魔王と魔法と魔族の城
レイトが一体目のゾンビに斬りかかってから三時間。ひたすら剣を振るいながら林道を走るレイトの後ろには大量のゾンビだった物が転がり、前方にはまだゾンビである物が彼目掛けて走ってくる。
倒したゾンビの数、およそ二百。ゾンビから受けた攻撃およそ三十。そしてリシュアが
放ったリフレッシュの回数およそ四十。
「ふあぁぁぁ」
たまにリフレッシュを放つだけの単純作業をこなしてきたリシュアは、手持無沙汰で林道の上空をふわふわと浮遊しながら大きなあくびをした。しかも、回復という唯一の役割も、戦闘開始から二時間が過ぎたあたりからレイトの被弾率が徐々に下がってきたおかげでその存在意義すら怪しいものになり、ただ上空からレイトの奮闘を眺めるだけという、究極的な暇時間に突入しつつあった。
レイトのレベルアップを口実に戦闘を押し付けて楽をしようと目論んでいたリシュアだったが、まさかここまで次から次へとゾンビが湧くとは考えておらず、むしろ何もしない時間がただ流れていくことに徐々に苛立ちを募らせ始めていた。
「……あ。あれ、使ってみようかしら」
と、ここでリシュアはある秘策を思いついた。この退屈な時間をさっさと終わらせる秘策、魔法を。
「レイト、止まって。そろそろ単純作業にも飽きてきたころじゃない?」
フフと笑いながら、走るレイトの横にすぅっと降りて耳元で囁くように言った。
「あ? そりゃもう飽きたに決まってるだろうが、というかいくら何でもゾンビ湧きすぎだと思うんだが……」
レイトはもはやもうゾンビの方に顔を向けることもせず、喋りながら、突っ込んできた敵を横薙ぎの一閃で斬り飛ばした。
「私だってこんな量のゾンビの群れ初めて見たわよ。いい加減私も上から見てるだけの役職に飽きてきたわ」
「飽きた。ってお前なぁ。この残った大量のゾンビ共を片付けるまで耐えるしかねぇだろ。それとも何か、こいつらを一瞬で消し飛ばすような高位魔法でも使ってくれるのか?」
もう一体、突っ込んできたゾンビを斬り伏せてレイトは足を止めた。前にも後ろにも、まだまだ大量のゾンビがいるらしく、あらゆる方向からうめき声が絶えず聞こえている。
「えぇ、そう。高位魔法と似て非なるものだけど、少なくともこいつら全員を一瞬で片付けるだけの威力はあるわ。レイト、私から絶対に離れないでね!」
そう吐き捨てるなり、リシュアはレイトとほぼ密着する位置に着地し、両手を体の正面でパンっと音を鳴らして合掌した。直後、その両手に妖しい桃色の光がぼぅっと灯る。
「開き飲み込め快楽の檻!!!!」
術の名前を叫ぶと同時にリシュアは両手を地面に叩きつけた。瞬間、複雑な紋様の妖しい桃色の魔法陣が二人を中心にして円形に広がっていく。
「「オォォ……オッ……オォォォオ……」」
魔法陣を踏んだゾンビたちが軒並み動きを止め、ビクンビクンとその場で痙攣し始めている。
「なぁ……これはいったい……」
「ロードオブオーガズム。私みたいな高位のサキュバスが使える、対象を男女、種族問わず性的快楽の渦で縛る特殊な結界術よ。高位の魔族か、魔法耐性がよほど高くない限り踏み込んだ瞬間に即アウト。これで少なくともこいつらはこの結界の範囲から抜けるまで攻撃することは不可能」
そう言われてみると、痙攣しているゾンビ達はどこか恍惚とした表情をしているようにも見えなくもない。
「さ、早く行きましょう。もう少しでこのゾンビまみれの林は抜けるはずだから。あ、私から離れないようにね。この結界、私の動きに連動してるから、ちょっとでも私から離れたら結界の範囲内に足を踏み込んでジ・エンド、あなたもこのゾンビ達みたいになるからね」
「お、おう……」
レイトも男である以上、いくら相手がリシュアで魔族とはいえ、女性と体を密着させて歩くというのはどうにも慣れず、変にドギマギして胸が早鐘を打ってしまっているのが鼓動を通じて嫌というほど自覚せざるをえなかった。
せめて心を無にしようとしても、常に肌を通して伝わるリシュアの柔らかさがそれを簡単には許してくれない。
とはいえ、リシュアの言う通り少しでも彼女から離れれば、周囲に広がる妖しい桃色の海にドボンするのは間違いない。
サキュバスであるリシュアならとっくにこのドギマギした胸の内に気づいているのだろうと、頭の中にニヤニヤ笑いながら「まったく、初心にもほどがあるでしょ」とかなんとか言ってからかってくる彼女の顔が浮かんだ。が、現実のリシュアはと言えば、レイトの方を向くことなく、ただただ無言で歩き続けていた。
(……さてはもっと引っ張って最後の最後に一撃かましてくる算段か)
そう考え変に気を張り詰めたままのレイトだったが、そんな彼の密かな気苦労も空しく、結局林道を抜けて、結界を解いた後もリシュアはその手の話は一切せず、そのまま目的地である宿のある村に到着してしまった。
* * *
翌朝、仲良く揃って寝坊した二人は昼前に村を出発し、ジルバへと再び歩き出した。昨日のゾンビパーティーと打って変わって、残りのジルバまでの道のりは、ジルバの手前の小高い丘を越える以外は開けた平野をただ普通に進むだけという、至極楽な行程であった。
「あ、そうそう、レイト。あなたの冒険者手帳の能力のページ、どうなってるかしら」
「ん、あぁ、ちょっと待てよ。えーと」
リシュアに促されて手帳の登録者のステータスを表すページを開く。
「総合戦闘力と筋力、それと体力のステータスが結構上がってんな」
見ると所狭しと並べられた様々な項目の内、総合戦闘力と書かれた項目と筋力と書かれた、そして体力の項目の部分の数値を示すバーが残りに比べて一センチ弱飛び出している。
「ま、あれだけ大量の敵と短期間で戦ったから当然ね。ガルアスに挑むにはまだまだだけど。ジルバでヴァルネロから剣の手ほどきを受けるといいわ。あいつ、剣の腕もさることながら、剣術の指導の腕も確かだから」
「へぇ、それはありがてぇや。ところでジルバって、今はどんな街になってるんだ?」
「えーと、確か稲作が盛んな街になっていたはずよ。父が東方から持ち込んだ米の苗からはじめて研究と改良を重ねに重ねて季節を問わず栽培できる品種を作ったって聞いてるわ。今冬だけど、まだまだ農作業が盛んで青々とした田んぼがきれいなはずよ」
「米か、子供の頃に親父が持ち帰ってきたのを一回食べたっきりだな。あれは旨かった」
「フフ、ヴァルネロに頼んで用意してもらいましょ」
どこかグルメ旅行気分になりつつあった二人だが、ジルバを望む小高い丘の上までやってきたところで無残にも二人ののんびりした気分はぶち壊されることになった。
「……なぁリシュア。さっきジルバは冬でも農作業が盛んって言っていたよな……」
先に丘の上に着いたレイトが、目に飛び込んできた予想だにしない景色に、後ろを歩いていたリシュアに恐る恐る尋ねた。
「えぇ、そうよ。どうかした……の……」
と返事の途中でリシュアも丘の麓に広がる景色に言葉を失った。
二人の眼下には想像とは真逆、踏み荒らされてグチャグチャになった田畑と、まだ煙が燻っている家の焼け跡が広がり、その奥に、不気味な漆黒のオーラを纏った城が異様な威圧感を伴って立ちはだかっている。