後編
どちゃり。
そんな水を含んだものが地面に落ちる音がした。
不死身ということを理解していたからか、混乱しすぎたのか赤べこの首が地面に転がっているのを見ても秋人が悲鳴をあげることはなく「あぁ、余計なこと言うから」と冷静に考えてしまっていた。
狐面は地面に転がっている赤べこの生首を片手で掴んで持ち上げ、もう片方の手に持っていた赤べこの血がついたククリナイフを向ける。
「ねぇ、私もう普通なら死んでるような状態なんだよ? 酷くない?」
「……元気じゃねぇか」
「不死身だからね? なんでちょっと残念そうにするの?」
「それよりもその獅子舞面は生きてますか?」
「酷くない? ねぇ、なんかキミも私の扱い雑になってきてない?」
「一応生きてる……と思う」そう言って獅子舞面を見る狐面は店で見た時とは違った格好をしていた。
上下とも真っ黒で袖の長い男性用チャイナ服のような物を着用している。
わざわざこの服に着替えてから来たのだろうか。あっさり赤べこの首を切断したところを見るとこの狐面も只者ではない。
というか、多分自分のような堅気の人間ではない。
「それよりも……どうするんですかこれ」
「これだと狐くんが殺人鬼だね! アッハッハ!」
狐面が赤べこの首を投げ捨てる。
そのまま秋人の後ろに転がって行き、何か喚いていたが狐面は秋人に「構うと付け上がるから無視しろ」と言われ、そのまま放置することにした。
「……それでどうしますか、これ」
「依頼人に電話してこいつを回収させた後で合川形を探しに行く」
「あ、じゃあ僕が電話しましょうか」
「頼む、あの馬鹿はその辺に転がしといていいぞ」
「いや、そういう訳にも」
いかないんじゃないか、と秋人が言い終わる前に目の前の狐面が身構えた。
それを見て秋人も振り返る。
赤べこの首が転がって行った場所。
そこに、赤べこの首を抱えた女性が立っていた。
「あら、随分と酷いことをするのね」
「いや全く本当にね! キミは誰だい?」
生首を、両手で抱えた女性は秋人と同じくらいか少し上くらいに見える。
少し影のある、影のような美女だった。
「あなた達、合川形を探しているんでしょう?」
「なんだい盗み聞きは感心しないけど、もしかして知ってたりするのかい」
「私が合川形よ」
「まさかの本人!」
狐面が「もう黙ってろよ」と言っている、秋人も同感だと頷く。
なんかこう、赤べこが話すと締まらないのだ。主に空気とかが。
「あなた、妹の依頼で私を探しているんでしょう?」
「妹って…まさか葉鳥さんの」
「えぇ、合川葉鳥は私の妹よ」
よく見てみれば葉鳥に似てる気がしないでもない。
顔も似ているがそれよりも雰囲気がよく似ていた。
秋人は名前から合川形は男だと思っていたので、女性が出て来たことに驚いていた。
「なんで、なんで面を盗んだりしたんですか。 妹さん困ってましたよ」
「それは良かった」
妹が困っている。
それを伝えた時、合川形は幸せそうに微笑んで見せた。
綺麗な、絵画のような美しい微笑みだったが秋人にはそれが殺人鬼なんかよりも恐ろしいものに見えた。
「よかったって……」
「言葉の通りよ? あの子が不幸になったのがとても嬉しいのよ」
「狂ってるな」
「私はね、生まれた時から合川家の当主を約束されていたのよ。だからその期待に応えようと必死に生きてきたわ、辛いこともあったけど周りの為に頑張ってきたのよ」
そこまで言って彼女の顔から微笑みが消えた。
「……葉鳥、そうよ、あいつが生まれてから全て変わってしまった。次期当主にあの子が選ばれた時はなんの冗談かと思ったわ、悪い冗談だって、でも違ったのよ」
彼女の抱える赤べこの首から地面に血がち祟り、合川形の心の闇のように広がっていく。
「当然のように当主の地位に居座るあの子が憎くて憎くて憎くて憎くて仕方なかったのよ。あの獅子舞面が無くなったことが他の分家に知れ渡ればあの子の立場なんで一瞬で跡形もなく無くなるわ。面を管理する為だけに生きてきたあの子からすれば正に生き地獄ね」
愉快そうに微笑みながら合川形は赤べこの首を自分の目の高さまで持ち上げる。
「ねぇ、そこで提案なんだけど」
彼女は赤べこを見てうっとりとした声で言う。
「あなたのそのお面、私にくれない?」
「えっ」
「あの女、見えているのか」
「えぇ、そうよ狐面のお兄さん」
はっきりとではないけれど、と言って狐面に微笑む。
いや、そんなことよりも何故彼女は赤べこが面を外したがっていることを知っているのだろうか。そんな秋人の疑問に
「死神って情報屋さんに教えてもらったのよ」と答えた。
「『一週間以内に獅子舞面を盗まなければ死ぬ』って約束をしてね」
死神面も別に赤べこや狐面だけに情報を教えているわけではないので合川形の口からその名前が出てくることはなんら不思議ではないのだが、秋人はなんだか裏切られた気分になった。
「このお面、私が死なないと外れないんだよ?」
「ちゃんと考えてあるわよ」
合川形はそう言って獅子舞面の方を見る。
「あの男を殺して、私が獅子舞面をつけるの。 それからあなたの面を食べればいいのよ」
完全に食べるのではなく、顔から引き剥がすのだと説明した。
自分の妹を不幸にするために彼女は他人の命を使おうとしている。
なんでも捕食することができる獅子舞の面であれば可能かもしれないが、面をとってどうするのか。秋人は自分のように不死身になりたいのかと思ったし、赤べこも同じことを彼女に言う。
「私が不死身にはならないわ、あの子を不死身にするのよ」
しかし違った。彼女はあの子、妹の合川葉鳥を不死身にしたいのだと言った。
「へぇ、なんで?」
「不死身って苦しいらしいじゃない?あの子には永遠に苦しんで生き地獄を味わってもらいたいの。 あなたも、永遠に生きるのは辛いでしょう? だからそれを外したいのでしょう?
誘惑でもするかのように赤べこに語りかける。
利害は一致しているはずだ、だからその面をよこせ、妹を不幸にするために。
「うーん、ダメかな」
赤べこは異様な空気を壊すように明るく彼女を拒絶した。
「……どうして?」
合川形は不思議そうに、それでいて逆らうことは許さないというような威圧感を含んだ声で訪ねる。
「この面は僕にとっては希望なんだよ」
いつものように楽しそうに話す割に、その声からは静かな
「僕がいつ不幸だって言った?」
怒りが感じられた。
「僕はこの面の希望に縋ったんだよ、それなのにキミはこの面を不幸にする為に使うだって? しかも他人に? 納得できるわけないじゃないか」
秋人は肩を叩かれ振り返る。そこにいたのは首のない赤べこの体だった。
「彼もね、不死身になりたいんだって……彼は自分の幸福のために、この面が欲しいんだと言っていたよ」
合川形は秋人を見た。
どこにでもいるようなパッとしない青年だ。
「私の希望を汚さないでくれ」
赤べこは言う。どこか怒りを含んだ声で「人に不死身を押し付けるな」と。
その時に秋人は理解した。赤べこがあっさり自分に面をくれると言った理由が。
秋人が自分勝手で自分本位な理由で赤べこの面を欲しがったからこそ、彼は秋人に面を譲ると言ったのだ。
他の誰でもない、自分の欲の為だけに欲したから。
赤べこには、それが不死身に希望を見出した自分を肯定してくれたように映ったのだ。
そこまで黙って聞いていた狐面が動いた。
女性といえど手加減しない性格なのか、彼は合川形に一瞬で近づくとその顎を蹴り上げ気絶させていた。
秋人も咄嗟に駆け寄り、蹴られた時に合川形の腕からすっぽ抜けた赤べこの生首をキャッチした。
「ナイスキャッチ!」
腕の中で赤べこが言う。後ろでは体の方が秋人に向かってサムズアップしていて、秋人は思わず笑ってしまった。
狐面が気絶した合川形を肩に抱えてどこかに電話をかけていた。
長い長い夜の攻防は、こうして幕を閉じた。
それから次の日。
正確には事件解決から数時間後。
いろいろなことがあったからか、心は大丈夫でも体の方は疲れていたらしく家に帰ると着替えることもせずにそのままベッドで気を失うように眠った。
そして目が覚めた時にはもう昼過ぎで、昨日義輝を注意していたにもかかわらず自分も同じことをしてしまっていて一人苦笑する。
今から行けば午後の授業には間に合いそうだが、なんとなく行く気になれずもう一度ベッドに横になった。
昨日は狐面に「もうここはいいから帰れ」と言われそのまま帰宅してしまったのであの後どうなったのかは知らない。殺人鬼は結局、面をつけたままだった。もしかしたら面を依頼人に渡すためにそういった『処理』をされたかもしれないが、秋人は殺人鬼に同情するほど優しい人間ではなかった。
秋人はベッドから上半身を起こし、時計を見る。
ちょうどお昼時。
それからため息をつき、秋人は身支度を始めた。
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「じゃーん! 見て見て!」
赤べこが自慢げに自分の首を見せつけてくる。昨日まで首と胴体が分裂していたことが嘘のように、傷跡一つ残さず綺麗に首がくっついた赤べこの姿がそこにはあった。
「あ、治ったんですか。 よかったですね」
「反応薄いなぁ」
「そんなことないですよ」
「おう、来たか……何にする」
「チャーハンください」
「私も!」
「お前は飯食えないだろ」
「視覚で楽しむ!」
「食材が勿体無い」
「頼むよ狐くん! 一生のお願い!」
「それはこの前聞いた、一回死んでから出直してこい」
そんな二人の会話を聞きながら微笑む。
狐面と赤べこがごく自然に自分を迎え入れてくれたことに秋人は胸の内が熱くなる。
来て当然、といった扱いが嬉しかった。
いつものように厨房に引っ込む狐面の背中を見ながら水を飲む。
赤べこの分もコップに注いで渡すと赤べこが自分のことを食い入るように見つめて来ていた。
なんだかデジャヴを感じる。
「……キミさぁ」
秋人を見ながら赤べこは呟いた。
「……名前なんだっけ」
「ゴホッゲホッ、オェッ」
突拍子も無い質問い思わず水をむせた。「大丈夫?」と特に心配していない声で言ってくる赤べこを見る、あんたのせいだよ。
そういえば自分はこの二人に名乗っていなかった。
自分が二人のことを普通に呼んでいたので忘れていたが自己紹介なんてしていないし、考えてみれば二人には「キミ」だとか「小僧」だとかしか呼ばれていなかった。
「……三浦秋人です」
「へぇ」
「聞いておいてその反応はあんまりじゃないですか」
フリでもいいからもっと興味を持って欲しかった。
なんだか秋人は遣る瀬無い気持ちになってしまった。
「いやぁ、なんだか普通の名前で拍子抜けしちゃった」
「悪かったですね普通で」
「もっとロックな名前の方がかっこいいよ」
「ロックな名前って……なんですかそれ」
「リンゴスターとか」
「ロックすぎません? ってかそんな名前の日本人いませんよ絶対」
というか赤べこがビートルズを知っていることが秋人としては意外だった。
ビートルズなんて常識だろうし、知らない人間はいないのだろうがこの男には常識は通用しないだろうと思っていたので意外と普通なことも知っているのかと驚いた。
リンゴスターって名前の日本人ってなんだ。
『林檎星』って書いて林檎スターって読むのか?
林檎って苗字の人間がいればいるかもしれないけど、いや、やっぱりいないだろう。
「秋人くんさぁ」
「なんですか」
「やっぱり不死身になりたい?」
相変わらず面で表情のわからない顔がこちらに向いていた。
「なんですか、惜しくなりましたか」
笑いながら言う秋人と対照的に赤べこの声は笑っていなかった。
「違うけどさ」
「じゃあなんですか」
「……私としては友達が後悔するようなら止めたいんだけどさぁ」
友達だと、赤べこは言った。
この男の言う友人の基準が一体なんなのかは分からない。
どうせ普通では無い。
赤べこの言葉の端から秋人を心配するような気遣うような心情がにじみ出ていて、昨日知り合ったばかりだが秋人はなんだか気持ち悪く感じた。
ひどいことを言うようだが、この男が自分を、人を心配するのがなんだかとてもらしく無いことをしているように感じた。
「しません……とは言い切れませんけど」
秋人は赤べこを見る。
赤い面の色と対照的に真っ黒な目がこちらを見ている。
「あなたならわかるでしょう、僕もその『希望』に縋っているんですよ」
そう言って秋人は笑う。
その笑い方はどこか人を食ったような笑いで、それでいて快活とした笑みだった。
赤べこは黙ってそれを見つめる。
――記憶の彼方。
この面をつけた時以来忘れてしまった自分の顔を、この時一瞬だけ思い出せた気がした。
これから先、私の書く小説に彼らが出てくるかもしれません。
その時まで彼らとはお別れです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




