妖刀・墨染桜
スミナギの手から離れた刀は、そのまま重力に導かれるままに真っ直ぐに落下し、ストンと軽い音を立てて地面に突き刺さった。そして、その落下地点を中心に、戦場全てを覆う程の純白で巨大な魔法陣が広がった。
「では、始めましょう」
突き刺さった刀の柄の先端にふわりと着地して、スミナギが大きく両手を広げた。
「御魂送儀・墨染」
彼女の口から抑揚のない声で、術名と思しき言葉が紡がれる。瞬間。刀身から、魔法陣と同じ純白をした花弁が溢れ出した。
花弁の形は桜。何の交じりっ気もない純白の桜の花弁が、渦を巻きながら戦場の端々にまで舞い広がる。
異変は直ぐに起きた。あちらこちらで半透明の影、人、鬼、動物、姿形は関係なく、数多の生物の影が突如として花弁の舞う空間に滲み出すように出現しては、一瞬の内にその姿を色鮮やかな火の玉に変え、地面に刺さった刀身へと吸い込まれていく。
「いったい何が起こってるんだ…………?」
飛び交う無数の影と火の玉のダンスにレイトは目が回る感覚さえ覚えた。
「こいつは母上と、母上の持つ妖刀「墨染桜」の能力さ」
いつの間にかレイトの傍にまでやって来ていたリュウカが自慢げに鼻を鳴らして言った。
「墨染……?」
「ん? ああ、そっか。レイトの持ってるその魔剣も似たような名前だったっけ。まぁ、似てるのは名前だけじゃねぇさ。母上の墨染桜もそのスミゾメと同じで、死者の魂を取り込むことができんのさ。まぁ、性能は段違いだけどな。お前のスミゾメの能力は「死者の同意の下でその魂を取り込む」なんていう、やたらと限定されたもんだが、あっちの墨染桜はその限定が一切ない。ありとあらゆる魂を母上の望むだけ取り込むことができる。まぁ、お前のスミゾメに関しては、作った奴が、能力が似てるからって理由でそう言う名前にしたんじゃねぇかな」
「へぇ…………。それじゃあ今、周りに舞っている火の玉や影は……」
「そ。私達が倒してきた死霊兵を含め、この場所に漂う全ての魂とその残留思念ってところだ。本来なら御魂送りの儀式の日に、この国に漂っている魂全てを一気に取り込んで冥界へ送るんだが、今回ばかりは事情が事情だから、この戦場の魂だけ先に冥界に送ってるのさ。何しろ死霊兵の魂は負の感情に満ちてるからな。いつ怨霊の群れになって暴れ出すか分かったもんじゃねぇ」
「結構恐ろしいもんなんだな、感情って……」
「おうよ。とまぁ、魂についての話はこれくらいにして、あの魔王軍の参謀の姿をよく見とけよ。多分そろそろ面白いものが見られるぜ」
「え?」
「母上が言っていただろ。それ相応の罰を受けてもらうって。それがこれから始まるはずだ」
どちらが敵か分からないような笑みを浮かべたリュウカがベルエルの方を指差して言った。果たして彼女の言葉通り、それから三十秒も経たない内に、ベルエルが突然苦しみ出すのが見えた。
「ぐ…………ガッ……アァァァァァァッ!!!!!」
地面の上を右へ左へ転がって苦しみ悶えるベルエル。その身体の表面には大小無数の純白の魔法陣が浮き上がり、その輪の中から人型をした影が止めどなく噴き出しては墨染桜の刀身へと吸収されている。
「へっ。やっぱりまだまだ蓄えてやがったか。見ろよレイト。あいつの身体から飛び出してる魂全部、あいつが散々生み出しまくっていた死霊兵の核みたいなもんだぜ。それを母上は根こそぎ奪い取っちまうつもりだ」
「あれが全部死霊兵の元なのかよ……」
いったいどれだけの数の魂を奪い、溜め込んできたのか。ベルエルの身体から飛び出す影はその勢いを増すばかりで、収まる気配は全く無い。
「ぐぁぁッ……やめろやめろやめろおォォォォォォ!!!」
船の上で高みの見物を決め込んでいた時の、あの静かな雰囲気はすっかりなりを潜め、ベルエルは大声で喚き散らしながら、これ以上駒を奪われまいと、自身の身体の表面に障壁を張る。が、そんなものは、実体のない魂には関係のないことで、幾重にも張った甲斐も空しく、次から次へと吸い取られていく。
魂の放出と吸収がようやく終わったのは、それからさらに五分近く経ってからだった。