静寂は嵐の前に
千剣姫ラウラとの会談から数日。リシュアとレイトの二人は皇都フラムローザから少し離れた場所にある、先の内乱で住人達がすっかりいなくなった廃村を拠点として、魔王軍の動きを見張りつつ、ライナとレミィの帰還を待っていた。
「相変わらず、魔王軍のマの字も見えないわね」
割れた窓の向こうに薄らと霞むクリスタリア城を眺めながら、リシュアは溜息を吐いた。
既に魔王軍が本格的に動き始めていたとしてもおかしくは無い。リシュアの予測ではそういった時期に入っているというのに、フラムローザは普段と変わらず平和で、都の門では旅人や商人をはじめとした大勢の出入りが観察できている。
皇都から遠く離れた場所ではまだ反乱の火がちらちらと燻っているものの、レイト達のいる皇都近郊では、生き残った住人達が軒並み桜花へ避難したこともあって、このところ戦闘と呼ぶようなものは一切起きてはいない。皇都に潜り込んでいるヴァルネロからも都に異常が生じたという知らせは無い。
変わったことと言えば、ここ数日は乱心気味だった皇帝ジークがすっかり落ち着いているらしい、という噂くらいのものだった。
「実はそもそも魔王軍の狙いは皇都以外の場所だった、ってことは?」
リシュアの横のかまどの上で、鍋の中のシチューをかき混ぜながらレイトは聞いた。
「うーん……、それも考えたけど、他の地域はバルバロッサと黒龍達が見回ってくれているし、ガルアスなら皇都を狙うと踏んでいるけど……。もしかしたら誰にも気づかれないように既に行動を起こしているのかもしれないわ」
もしそうなら、私達には手出しができないんだけどね。もう一度溜息を吐いて、リシュアはシチューを指で掬って一口味見。
「あら、おいしい。昨日より腕を上げたんじゃない?」
「そりゃどうも」
本当は全部リシュアの思い過ごしで、皇都には何も起こらないんじゃないか。そんな淡い希望的な考えを抱くほどに、平和な、或いはそう見えるだけの時間が緩やかに流れていく。
* * *
「そういえばライナ達は今頃どうしてるのかしらね。あっちも上手い事交渉が進んでいればい良いのだけど」
太陽がすっかり沈み、辺りが暗闇に包まれ始めた頃。欠けた器によそったシチューを食べながら、リシュアが思い出したように言った。
無論、ライナとレミィは今この場にはいない。レイト達が千剣姫との交渉に向かうことを決めた時、彼女達もまた、レイト達二人とは別の増援を呼ぶための交渉に向かっているのだった。
数でこそ、魔族にも人間にも劣るが魔法に長けた種族たるエルフ。来るべき戦いにおいて味方につけることが出来たなら、戦力の増強としては申し分なく、なおかつリシュアの理想とする「全種族の融和」にとっても彼らと手を握り合うことは必須だった。
だが、エルフが人間を忌み嫌っていることは、ぞれこそ魔族が誕生するよりも以前から続く歴史を振り返れば容易に理解が及ぶ。人間の繁栄の裏で異種族として迫害を受けた彼らは、憎悪と敵意を抱えたまま、人間の手の届かない深い森の中へと姿を消した。時折旅人や冒険者が山奥で消息を絶つことがあるが、その度に、エルフに喰われたのだという確証の無い噂がまことしやかに囁かれている。
ある意味エルフと人間の融和は人間と魔族の融和以上に複雑だった。
「大丈夫だろ。なんてったってライナ達の目的地は彼女の故郷なんだからさ。それに、切り札もあるって言ってたし」
「まぁ、そうねぇ……。とりあえず、戦争が起きる前に戻って来てくれればいいんだけど……」
溜息混じりにそう呟いて、リシュアは器を傾けて、残ったシチューを口の中に流し込んだ。
しかし、彼女の願いも空しく、ライナとレミィが戻ってくる気配のないまま更に二日が経過し、早朝、日の出と共に、その瞬間は何の前触れもなく、リシュアの叫び声と共にやって来た。
「レイト!! クリスタリア城に障壁が張られてる……!!!!!」
窓の外、世界を眩く包み込む朝日を斬り裂くように、夜さえ容易に飲み込むような深い漆黒の柱が、フラムローザの中心部、クリスタリア城を囲むようにして天高く聳えていた。