レイトはリシュアに続いて大きな溜息をついた。
* * *
「それで? ここ数日、とりあえず山を越えて、どこかの港町に行くことを目標で歩いてきたけど、なにか目的とかはあるのか? まぁ、なんにせよ、まずはここを脱出するのが先ではあるけど」
徐々に濃くなる霧の中でどうにか起こした焚火に手をかざしながら、レイトは隣に座るリシュアに聞く。
思い返してみれば、ジルバを発つ前日の晩に「とりあえず次の目的地は海辺の港町ってことでよろしく!」と、妙にわくわくした様子のリシュアの宣言を最後に、一切それに関係した話をしていなかった。
「んー? とりあえず、せっかくだから美味しい海の幸を堪能したいわ。後は海の見える温泉にでも入って……」
「……悪い、よく聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか」
さすがに聞き間違えだろうと思ってもう一度聞きなおす。聞き間違えでなかったとしたら、今のリシュアの口から飛び出た言葉は、要するに海辺の町でのんびりと観光をしたい、とかそういうノリである。
「港町で美味しい海の幸を堪能して、温泉でゆっくりしたいって言ったの。……どうしたのよ、くるみ割り人形みたいな口して。何か変なこと言ったかしら? 普通海辺の町っていったら美味しい料理に、海の見える露天風呂でしょう?」
「……それ以外に目的は?」
「それ以外……あ。もちろんお酒は外せないわよ?」
くるみ割り人形の口がさらに大きく開いた。
「……いや、あの、さ。俺たち魔王の討伐に向かってんだよな? それにヴァルネロ以外の四帝の安否も……あいたっ⁈ なぜ⁈」
「ったく……あなたって予想以上に馬鹿ね……」
スパンッとくるみ割り人形の頭を叩いて、リシュアは呆れ顔で言う。
「ガルアスを倒すことに意識を集中させるのはいい心がけだけど、こんな冒険の序盤から毎日毎日ずーっと気持ちを張ってたら疲れるじゃない。適度に息抜きってものも必要なのよ。それに、四帝の方はジルバを発つ前にあの転生者君のスマホとかいう機械に連絡しておいたから大丈夫よ。どうせ女神さまから転移魔法ぐらい貰ってるだろうし、少なくとも私達より適任よ」
「いや、でも……」
「つべこべいわないで休む時は休めばいいの! 魔王軍の幹部相手に戦って、地獄の剣術修行を乗り越えたあなたにはその権利があるのよ。そもそも他の四帝が治めるミストレア、ガラル、アインズの三つの街はどれもジルバからは百キロ以上は離れてるんだから、テレポートを使えない私達が行ったところで間に合わないわよ」
「……」
リシュアの説教に、レイトは反論する言葉も見つからず、無言のまま干し肉を一つ口に放り込んだ。
(……まったくもう、強情なやつなんだからこれはあなたへの労いの意味もあるっていうのにね……)
黙ったままのレイトを横目で眺めながら、リシュアは頭の中でそんな愚痴をブツブツとこぼした。
そして、無言のまま十数分が過ぎ、立ち込める霧が茜色に染まり始めた頃、リシュアは唐突に叫んだ。
「あ! あそこの木の陰に狼よ!!」
「な!?」
レイトはあわてて剣を抜いて立ち上がるが、リシュアの指さす先には何一つ動く影は見えず、足音も、鳴き声も、何も聞こえない。
「……なにもいないけど……。気のせいじゃないか?」
「フフ、そうね。だって気のせいもなにも、ウソだもの。だから言ったでしょ? 気を張り詰めすぎだって」
未だ、剣を構えて木の陰をにらみつけているレイトの肩をポンポンと叩いてリシュアは笑う。
「な……なんて趣味の悪いウソを」
「フフ、ごめんなさい。でも、今ので少しは気もほぐれたんじゃない?」
「まぁ、言われてみれば少しは気が軽くなったような……。確かに、休む時は休むっていうのは大切なのかも……」
「でしょう? それじゃ、レイトの同意も得られたことだし、港町での観光の日程でも立てましょうか!」
してやったりという表情のリシュアに、レイトは小さく溜息をついてから、剣を鞘に納めて座った、その直後。
ザッザッザというような、何かが歩く音が、ついさっきリシュアがでたらめに指さしたその方向から徐々に大きくなるように聞こえてきた。
「あの……ごめんなさいレイト、やっぱり今はまだ気を張り詰めなきゃいけない時間かもしれない」
そう口ではすまなそうにいいながら、リシュアはレイトを音のする方へとぐいぐい押す。
「お、おう」
未だ近づいてきている様子の、見えない足音の主に、レイトは剣を構えていつでも戦える態勢をとる。が、
「え?」
霧の向こうにぼんやりと姿を現した足音の主を見て、レイトは思わず小さく声を上げた。
「……あの……なにか食べ物を……なんでもいいので食べられるものを、くださ……い」
足音の主の正体。ぼろ布のようなローブを身に纏い、フードを目深に被った少女が霧の中からよろよろと現れて、そのままバタリとレイトの目の前に倒れこんだ。