魔王は遅れてやってくる
「や、やめてくれ…………武器はもう持ってないんだ……! 命だけは助けてくれ……!!!」
業火に包まれた村の一画で、その男の命は今まさに尽き果てようとしていた。
「うるせぇ! 皇軍である俺に武器を向けた時点でお前は立派な反逆者なんでなぁ! 大人しくあの世で懺悔でもしてんのがお似合いだぜ!!」
男の目の前には長剣を振りかぶる、銀の鎧を纏った一人の兵士。男の唯一の武器であった鍬は剣に弾かれて炎の中に消えた。弾かれた拍子にバランスを崩して尻餅をついていなければ、どうにか逃げることはできたかもしれないが、それも今となっては後悔の種にしかならなかった。
「お、お前ら皇軍が先に仕掛けて来たくせに……っ!!」
ろくに女遊びもせず、贅沢もせず、妻と二人の息子の四人でつつましく、真面目に暮らしてきた男は悔し涙を流して叫ぶ。先に逃がした家族は無事だろうか。無事だったならすまない。俺はもう無理だ。
炎を映してギラリと赤く光る刃を見上げ、男は理不尽な断罪の瞬間を待つことしかできなかった。
「首の一刎ねで殺してやる……!」
兵士は長剣を握る手に力を籠め、言う。死までは一秒あるかどうか。
「!?」
そんな絶望的に短いカウントダウンの中、男は兵士の身体越しに、上空高くから高速でこちらへ飛翔してくる何者かの姿を見た。兵士はその姿に気付いていない。
死の直前の緩やかな時の流れの中で、男の目は、脳はそれの姿をはっきり捉えていた。
巨大な蝙蝠にも似た翼を広げ、太陽の影のせいで正確には分からないが、少なくとも人間ではない色の皮膚を持った少女。それが、兵士の斜め後方から正確に自分たち目掛けて突っ込んでくる。
クソッ……なんて日だ……兵士の次は魔族も来るのか……!
男は加速した思考の中で舌打ちをした。死は避けられない。俺の運命は完全に尽きたと。だが、同時に少し喜ばしくもあった。あの魔族がこちらへ襲い掛かって来るのであれば、目の前の兵士も助かるまい。それがせめてもの救いだ。
魔族、もといリシュアが速度を上げる。脚を進行方向、兵士の背中へ向け、飛び蹴りの構え。
「取り込み中のところ悪いけど、失礼するわよ!!!」
その速度たるや隼よりも速く、リシュアは声を上げて飛来する。そして兵士が剣を振り下ろすよりも早く、彼女渾身の蹴りが兵士の背中に突き刺さった。
「ブヘァッ!?」
強固な鎧を纏っているとはいえ衝撃を吸収しきることはできなかったらしく、兵士は気の狂ったような声を上げて男を掠めるように吹き飛んで、まだ燻っている瓦礫の中に爆発と勘違いしそうな程の音を響かせて突っ込んだ。
「な……な…………」
蹴った反動で一度空中で宙返りをして、ストンと軽く着地したリシュアに、男は怯えた表情で後ずさる。
「なによ。折角助けてあげたってのに……。姿だけ見てその態度は流石に傷つくわよ?」
手を差し伸べるリシュアに、男は余計におびえた様子でずるずると後ずさる。無我夢中で動かす手に、長剣が触れた。先程吹き飛ばされた兵士の手から零れ落ちたものだ。
血に飢えた魔族め…………こうなったら刺し違えてでも……!!!
幸い向こうは自分が死にぞこないの人間だと思い込んでいる筈。そう考えてばれないように長剣を握る。男はわざと怯えた表情のままで差し出されたリシュアの手に触れた。
「別にあなたを殺すつもりは無いんだから、そんなに怖がらなくてもいいでしょうに」
手を握り、リシュアは男を引っ張り起こす。瞬間、男は動いた。
「魔族め!!!!」
リシュアが逃げられないように、その手を逆に強く握り返し、背後に隠した長剣で胸の中心目掛けての刺突。どうせ殺されるのなら、せめて道連れに。
だが、リシュアとて、レイトのような、よほどのんびりした人生を送ってきた者は別として、普通の人間が魔族を前にそう簡単に心を開かないことぐらいは知っている。
ゆえに、すでに手は打っている。
「……!?」
長剣の刺突が止まった。あとほんの数ミリでリシュアの胸を貫くという位置でピタリと止まって動かない。
「あー、妖術の修得が早速こんなところで役に立つとはね……。いい加減その剣を離したらどう?」
「…………っ」
男はそれでも剣を押し込もうと力を籠める。だが、妖術による障壁がそう簡単に破れるわけはない。男は一分近く顔を真っ赤にして障壁と格闘してようやく諦めたらしく、手から長剣を取り落とし、そのままへなへなと座り込んだ。
「もう殺すなら殺してくれ…………それともあれか? 俺を奴隷にでもしようってのか」
「だからしないってば…………。いくらなんでも偏見ありすぎでしょ…………」
これは重症ね……。
リシュアは溜息一つ吐いて男から目を反らした。ふと丘の方を見ると、やっとのことで丘を降り終えたレイトが息を切らしながらこちらに歩いてくるのが見えた。
ま、人間相手にはレイトの方がまだ通じそうね。
ちょうどいいタイミングだわ。と、リシュアはレイトに向かってわざとらしく手を振った。