覚悟の剣を今ここに
「よし、どこからでもかかってくるがいい。幸いこのヴァルネロは不死の存在ゆえ、存分に力を振るえ!」
外に出るなり、既に抜剣し、中段に構えたヴァルネロが急かす。
「わ、わかったって……」
慌てて剣をベルトに吊るし、レイトはヴァルネロから十メートルほど距離をとって、正面に立った。そして抜剣。
……まずは強化は使わずに様子を見るか……。
ヴァルネロの戦闘速度なら、ジルバで既に知っている。幾つ命があってと足りないあの地獄の修行のおかげで、彼の動きにはついていけるはず。そう思って、レイトは剣を脇に構え地面を蹴った。
ヴァルネロの動き。避けるのか、それともカウンターでくるのか、それを頭の片隅に置いて、ヴァルネロとの距離を一気に詰める。
互いの間合いの円、それが交わる。ヴァルネロは最初の構えのまま不動。構えこそしているが、一切の殺気も剣気もなく、一体の白骨人形の如くただそこに、ある。
だが、それがむしろ不気味。ヴァルネロの間合いに足を一歩踏み入れた瞬間、レイトは咄嗟に横へと飛んだ。そしてそのままヴァルネロの側面へと回り込む。
側面の死角からの一撃、これならどうだ?
ヴァルネロの剣はピクリとも動かない。ただ、二つの眼窩が横へと飛んだレイトの姿を追うだけだ。
捉えた!
「ハァッ!」
この状況でのカウンターはありえない。そう判断したレイトは、勢いよくヴァルネロの横っ腹へ一薙ぎ、鋭い斬撃を叩き込んだ。
既に間合いは十分。回避は間に合わない。そう思える程に完璧な一撃のはずだった。
……え。
消えた。つい一瞬前までそこに存在していたはずのヴァルネロの姿が、一陣の風を纏った残像を残して消えていた。
「ハッハッハ、私はここだぞレイト殿。どこを狙っておられる?」
背後から声がした。振り向いてみれば、さっきと同じ構えのまま、ヴァルネロが愉快そうに顎の骨をカタカタさせて笑っている。
「……今のはいったい……まさか瞬間移動系の魔法でも使ったのか……?」
「いや? 別に魔法など使ってはおらんよ。少しばかり本気で動いただけの話だ」
「……そんなバカな……。あの時と全然違うじゃないか……!」
いくらなんでもヴァルネロの今の速度は有り得ない。命中を確信した事で生まれてしまった僅かな気の緩みを差し引いても、全く捉えることが出来なかった。
「当然の事だ、レイト殿。ジルバでの修行の時、いったいいつ私が全力を見せたと言った。あれはあくまで、この先魔族と殺り合うのであれば最低限会得しておかねばならない速度であって、私本来の速度ではないのだ。残念ながら、な」
まぁそう落ち込むな、とレイトの肩を軽く叩き、ヴァルネロは言う。
「そもそも私の速度は、かつての魔王軍においてはルドガー様の次に位置しているのだ。たとえ歴戦の戦士であろうと、ただの人間に捉えられる速度ではない。あのガルアスであっても、速度では私の方が優っている」
「でも……」
出来ることならあの力は使いたくない。得体の知れない力に呑まれて魔族と化すのは怖い。
「……まだ、躊躇っているようだな。レイト殿」
溜息交じりにヴァルネロが言った。彼の手がスッとレイトの肩から離れる。
刹那、風と共にヴァルネロの姿が消えた。
「え……ぐぁっ⁈」
同時にレイトの手足、その皮膚が何箇所も斬り裂かれ、血を滲ませふ。
「ヴァルネロ⁈ いったい何を⁈」
「すまんなレイト殿。だが、もう此の期に及んヌルいことは言ってられんのだ。もしもガルアスを倒すのだと、その覚悟があるのなら、人間としての限界を知るしかない。それでもその力を拒絶するなら、ここで全て諦めて貰うしかないぞ!」
レイトを取り囲むように、あらゆる方向から殺気の籠もったヴァルネロの声が響く。
「貴様も男なら、覚悟を決めろ! その力を使いこなす自信も無く、魔族化への恐怖に支配されていると言うのなら、一生、いや、幾度輪廻しても魔王軍の幹部クラスには傷一つつけられんぞ!」
ヴァルネロの叱咤は続く。その間にも、レイトの身体には無数の浅い切り傷が刻まれていく。
「ヴァルネロの言う通りだ。そろそろ決断の時だ、レイト。もしもお前が力を制御して、人としての強さの先へ行く勇気があるのなら、私もヴァルネロも全力で修行に付き合う。お前は何の為にここまで来たんだ? この中途半端なままで先に進んでお前が死ねば、リシュアはきっと悲しみと後悔に飲まれちまう……それでもいいのか、お前は」
斬撃の嵐の外から、静かなリュウカの視線がぶつかった。
そうだ……俺は…………。
一体何度こんな自問自答を繰り返してきただろう。弱い自分への嫌悪と、未知の魔族の力を使うことへの恐怖。
何度も壁として現れたその矛盾を、今までなら、どうにか自分を誤魔化し避けてきた。だが、それがもう無理だと言うことを、たった今痛感させられた。
普通の人間では、ガルアスレベルの魔族には届かない。人としての限界に阻まれる。
……しっかりしろ、俺。ランドーラで約束したじゃないか。あいつの悲願、その成就の旅に付き合うって。それを裏切るわけには……いかないだろうが!
レイトは目を見開いた。身体に刻まれていく切り傷も、今は不思議と痛みはない。
真っ直ぐに自分を見つめるリュウカに頷いて、全神経を体内を走る魔力回路へ集中させる。
「……決めたよ。ヴァルネロ、リュウカ。やっぱり俺は……ここで諦めてあいつを裏切る事なんて出来ない!」
あの紋様が、全身に浮かび上がる。身体の奥底から力が溢れでる感覚。
「へっ……こいつは予想以上だな……」
驚きの声を上げるリュウカを横目に、レイトはただ正面を睨みつける。さっきまでは残像しか捉えられなかったヴァルネロの動き。それが力の影響か、今は少しずつ、目で追えるまでになっている。
レイトは姿勢を低く落とし、刺突の構えを取った。狙うはただ一点。ヴァルネロの姿を正面に捉えた瞬間、それを逃さない。
「さぁ、レイト殿! 今のその力でどこまで行けるのか、確かめさせてもらうぞ!」
殺意を熱意に塗り替えたヴァルネロの声が聞こえる。
「ああ、行くぞヴァルネロ……!」
ヴァルネロと同じく、レイトも全身に気合を入れる。
そして、その瞬間は訪れた。
「次の一撃は手加減無しだ! 四帝の剣、受けてみるがいい!」
とびきり大きな声を響かせて、ヴァルネロがレイトの正面に現れた。
大きく剣を引き絞ったその構えは、レイトの脇腹から入る深い横一閃。宣言通り、くらえば身体が真横に両断されるであろう一撃を、ヴァルネロは常人ならば決して捉えることが不可能な速度で放つ。
だが、
……悔しいけど、今ならはっきりこの目で見える……!
迫り来る刃の軌道が、レイトにはまるでスローモーションの如くゆっくりな速度で見えていた。
「ウォォォォッ!」
咆哮。同時に体内を暴れまわる力のありったけを、スミゾメを握る右腕で爆発させ、レイトはその一撃を撃ち放った。
「⁈」
ヴァルネロはその眼窩で見た。自分の放った絶対必殺の斬撃、その刃を打ち砕きながら迫ってくるレイトの剣を。
「くら……えェェェェェエッ!」
刃に纏った圧倒的な力の奔流が、骨を粉々に打ち砕いていく。
ここまで力の差を見せられるのはいつだったか。あぁ、そうだ。あれは間違いなく、先代、ルドガー様との修行の時……。
身体を砕かれる感覚に、いつかの記憶を思いながら、
「見事だレイト殿……ォォ……グォァァァッ⁈」
賞賛の声を轟かせヴァルネロの身体を構成する骨、その全てがバラバラになって四散した。