神の怒り
「あら、あら、あら、あら。そんなところにいたのですね。ようやく見つけましたよ」
突然、背筋が冷たくなるような声が空から降り注ぎ、リュウカが見つめる視線の先の空が渦巻いて穴が開いた。穴の向こうから、何者かがゆらゆらと降りてくるのが見えた。純白の着物の上から羽衣を纏い、その周りを無数の青白い火の玉がふよふよと飛び回る。そして右手には白銀の刃を有した一振りの刀を握ったその女性を、レイトは知っている。
「リュウカ、あの人って……!」
「あぁ、そうさ。あれは私の母上の本来の姿さ」
スミナギ。
リュウカ達の母親にして、その体内に桜花で死んだ者達の魂の行きつく先である冥界を持つ神霊。この時期はエネルギー切れで休んでいる筈の彼女が、ゆらりゆらりと風に揺れながらリュウカとレイト、そしてベルエルを順番に見回して微笑んでいる。
「レイトさん、すいません。折角修行に来てくれたのにこんな事になってしまって。それとリュウカ。あなたも一人でよく頑張りましたね。母として誇らしい限りです。…………さて」
レイトに頭を下げ、リュウカを褒めてから、スミナギは少しずつ高度を下げながら、リュウカの傍で倒れたままのベルエルへと話を振った。彼女の顔には笑みが湛えられてはいるものの、細めた瞼の奥からは、温かさの欠片もない、冷酷な瞳が覗いている。
「あなたは確か、今の魔王軍の参謀でしたね。あなた方にはこの地に攻め入ったこと、アイゼンの街を襲撃し、船を奪ったこと、ついでにリシュアちゃんを追放したことと、言いたいことはいくつもありますが、今は良しとしましょう。ですが私にもどうしても許せないことはあります。食べ物を粗末にすることと、盗みを働くことです」
スミナギの顔から微笑が消えた。そこにあるのは冷たい目。静かな怒りに満ちた目が、ベルエルの顔を凝視している。
「あなたはこの桜花の地で安らかな眠りにつくはずの魂を、それも戦とは無縁の人達の魂を奪い、戦の道具として弄びましたね。これはこの桜花を守る神として、一人の母として、決して許すことはできません。逃げるのは結構ですが、その前にそれ相応の罰は受けていただきましょう」
手にした刀を胸の前に構え、スミナギが言う。
瞬間。それまで無言でいたベルエルが笑い始めた。
「クク…………罰とは大げさな。死者の魂など所詮は大した価値もない残りカスのようなもの! それをどう使おうが私の勝手だ。むしろ私は死霊兵として新たな生を授けているのだ。それを責められる筋合いなどないな!!! そして、貴様らがベラベラ喋っている間に、私が何もしていなかったと思うか?」
無事だった左手を地面に叩きつけてベルエルは叫んだ。直後、宙に浮くスミナギの真下の地面を中心に、大きな漆黒の魔法陣が展開され、ボコボコと音を立てながら地中から百を超える大量の腕が生えた。それらすべてが魔導銃を握り、その銃口をスミナギに向けている。
そして、百を超える銃口が一斉に火を噴き、銀の弾丸をスミナギへと吐き出した。
銀色の軌跡を残し、弾丸がスミナギへと殺到する。それは特殊な術式を組みこんだ魔弾。一発当たれば神さえもを殺すほどの呪詛を含んだ必滅の弾丸。如何なる敵であっても、たとえそれが魔王であったとしても確実に死をもたらすそれが、ざっと百。
ベルエルは勝ちを確信した。召喚した無数の腕は、それぞれがその手に握る魔導銃の銃口を微妙にずらすように制御している。たとえあの桜花の神が避けようと動いたとしても、必ず一発はその身体を掠めるように。
手であろうが脚であろうが、僅かに掠るだけでいい。それだけで呪詛は発動する。
だが。
「!? ばかな……!!」
銃弾はただの一発すら、命中も掠りもしなかった。その全てが彼女の身体をすり抜けて四方八方、あらぬ方向へと飛び去って行った。
「あら、ざんねん。実体の方はお城に置いてきてしまったのよ。折角の攻撃だったのに、ごめんなさいねぇ。それじゃあ、そろそろこちらも始めましょうか」
奥の手も不発に追わり、為す術の無くなったベルエルに、優しくそれでいて冷たい声を投げかけて、スミナギは胸の前で構えた刀を、その刃を地面に垂直に向けると、刀に語りかけるように告げる。
「さぁ、目覚めなさい、墨染桜。御魂に安らかな眠りを与えましょう」
そして、彼女は静かに刀の柄から手を離した。