神速の剣と精神の扉
「いやはや……まさかこの私の全力に近い速度に付いてくるとは……流石に想定外だったぞ、レイト殿。その力、やはり並々ならぬ物を秘めているようだ。……後は後遺症とやらをどう打ち消し、どう使いこなすか、そこだけだ」
レイトの放った、強化魔法を使用した刺突。そのあまりの衝撃でそこら中に骨をばらまき、頭蓋骨だけとなったヴァルネロが、レイトの掌の上に収まりながら、今しがたの一戦の感想を伝えて来る。
「いや……でもまだまだ力の加減すら出来てない………これじゃあ直ぐに消耗してしまいそうだ……」
目の前に伸びる、真っ直ぐに抉れた地面を眺めながら、言う。前方五十メートル程に渡って草を吹き飛ばし、地面に深く傷を刻んだのは間違いなく、今のレイトの刺突、それが生んだ衝撃波だった。
確かに、あの攻撃にありったけの力を注ぎ込んだのは事実。だが、まさかただの刺突がこれほどの衝撃波を生み出したというのは、技を放ったレイト自身、俄かに信じがたかった。
そんなレイトとは真逆に、ヴァルネロの声はやたらと嬉しそうだ。
「ハハハ、案ずるなレイト殿。見ての通り私は不死。とびきり強力な浄化魔法でもなければ、たとえ粉のように砕かれようと再生は可能なのだ。其方が覚悟を決めたのなら、力の制御が出来るまで、私もこの身をもって修行に付き合うつもりだ…………それはそうとリュウカ殿、私の身体はまだ集まらんか?」
「あ? こちとらさっきから目ぇ皿にして探してんだよ。あの衝撃波でどこまで飛んだかすら分からねぇ骨を、草の根掻き分けて探すこっちの身にもなれってんだ!」
二人から少し離れた場所ではリュウカが、そこら中に散ったヴァルネロの骨達の回収に、苛立ちを紛らわせるかのように勢いよく草を引きちぎりながら、あちらこちらを行ったり来たりしている。
「あー……ごめん、リュウカ。俺があんな馬鹿げた威力の刺突を撃ったせいで…………」
「なんでレイトが謝るんだ。悪いのは耐久力皆無のヴァルネロの方だぜ? ったく、牛乳飲めよもっと……」
そう言ってリュウカは脇に構えた骨の束をヴァルネロの頭部を持つレイトの足元へ放り投げた。
途端、ヴァルネロの頭はレイトの掌から浮き上がり、そこへ投げられた骨達が渦を巻くようにして集まっていく。
ものの十秒もしないうちに、まだ細部の骨が不完全ではあるものの、両腕両足のそろった状態にまで再生したヴァルネロがそこにいた。
「よし、まぁ修復はこれくらいでいいな。後は立ち回りの中で私自身で回収しよう。レイト殿、力の方は保ちそうか?」
「あぁ。まだ脱力感も無いし、力が溢れてくる感じは続いてる」
「成る程。ならば結構。こちらから行くぞ!」
レイトの身体の状態がまだ問題は無いと確認するや否や、宣言とともにヴァルネロは地を蹴り、恐ろしく速い剣の縦一文字の振り下ろしを放ってきた。
ギィィィン!
ぶつかった刃同士が鋭い金属音を立てて火花を散らす。リュウカと違い、そこまでのガタイや筋力の無いはずのヴァルネロの一撃だが、ガルアスをも凌ぐというその圧倒的な速度によって生み出された威力の増強効果はレイトの予想以上のもので、受け止めた衝撃が両腕をビリビリと軽く痺れさせる。
……さっきよりも速い……けど、捉えられない訳じゃない……!
先程から、さらに一段階増したヴァルネロのスピード。だが、『化け物』の力で強化されたレイトの目は、そのスピードをも確実に見ることができていた。
そして、もちろん『化け物』の強化は動体視力だけには収まらない。今、レイトは頭の天辺から爪先まで、全身が未知の力に浸かっている感覚にいる。
「やるな、レイト殿。さらに一つギアを上げたというのに、当たり前のように受け止められるとは。さすがに少しばかり嫉妬を覚えそうだ」
レイトが剣を受け止め押し返す力を利用して十メートル程後方に跳んだヴァルネロが、その台詞の内容とは逆に、相変わらず満足そうな口調で言う。
「さぁ、次はそろそろレイト殿の方から仕掛けてきてもよいのだぞ? 実戦では自ら攻めることも重要なのだからな」
「あぁ、確かにヴァルネロの言う通りだ。次はこっちから行くよ」
重心を落とし、今日最初にヴァルネロに放った一撃を再現せんと、剣を脇に構える。最初と違って、今は強化魔法がある。たとえ初撃を躱されたとしても、今度は逃がさない。回避行動の先を予測して追撃をかける。力が溢れている今ならば、そんな妄想の様な戦い方も可能になる。確証の無い妙な確信が、レイトの中にはあった。
視線の先でヴァルネロもまた、片足を一歩前に出す形で剣を構えている。その身から放たれる、先程の比ではない殺気からしても、今度はただレイトの一撃を待っているだけではないことは確かだった。
ツゥ、と、額から汗が一筋流れてくる。これが実戦ではないとは分かっていても、目の前に立つのは実践さながらの殺気を放つ魔王軍の四帝が一人。緊張しないわけがない。
だが、怖気はしない。使いこなすと決めた以上、得体の知れない『化け物』の力であろうと、この瞬間はレイト自身の力。そしてヴァルネロとも互角に渡り合える程の力。
訪れるその時に備え、両脚に力を溜めていく。
汗は額を斜めに流れ落ち、頬を静かに伝い、顎の先から飛び降りた。
そして、ピシャリと足下の草の上で跳ねた。
瞬間、レイトとヴァルネロ両名が、同時に地を蹴った。即座に剣が交差し、離れ、再び交差する。呼吸の音と剣戟の音だけが風に乗って吹き荒れる。
言葉も無い、ただ本気の殺気をぶつけ合う。
「……ハッ、私にはもう見えねぇな……」
側で見ているリュウカが、ポツリと溢す。桜花最強の一角に座す彼女であっても、レイトとヴァルネロの動きは微かな残像としか捉えられずにいた。
「ハハハッ! 感謝するレイト殿! ここまで爽快な気分は先代との手合わせ以来だぞ!」
切り結び合うこと既に数十。ヴァルネロが初めて口を開いた。
「そりゃあどうも! こっちは流石にそろそろ疲れてきたよ!」
「ほう! ならば次で終わりにするか? レイト殿!」
ヴァルネロの剣が異様な魔力を帯び、ドス黒い光を放つ。
ジルバの城でグレンを一撃で両断した、黒色の魔法。あの魔力を剣に纏わせているのだと、レイトは直感した。言葉通り、この打ち合いに終止符を打つ強大な一撃が来る。
「シャァァァァアッ!」
レイトは初めてヴァルネロの叫び声を聞いた。今までの数倍の速度で迫り来る黒い刃に、防御は不可能だと本能が叫ぶ。
だが、レイトはその瞬間を待っていた。拮抗する打ち合いを崩す一手を。
黒の魔力がスミゾメと交わるその刹那、あろうことかレイトは柄を握る両手の力を抜いた。
「む⁉︎」
ヴァルネロが驚愕の声を漏らした。
もはや両手の中に花瓶に生けられた花のように収まっているだけのスミゾメは、ヴァルネロの斬撃の勢いのままに手の内からすっぽ抜け宙を舞った。
「この瞬間を待ってたんだ……!」
今まで以上に速度と勢いのついた斬撃、それが受け止められることなくある意味空振りとなった今、ヴァルネロの剣は大きく後ろへ降り抜かれ、当然そこに隙が生まれる。
「ハァァァァァアッ……」
スミゾメを弾き飛ばされた衝撃に乗って右拳を握りしめ、魔力を溜めながら肩の後ろへ引き絞る。
当然、ヴァルネロはただ驚きっ放しではない。レイトの動作を即座に判断し、大振りした剣で、即座に袈裟斬りのモーションに入る。
が、彼の剣よりも自分の拳打の方が速いのは明らかだった。刃が届くよりも先にヴァルネロの身体を吹き飛ばすことができる。そう確信し、レイトは足を踏み込み、腰を捻り、魔力と回転力を乗せた拳打を…………
『勝利の一撃を決めるというところですまないが、そろそろ時間切れだ、青年』
打とうとしたところで頭の奥に、聞き覚えのある呑気な声が響いた。
同時にズキンと軽い痛みが全身を駆け回り、一瞬のうちに力が抜け、意識が朦朧としていく感覚。
レイトは脱力感に包まれて、ガクンと膝から崩れ落ちた。狙いを失い、勢いだけが残った拳が大きな円弧を描いてヴァルネロの足下を掠め、草を揺らす。
「レイト殿⁈」
突然の異常な様子にヴァルネロが叫ぶものの、その手に握られた刃に与えられた勢いは死なず、膝をついたレイトの首筋目掛けて走る。
「レイト!」
大太刀を投げ捨てて駆けつけるリュウカの姿を最後に、レイトは意識を手放した。
直後、鮮血が舞った。