玩具の代償
いつのまにか桜吹雪は晴れていた。
「ぐ…………貴様……この私が集めた魂を……よくも…………!」
死霊兵の材料として貯め込んでいた魂を全てスミナギによって回収されたのであろうベルエルが、憎悪に満ちた表情で彼女を睨みつける。墨染桜の能力でベルエルから吐き出された魂は少なくとも百万は軽く超えている。何年、何十年かは定かではないが、おそらくは相当の年月をかけて集めてきた魂の全てを僅か数分の内に失ったのである。その喪失感と怒りは想像を絶するものに違いない。
「あらあらあらあら。集めたとは物も言いようですね。実際は貴方とその部下たちが殺し、無理やりに奪った魂だというのに」
地面から墨染桜を引き抜いて、スミナギは無表情でベルエルを見つめ返す。
引き抜かれた墨染桜はその刀身を、名前の通り墨を吸ったかのように黒く染めている。黒く染まったその切っ先をベルエルに向けながら、スミナギは問いかける。
「さて、魔王軍の参謀様に尋ねましょう。この墨染桜の白を染め上げた黒の正体、貴方にわかりますか?」
「…………さぁな。そんなもの知りたくもない。私はもう逃げさせてもらうとしよう」
そう吐き捨てるなり、ベルエルは自分の真下に魔法陣を生み出し、逃亡のための裂け目を広げた。先程までは傍で動きを監視していたリュウカも、今はレイトの方に移動している。もはや邪魔者はいないとばかりにニヤリと笑い、裂け目へと身体を沈めるベルエル。だが、
「まぁまぁ、もう少し話をお聞きなさいな」
スミナギが言葉を発するのと同時に、沈む動きがピタリと止まり、見えない何かに引っ張られるように、その身体が両腕から持ち上がっていく。
「……いったい何をした……!?」
「両腕をよく見てごらんなさい」
「クソ……この影はいったい…………おい! 離せ!」
怒鳴り散らすベルエルの腕を、十歳くらいの子供の背丈をした影が掴んでいた。どれだけベルエルが身を捩ろうとも、影は決してその手を腕から離さない。
「その影は、貴方がリュウカの動きを鈍らせるために使った、この港町であなたの兵に殺された子供の魂ですよ。そして、この墨染桜の黒は、私が貴方から回収した魂が宿していた負の感情の塊です。普段なら私がおいしく頂いてしまうところですが、今回は罰としてこの真っ黒な感情の塊全部、貴方にお返ししますね」
身動きの取れないベルエルにむかってスミナギはニッコリと微笑むと、無造作に墨染桜で宙を斬った。その瞬間、刀身から黒が溢れ、濁流となってベルエルの身体に吸い込まれていく。
「うお……オォォォォオォォォォオォォォォォォォオォッ!?」
ベルエルの苦しみ様は尋常ではなかった。全身を電流が走ったかの如く勢いで痙攣させ、全身から血液が噴き出し始めた。
「それは貴方が利用してきた者達の憎しみであり絶望の痛みです。これからは、新たに死霊兵を生み出すたびに、その身体を今と同じ痛みが襲うでしょう」
淡々と告げるスミナギの声も、ベルエルには聞こえてはいない。もしも彼が不死身の魔族たるアンデットではなく、ごく普通の魔族であれば、とっくに絶命していても不思議ではない。それほどの痛みが全身を駆けまわっているのだ。
ベルエルの腕を掴んでいた影がその手を離すと、彼の身体は仰向けに倒れるようにして、裂け目の中へと沈んで行く。
「これが、私が貴方へ与える罰の全てです。では、ごきげんよう」
スミナギに向けて、ベルエルは何かを言いたげな様子だったが、未だ収まらない苦痛に体の自由が利かず、自ら作り出した裂け目の中へ、溺れるようにして沈んだ。
戦場に残された死霊兵も、その核たる魂を回収されたことで姿を維持する力を失くし、あの巨人と同じようにさらさらと砂となって海風に吹かれ、少しずつ消え始めていた。