魔王の本気(前編)
「……ここまでくればもう大丈夫そうね……」
レミィとタツミの元から離れ、深い森の木々を縫うように飛び続けたリシュアは、森の中にぽっかりと空いた広場の真ん中に降り立った。幼い頃にリュウカ達と遊んでいた際、リュウカが勢い余ってぶっ放した炎の妖術で木々が消し飛んで生まれた懐かしの広場である。
「さ。いい加減コソコソ隠れてないで、姿を現しなさいよ。ブラックロータスの皆さん」
広場をぐるりと見渡しながら、リシュアは挑発気味に言う。リシュアの発動している感知魔法は、異空間に潜みながら自分を追跡してきた十人の魔法使い達の反応をしっかりと捉えている。
「えらく上から目線で言ってくれるが、この状況、どう考えてもお前が不利ってことを分かってねぇのか? 元魔王さんよ」
リシュアを取り囲むように、空間に十の割れ目が小字、黒装束の魔法使い達が異空間から現れる。彼等はみな、胸元や掌、手の甲に埋め込まれた眼を開き、オリジン・アーツの発動が可能な状態でリシュアを包囲する。
「なるほどね。確かにこれだけの数、五属性のオリジン・アーツの使い手が揃っていると、ちょっとまずいかもしれないわね……」
自分を取り巻く魔法使い達を見まわして、リシュアは小さな溜息を一つ着いた。炎属性が三人、風属性と雷属性が二人に、水属性と地属性が一人ずつ。普通の魔法障壁を張ったとしても、これだけ複数の属性の魔法を同時に撃たれればそう長くはもたない。おまけに相手はブラックロータス。魔力消費無しでオリジン・アーツをほとんど無限に連射できるとなればなおさらだ。
「悪いな。俺らはあんたに直接の恨みは無いが、何せ現魔王様の依頼なもんで。あんたの死体はしっかり持ち帰らせてもらうよ」
既に勝ちを確信した顔で、魔法使いの一人が言った。それを合図に十人全員がその手をリシュアに向ける。炎、風、雷、水、地。五色の光がリシュアを照らしていく。
十人の魔法使いは、その全員がリシュアの事を舐めていた。相手は魔王の血を引いているとはいえ、部下の反乱にあっけなく失脚した魔族。対する自分達はオリジン・アーツの使い手。しかも新魔王軍の幹部の顔も持つアルヴィースからも「大した敵ではない」という説明を受けている、となれば、彼らがリシュア相手に慢心するのは必然だった。
その慢心が、判断を歪ませた。
なぜリシュアがわざわざ人目につかないこのような森の奥まで移動したのか、少し考えれば警戒するはずのこの行動に対して、十人の魔法使いの誰一人として思考を働かせなかったのだ。
「あんたらが無くてもね……私には十分に…………っ!?」
「死ね!!!」
殺意を滲ませ、魔法使い達を睨みつけるリシュア。彼女の言葉が終わるより先に、号令一発、五色の魔法が一斉に放たれた。
魔法使い達の輪の中心で五属性のオリジン・アーツの光球がリシュアの身体に炸裂し、巨大な爆発となって森を揺らした。木々の間から一斉に鳥たちが飛び立ち、森は一瞬のパニック状態へと突入した。
「やったか!?」
「おいおい、その台詞は無しだ。やったか、じゃなくてやったんだよ、俺たちは。アレだけのオリジン・アーツの同時攻撃をもろに食らえば、流石の魔王とて木っ端みじんだろうよ」
爆心地からもうもうと立ち込める黒煙を前に、魔法使い達はそんな会話を始める。十人の内三人は、まだ魔法の発動態勢を維持したまま黒煙から目を離さないでいるものの、残りの七人は既に勝利ムードである。
もしもこの場にアルヴィースが居たならば、彼はこの攻撃の直後に次の手を模索していただろう。彼ならば、未だ晴れぬ黒煙のその内側で不気味に膨らむ魔力の反応を見落とすことは無かっただろう。だが、この場にアルヴィースはいない。
「でもよぉ。木っ端みじんだとすれば、どうやって死体を持って帰るんだ?」
「さぁな。だがまぁ、翼の切れ端くらいは残ってんじゃねぇの? ガルアスさん曰く、無駄に耐久力と生命力だけは高い女らしいからな。最悪の場合はどっかでサキュバスをぶっ殺して、その翼でも持っていけばいいんじゃねぇかな?」
「ああ、そりゃあ名案だ。ハッハッハッハッ…………
ドシュッ
…………ぁ?」
突然、呑気に会話をしていた魔法使いの胸から黒い角のようなものが生えた。
「お、おい、大丈夫かよおま……えっ…………ぐぁ……」
彼に駆け寄ったもう一人の魔法使いの胸からも、同じ漆黒の角。それが角などではなく、鋭利な黒いまるで触手のような柔軟性と伸縮性を有した物だと気付くのに時間はかからなかった。
胸を貫かれ、薄れゆく意識の中でその魔法使いは見た。自分の胸を貫いたそれは、黒煙の中から伸びている。
「まだだ……まだ生きていやがる……!」
「どんな生命力をしてやがんだ、この化け物……!」
怯えながらも即座にオリジン・アーツを放つ魔法使い達。晴れかけた黒煙が再び巻き起こり、森を揺らす。だが、既にリシュアは反撃に出ていた。
「あれは……!」
オリジン・アーツの連撃をものともせず、黒煙を吹き飛ばして上空高く飛び上がる影が一つ。
「……なんだよありゃあ…………さっきまでとはまるで姿が違うじゃねぇか……!」
影を追って空を見上げた一人が叫んだ。
「……さっきは言いそびれたから、もう一度言うけれど……。あんたらに恨みが無くても、私には恨みがあんのよ。散々うちのレミィに地獄を見せた罰は受けてもらうわよ……」
地の底から響くような低い声で告げるリシュア。逆光を受けた彼女のシルエットは化け物だった。全身をドロドロと蠢く影が覆っており、背中に生えた翼は大きく歪に広がり、襤褸切れのような翼膜が風に揺れる。そして額には巨大な第三の眼が開眼され、本来の彼女の二つ眼が在った場所からは捻じれた長い二本の角。
まさに魔の王。見るもの全てを恐怖に沈ませる異形がそこに居た。