影問答(後編)
(あの日、私は正直なところ死を快く受け入れたのだ。君の父親、ブランの持っていた剣が桜花の刀匠によって造られた魔剣であることは分かっていたから、その内に魂となって宿り、魔王などという肩書も何もかもを捨てて人の世界を見てみたいと、そう思った)
ルドガーの告白は続く。
(その魔剣、スミゾメに宿った私は、すぐにブランの身体に乗り移った。乗り移ったといっても今の君のように、内側から話しかける程度だがね。リシュアのことは気がかりだったが、いざとなればヴァルネロをはじめ信頼する四帝達がいると、後の事は彼らに託すつもりだった。まぁ、既に形の無い魂の一つに成り下がり、力の全てを失っていたその時の私には、何が起ころうとどうすることも出来なかったがね)
(力の全てを失った……? それじゃあ俺が今まで使ってきた強化魔法やさっきのファントムはいったいなんなんだ?)
(まぁ、そう焦るな。順を追って話そう。私がブランの内に潜り込んだところからだ)
急かすレイトをやんわり制してルドガーは言う。
(あの酒の席で妙に気が合った時から薄々感じてはいたのだが、ブランは私と同じような呑気な性格だった。それゆえ私が彼の内から話しかけた時も、とくに驚くこともなく「旅の仲間が増えていいな」などと言っていたよ。おかげで私は彼の中から実に様々な世界を見ることができた。幼かったころの君の成長も含めてな)
だが。と、ルドガーの口調が悲し気に変わる。
(君のよく知っている通り、ブランは大病を患って死んだ。私と彼の二人一組の関係は唐突に終わりを告げた。そこからが、君の知りたい話の答えに繋がるのだ。ブランは死の間際私に言った。「俺の代わりに息子を見守ってやってくれ」と。それはつまり…………)
(俺の身体に乗り移れってことか。ようやくわかったよ。あんたは俺がスミゾメを手にするよりもずっと昔に、親父が死んだ時からずっと、俺の中にいたんだな)
確かに親父ならやりそうだと、レイトは思った。呑気なくせに息子である自分の事になるとやたらと心配性な父である。その呑気と心配性の間で、信頼している最強の魔王の魂をお守り代わりに憑りつかせたのだろう。
だが、それはそれで一つの疑問が生まれた。何しろレイトは父親が死んでから一度たりともルドガーの声など聞いたことがない。力を失ったというくせに、その依り代たるレイトが強化魔法やファントムといった術を発動できることについての謎も、まだ答えを得ていない。
(ああ、そうだ。もっともその頃はまだ、力を失ったままだったが)
街の方から微かにリュウカの悲鳴が流れてきた。相変わらずリシュアの荒療治は続いているらしい。
少し、風が強くなり始めていた。波は勢いを増して砂浜を這い上がり、レイトの爪先に一瞬触れて足早に戻っていく。
(そんな私の運命が変わったのは、あの冬の日、君が娘と共に村を旅立ったあの日の事さ」
いつしかレイトの隣に実体化した影が、レイトと同じように膝を抱えて座っていた。退いては寄せる波に指を伸ばしながらルドガーは漆黒の奥に紅く光る二つの眼でレイトを見つめて続きを話し始める。
「村を出て初めての戦闘で、娘が君に使った強化の紋。あれが始まりだ。私や娘のように、魔王の血を引く者達は少し特殊な魔力を有している。娘があの強化の紋を使ったことで、その特殊な魔力は君の中へと伝わり、結果としてそれは魂だけの微かな存在であった私にも流れ込んだ。そこで、私は再び魔王としての力の一部を取り戻したというワケだ」
両手の指先に青い炎を灯してルドガーが小さく笑い声を溢す。心なしかそれはルドガーが自分自身に宛てた嘲笑のようにも聞こえた。
「あの魔力は、君の身体の奥深くで半ば休眠状態にあった私を一気に覚醒させた。そして、一人追放された娘を前に、私の描いていた未来が間違いだったのだと痛感し、そしてそこで初めて自分自身を嫌悪した。自分の考えの甘さを後悔したのだ」
青い炎が勢いよく燃え上がり、ルドガーはそれを掌の内に握り潰す。
「だからこそ、君が娘と共にガルアスを倒すための旅に出たと知り、私は決意した。持てる力の全てを君に注ぎ、その旅を成功させようと」
「それならそうと、最初から言ってくれればよかったのに。どうして最初の数回、正体を聞いても色々と誤魔化してたんだよ……」
「それはその、前にも言ったが、ある筋、もといブランとの約束だったからだ。何かの拍子に魔王の魂が君の中で生き延びていると世間に知られてみろ。幼い君が危険因子として懸賞金を掛けられ、正義感に沈んだ冒険者達に狙われることになる可能性もあるのだからな」
「あ、言われてみれば確かに……」
「ま、そういうわけで、今の今まで正体を隠してきたんだ。だが、もう隠す必要もない。君はファントムを使いこなすまでに成長してくれたのだから。父として、これからも娘をよろしく頼む」
ルドガーは立ち上がり、影の手をレイトの頭に乗せた。そして、その紅の眼でレイトの眼を、心の内を見透かそうとするかの如くじっと凝視して言う。
「最後に一つだけ。再三になるが、こうして顔を突き合わせて聞いておきたい。ファントムを発動し、自身の体内の変化は実感しているとは思う。そこで、だ。これが最後の確認になるだろうが、レイト=ローランド。君はその身が魔族へと変貌したとしても、私の力を使い続ける覚悟は決して折れないと、誓えるか? この先何があったとしても、この旅の終着点まで、娘と共に歩むと誓えるか?」
かつての魔王からの、最後の問い。それはつまり、人であることを捨てたとしてもリシュアを守り、自分の、そして今は彼女へ受け継がれた夢を見届ける覚悟があるか。そういう意味の問い。
ギムレーとの戦闘中にも聞かれた問いを繰り返すルドガーの声は後悔の念が滲んでいた。
「…………そんなこと、今までの返事と全く同じさ。村を出たあの日から、答えはずっと変わらない」
ルドガーの思いを感じ取り、レイトは口調を強めて言った。
「あの冬の日、城から追放されたリシュアが雪道に刺さっていなかったら、俺はきっと今もあの村で何の変化もない白黒の毎日を繰り返してたはずだ。俺を外へ連れ出してくれたのはあいつなんだ。海を越えた桜花の国にまで付き合わされたからには、リシュアから追い返されたって追いかけて付いて行くさ。それに、たとえ俺の身体が完全に魔族になったとしても、あいつが目指す「全種族が手を取り合える世界」なら気にすることは無いだろ」
だから。と、ルドガーの眼を見つめ返し、最後の決意を紡ぐ。
「この先何があろうと、俺はリシュアと共に行く。それだけは約束するよ」
その決意を聞き終えると、ルドガーは一度深く頷いてレイトの影の中へと沈んで行く。
「それを聞いて安心した。それならば、私も存分に力を貸せるというものだ。あ、ここでの話はここ全部娘には内緒だぞ」
「あ、ああ。でも、どうせならあんたの気持ちを伝えてしまえばいいのに」
「それはそれで恥ずかしいのだよ……! もう暫くの間は酒の飲み過ぎで死んだ哀れな父上と思われていたいんだ。それじゃあ、これからもよろしく頼むぞ……!」
最後の最後にいつもの砕けた口調でまくし立て、ルドガーはトプンと音を立てて、完全にレイトの中へと消えた。
「おーい。レイトォ? そんなところで一人何をしてるのよぉ?」
消えたルドガーと入れ替わるように海岸の向こう、街道の上から自分を呼ぶリシュアの声が聞こえた。どうやらルドガーの姿はギリギリ見られていなかったらしい。
「リュウカの治療も終わったし、城に戻りましょうよぉ! スミナギ様がたっくさん手料理を準備して待ってくれているんですってぇ!」
「ちょっと考え事をしてたんだ。今行くよ!」
何があろうと最後まで、あいつの夢に付き合ってやるんだ。
心の内でもう一度宣言し、レイトは立ち上がった。海から吹き付ける風が、リシュアの方へと歩くその背中を強く押した。